趣味

2007年7月 1日 (日)

フィクション

もともと、特別、何かに秀でているわけでもなかった。

学業成績がいいわけでもなく、運動神経が突出しているわけでもなかった。

絵や音楽などの芸術面において何か特殊技能があったわけでもないし、特別目を引くような容姿をしていたわけでもない。

容姿に関しては、むしろ顔中にできあがったにきびが苦手で、自分で鏡を見ることすら億劫であった。ゴツゴツとしたできものを見ると、体中に鳥肌が立つような感覚を覚えた。

自然と私は引っ込み思案で、無為な毎日を過ごすようになっていた。自己評価は低く、何を目的に、何がしたくて生きていたかったのかよく分からなかった。

そういった毎日は、徐々に変化を見せ始めるようになった。

テスト前に勉強してみると、意外なほど点数が取れるようになった。

勉強が、自分で考えていたのよりずっと簡単なものであると分かるまでそれほど時間はかからなかった。

「先生は偉いもの」と教えられていたが、むしろ、彼らは自分が考えるよりずっと知識がなく、理解が浅いのではないかと考えることによって、学業の理解は深まり、飲み込みが早くなるようになった。結局、自分で考えて、自分で結論を出した方が早かったのである。

運動部に所属して、定期的に運動する習慣が身に付くと、驚くほど体力が向上した。

ある日のスポーツテスト。50m走や走り幅跳び、垂直跳び、その他、全ての競技において、周りのクラスメイトたちみんなが手抜きをしているのではないかと思われた。

測定結果を聞いて納得した。周りは手を抜いているのではなく、自分がいつの間にか突出した存在になっていただけのことであった。

手先が器用になり、絵を描き、楽器を演奏する手が軽やかになった。

顔中の吹き出物がなくなり、嘘のようにきれいな顔立ちになった。気のせいか、風貌や雰囲気までも変わってしまったように思えた。

そんな自分の周りを取り巻く環境も変わったし、人の見る目も変わった。ただ、自分の中では何かが劇的に変わったとは思えなかったのだけれど、とにかく自分を取り巻く世界だけが変化したように感じられたのである。

自分自身は特に変わってはいない。何も。

自分ではそう認識していたのである。

しかし、明らかに状況は変わっていた。

ある種のイベントがあれば、祭り上げられるようになっていたし、話しかけてくる女の子の数が劇的に増えた。

机の中にラブレターが入っていることもあったし、グランドで下級生の女の子たちの一部が自分に歓声を上げていることがあることにも気づくようになった。

そういった状況は、なんとなく落ち着かなかった。

自分が誰か他人になったかのように思えた。

そんな頃、懇意になっていた人がいた。

彼女は、聡明な美人で、人目を引くタイプの人であったし、教師からも一目置かれているような存在であった。

生まれも育ちも、見るからに並一通りではなく、たやすく近づける人ではなかったけれど、誰に対しても分け隔てなく笑って対応できるタイプの人間であった。

そんな彼女は信頼できた。そういう人がいるという事実に感謝して、出会えた偶然を幸運に思わないではいられなかったのである。

その人と懇意に話をすることができるようになったことは、自分の中では大きな成長であった。

必要以上に自分を卑下する習慣が身に付いていた時期には、会話を続けるということだけでも億劫だったのだけれど、世間の評価が高まるにつれ、その人と自分が話をしていい立場に立てたのではないかと思えるようになったのである。

彼女の笑顔は変わらず優しかったし、大きな瞳と特徴的なほくろは印象的で、まるで影絵が瞼の裏に焼き付いたかのように自分の脳裏にはっきりと残されるようになっていた。人一倍甲高い声で、それでいていつも優しいその人は、時々、自分が同じ年齢なのかどうか疑わしく思えることもあったのである。

校外で、2人で出かけることもあった。「デート」と呼んでもよかったのかもしれない。中学生が持っているような所持金では、安い喫茶店に入ることもままならなかった。私たちは、小さなデパートを歩き、自動販売機で買ったジュースを飲んでベンチに座って、長い時間に渡って話をしていた。

話をするのが非常に楽だった。話題が欠ける心配をすることもなかった。時間があればあるだけ、何でもずっとお互いに話していられるような気分になれていた。彼女が「話しやすい」、「何でも話せる」、「楽しい」と言ってくれたことが自分の中で大きな自信になって、自分の存在価値をちょっとずつ確固としたものにしてくれているんだと思えるようになっていた。

学校では見せないような、いたずらっぽい笑顔がやたらと愛おしく思えた。人にちょっかいをかけたりするような人ではないと思われていたはずなのに、私の後ろから目隠しをしてきたり、足をつっついてきたり、肩を揺さぶってきたりと、いろいろと意外な側面を見せてくれるようにもなっていた。

定期的に電話することも覚えた。お互いに習い事や塾があり、木曜日の夜が都合がよかった。

夜の8時55分ちょうどに電話番号のダイヤルを押す。

当時、私の家でもコードレスの電話を使用するようになり、自分の部屋で電話ができるようになっていた。

電話をかける順番を決めて、それで2コールで受話器を取る。それが約束事だった。電話をして、何か話す目的があるわけでもなく、話すことそのものが目的であった。そういった電話の活用方法は、自分にとっては初めての経験であった。通話時間は1時間前後であったが、その時間は非常に短く感じられた。

そういった関係は「つきあっている」と呼べるものなのかどうかはよく分からなかった。

お互い、好意があるという認識はあるものの、何か気持ちを確認しあったとかいうようなことはなかった。「好き」と言ったこともないし、「つきあってください」とかいう言葉も交わしたことはなかった。

全ては私の責任なのだと思う。

引っ込み思案で、照れ屋で、優柔不断で、強気になれなくて、自分の心境を冷静に分析するだけの精神的成熟が当時の自分になかったことが致命的であったのだと思うと、今でも自分を責め立てたくなる衝動に駆られる。

彼女はいつからか、ある女性グループの攻撃対象となっていた。

上履きがゴミ箱に捨てられたり、下駄箱にゴミを捨てられたりしていた。

通学鞄が蹴っ飛ばされ、中身が教室の窓からばらまかれることもあった。

ある日の放課後、私は校舎の裏で一人静かに、ばらまかれた筆箱の中身を拾い集める彼女の姿を見かけ、黙って一緒に拾っていたことがあった。気丈な彼女は、悲しそうであったが、泣いていたわけではなかった。

ただ、その瞬間だけは、気軽に話せるような状況ではなかった。小声で「ありがとう」とだけ言って、彼女はその場を立ち去った。

私は、3年で一緒にクラブ活動を引退した友人を誘って、ちょっとだけティーバッティングをしてから他愛のない話をして別れ、なんとなく机の中に入れてあった本が読みたくなり、教室に戻ったのである。

教室近くの階段の渡場で、彼女と数人の女の子の怒鳴り声が聞こえた。話し声は、聞きたくもないのに耳元で話しかけられているのではないかと思えるほど、大きかった。

彼女が攻撃対象になっていた理由が分かった。彼女は「私から離れろ」と要求されていた。女性グループは、私と彼女が一緒にいる姿を目撃したようであった。

私はひとまずその場を離れて、帰路に就くことにした。秋の暮れの夕方は暗く、山奥にある学校からの帰路では、夕焼けに映えたトンボの姿がはっきりと見て取れるようになっていた。

暗くなった帰り道では、虫の鳴く音が聞こえ、私は帰宅途中にある保育園の隣にある自動販売機のポカリスエットを購入してから、保育園に侵入し、一人でブランコに座ったままちょっとずつポカリスエットを飲んでいた。いつもは必要以上に甘い味のするポカリが、その日は汗ばんだ臭いと塩っぽい味がするように思えた。

当時、彼女とはクラスメイトではなく、攻撃を加えていた集団の方がクラスメイトであった。私は努めて彼女たちと話をするようにし、放課後になってからも他愛のない話につきあい、他愛のない遊びにつきあうようになった。

そういうことを繰り返していると、彼女に被害が及ぶようなことがなくなった。

私は自分の影響力が怖くなり、そして疎ましく思えた。私は放置されたかった。誰も私の行動に興味を持たないで、私が何をした所で何も言わないし、何も思わないような状況に身を置きたかった。私はただの他人であり、名もない交通人Aであるという状況にしておいて欲しかった。自分がしたいように好きに振る舞うということは、自分で思っているよりも遙かに難しいことであった。

誰かと懇意に喋っていれば、すぐに噂が立った。「両思い」とかいう評判が立つこともあったが、事実は異なっていた。彼女と噂になればよかったのにと思ったこともあったが、クラスが違うこともあり、接触の機会が多かったわけでもなく、学校で顔を合わせない日もあった。

それでも、定期的に電話をして、相変わらず他愛のない話題で盛り上がることができた。

2人で会う時には、知り合いのいなさそうな場所を選んだ。ちょっと遠くで、それでいて馴染みのない場所。

電車の最寄り駅は違っていたので、示し合わせて同時刻の同じ車両に乗るようにしていた。お互い、乗り遅れたりするようなことはなかった。

交通費以上のお金は、少なくとも当時の私には工面できなかった。外食するお金もなかったし、遊園地や映画に行くようなお金は筒底用意できなかった。アルバイトができる年齢ではなかったが、お金を無心するような真似は嫌いだった。

一度、山奥の街から川沿いを一緒に歩いて帰ったことがあった。

何かをずっと、何か、くだらないことや、お互いの夢のようなものをずっと話ながら喋っていると、帰宅するのはすぐのことだった。1日が2日でも、1週間が1ヶ月でも、時間が足りないのではないかと思えるようになっていた。

そのうち、彼女は次第に評判になるようになっていた。

今までも、潜在的にはもてていたのかもしれない。だが、あまりにも大人びた存在だったせいか、まだ子供だった男の子たちの手には、持て余し気味だったということもあったのかもしれない。

多少ませていた人間は、積極的に彼女に電話をかけ、デートに誘うようになった。元々、他人の自慢話に花を咲かせるいけ好かない奴だったが、そんな彼が、私が彼女と頻繁に連絡を取り合う仲だということを知ると、目に余るほどの嫉妬を見せつけてきた。そういった男の嫉妬のようなものを端から眺めることには、言いしれぬ嫌悪感があった。

休みの日に数人の友人で遊んでいると、誰が言い出したわけでもなく、彼女の家に電話をかけ、積極的に気を引こうと話を進めた。そういった会話のローテーションに私も関わっていたのだが、そこでもいつも通り些細な話題で盛り上がって、くだらない話を続けた。

話す内容はくだらなかったのかもしれないけれど、そういった一緒の時間を共有するということには幾ばくかの意味があるようにも思えた。

そういった関係は、ふとした出来事で終わりを告げた。

ある日、私は男の友人と4人で、とある友人の恋の悩み相談を受けた。

彼には好きな人がいるのだが、告白する勇気がないので背中を押して欲しいのだという。

子供じみていた我々は、彼の背中を押すつもりで、支援することを約束した。それは、思春期に入って間もない子供たちの特殊なゲームのようなものだったのだ。

勝ち負けのあるゲーム。「ゲーム」という名のオブラートに包まれた感情隠し。

彼の口から飛び出した女の子の名前は彼女だった。放課後、我々はその女の子のいる教室で、友人の告白につきあうことになった。

彼の背中を押す義理なんて元々なかった。なんといっても、それは単なるゲームの一貫という言い訳のオブラートに包まれた、ある種の照れ隠し、卑怯者の戯れ言に過ぎなかったのである。

話は簡単。自分もそのゲームに参加すればよかっただけのことであった。

自分も参加して、「ごめん、俺、敵キャラね」と一言言えば、それだけで参加資格があったはずなのである。ちょうどいい機会だったはずなのだ。

当時、我々はお互いにちょっとした噂の立つ人がそれぞれいたのだが、それも「違う」ということはお互いに確認していたのである。その場でふざけた照れ隠しさえしなければ、何も問題は起こらなかったはずなのである。

しかし、当時の私はそれをしなかった。単純に言うとできなかったのである。

臆病、バカ、ろくでなし、ガキ。

理由はそれだけのことであった。後付の言い訳なんて、いくらでも創り出すことは可能なのである。

その告白ゲームに、私は後方で付き添っていた。その場で、私は一言も発することはなかった。彼女の一瞥だけを感じ、目が一瞬合ってから、私はうつむき加減になっていた。

ほとんど強引な押し込みと、条件付きという設定で、彼女は登下校を伴にするという条件を呑んだ。彼らは学校から遠方に住んでおり、元々、住まいは近くにあったのである。

そんな彼らの状態は長続きしなかった。特に気の合うわけでもない相手と長時間歩く。がたいはよくても、一人では自分の気持ち一つ言えない男に何か特別な魅力があったわけでもないのだろう。

私はそれ以来、妙に気を遣って、電話をかけることをやめてしまっていた。

電話をすることがなければ、クラスが同じわけでもない彼女と次に会う約束ができる機会もなかった。必然的に彼女と会う機会はなくなってしまった。

私はもう以前と同様に話すことはできなくなっていた。わだかまりなく、とりとめのない話題をずっと続けることができなくなっていた。

遠方で彼女の姿を見かけると、なるべく話さないですむ距離になるように、時に速く歩き、遅く歩き、ごまかしついでに、近くの知り合いに無理矢理話しかけるようになった。

廊下ですれ違って挨拶をする以外には、彼女と言葉を交わす機会もなくなってしまった。

そう、今までのそれは全て幻想。私たちの間に何か特別な関係があったわけでもないし、会わなければならない理由も必然性も何もなかったのである。

そうこうして、彼女と疎遠になったまま卒業を迎えることになった。高校は一緒だったが、人数も多く、特に会う機会を持てるわけでもなかったし、積極的に私から話しかけるようなこともなくなった。

20歳になった頃、私は駅で偶然彼女の姿を見かけた。彼女は昔と同じように甲高い声で笑い、特徴的なほくろがついてある口元は、笑ったときにそっとくぼんでいた。そんな姿はきれいだった。

私はようやく彼女と言葉を交わすことができるようになった。でも、心の中のわだかまりまでが消えたわけでもなかった。悲しみという感情はいつか消えてなくなるのかもしれないけれど、心に刻まれた傷が消えることはなかったのである。

あれからもう随分と時間が経った。今の私が当時の状況に立てば、うまく立ち回ることは十分可能だと思う。そう思えることが、自分が少し大人になったという実感であるのかもしれない。私は今月、また1つ年齢を刻むことになる。

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2007年6月18日 (月)

ロザリオ(1)

その子には、決定的な何かが欠けていたような気がする。

一人の女が成長するプロセスにおいて必要な、決定的な何かが。

彼女の髪はボサボサで、中途半端に染められた髪は不揃いな色合いであった。根本が黒く、毛の中心が焦げ茶色で、毛先が赤茶。髪の毛には潤いのようなものはなく、櫛を通せば真ん中で立ち止まってしまいそうであった。

毛先はバラバラで、陽に当たった髪の先端は解れて、うらぶれてしまったマフラーの先端のようにほつれており、毛先は鋭利な刃物で切ったのではなく、何か破り取ったといった雰囲気があった。その髪は、頭に使い古した束子を乗せているようであった。

グレーのスウェットを着て、瞳の光が鈍っている彼女は、まだハリのある肌を除けば、ほとんど女であることをやめているようにも思えた。異性の視界に入ることを拒絶しているその彼女は、20歳前であるという年齢を考慮すれば、あまりに普通ではなかったのである。

私は彼女の姿を見て、衝撃を受けた。その衝撃は、パンドラの箱を開けてしまった気分であり、背後を振り返ったイザナギの気分であった。

私は彼女に同情した。それが彼女の欲するところでもなく、また、私がするべき行為ではないということも分かっていた。ただ、同情せざるをえなかったのである。何に対して同情しているのかは分からないが、私は自分の中で蓄積された偏見によって塗り固められている価値観で彼女の姿を分析していたのである。

そんな自分は善人には思えなかった。自分があくまで独善的で、穿った見方をする人間の一人であるということを思い知っただけのことであった。人の行為に責任を持つことはできないし、人の人生に意見する権利があるわけでもない。そう思った私は、彼女の発する言葉を一言一句、ただ単に耳にしていた。4年前に同じ場所で聞いた彼女の声と現在の声とを比較しながら。

声のトーンは変わっていても、声質までは変わっていなかった。その声を通して、私は彼女が15歳だった時の姿を思い出し、現在の姿と重ね合わせていた。ある観点から見れば、本質的には4年前と変わっていないのではないかとも思えたのである。

私は4年前、彼女と、この広々としていて、客がほとんど入っていないケーキ屋の2階に位置している喫茶店に入って、いろいろな話を聞いていたのだ。その頃の彼女は化粧することを覚え、左耳にピアスをつけ、左肩に小さな蓮の花のタトゥーを入れていた。

黒いショートカットの髪型、左右に広がった切れ長の眼、そして小さくまとまった唇につけられた赤い口紅を見たときに、私は過去に関係のあった女性が眼前に現れたのではないかと思ったのである。

私は確かにそういう女性とつきあっていた。いや、「つきあっていた」とは言えないのかもしれない。細身で、視線に力のある色気のある女だった。彼女の経歴についてはよく知らない。群馬だか、茨城だか知らないが、とにかく関東の出身。高校を出て、大学を出たのか、短大を出たのか、専門学校を出たのかも知らない。クラブ活動をしていたのかどうかも知らないし、何が趣味で、何が生き甲斐なのかも知らない。

知っていたのは、27歳であったということと、コンピュータ会社に勤めているということ。それと、エアロスミスとスピッツが好きな音楽であるということだけ。

当時の私にとってはそれだけでよかった。依存癖のある女と精神的に対等なつきあいができるようにも思えなかったし、私は体の関係があればそれで十分だった。会いたいときに呼び出して、それで抱き合えればそれでよかった。今となっては、その女が怒った時、笑った時、哀しい時にどんな声を出すのかすらよく思い出せないし、もちろん口癖のようなものも知らない。覚えているのは、抱き合っている時に、左手で口元を押さえながら、しゃがれていて、それでいて色っぽくて艶のある喘ぎ声を出すということだけだった。

こういう関係を「恋人」と呼ぶのは憚られた。私は「好き」だと言った覚えもないし、「つきあってくれ」と言った覚えもない。夜中に並んで歩いていた時に、我々は肩を抱いてキスをした。それから、抱き合うようになった。そういう関係を「恋人」と呼ぶのなら、それはかまわないのかもしれない。ただ、そんなものは「パートナー」と呼び合える関係ではないし、長続きするものでもないように思えた。ある日、私は思いついたように彼女に電話をかけ、「もう会う気はない」と告げた。電話口で泣いている声が聞こえたが、妙に納得しているようであった。

危ない綱渡り。

私は絹糸のようなもので彼女をつないでいたのであり、彼女にもそれが分かっていた。脆くて、それですぐに断ち切れるようなつながり・関係。

一抹の罪悪感のようなものはあった。こういう関わりを続ける人間が幸せになることもないだろうし、そんな資格もないのだろうと自分でも思っていた。

それでも自分から心を開こうという気にもならないし、あえてそういうことをしたいとも思ったことがなかった。自分という人間の真ん中で、リヴァイアサンのようなものを飼っており、それが時々暴れ出すのを止めることができなかっただけのことである。

その衝動は女を抱けば収まった。女を抱いて、それで充実感や満足感が得られるわけではなかった。抱いた後には虚しさだけが残っていたが、衝動も確かに収まっていた。

抱いた後、自分の隣で女がまとわりついてくる感覚は奇妙だった。

違和感、虚脱感。

あるのはそれだけだった。心の怪物が暴れ、それを沈める。私がしていたのはそれだけのことであった。

暴れ出すのを感知すると、私は適当に女を口説いた。それなりに理性はあった。自分の社会生活に関連する半径50m以内の世界の女性を口説くような真似はしなかった。

自分のような人間に口説かれて、幸せになれる女なんていないと認識できていたことだけが、自分の理性が働く限界であった。「月日が経てば、来る必然性もなくなる」、そういう世界に存在している女だけを口説いていた。

重要なのは外見だけだった。中身を知る必要はなかった。

抱きたい時に抱ければそれでいいと思った。そんな行為に意味はないし、未来があるわけでもなかった。彼女たちの多くは心に大きな隙間を抱えていた。

誰かに埋めて欲しくて、誰かにもたれかかることで小さくなる心の闇。

そういうものを見せられることには嫌悪感があった。「寂しい」と言われることは嫌いだった。そういった隙間は、人生のある段階において埋められて然るべきものなのだと思っていた。

そういった女の一人と、中学校3年生の高校受験を間近に控えた15歳の女の子の姿が重なって見えた。

私は、彼女がそういった心の隙間を埋めてから成長して欲しいと願っていた。誰に依存しなくても、一人でも輝けるような女であって欲しいと思っていた。

少なくとも、彼女を12歳で初めて見かけた時には、それができる女であると思っていた。

眩しくて、正面から見るのに眼前に力を入れなければいけないような。

魅力的で、存在するだけで価値のある女になれるのではないかと思っていたのである。

そういう女になるには、不可欠なプロセスがあるのではないかと思っていた。

周りの人間が、無条件に味方して、ちやほやと愛してくれるような期間が。

下心があるにせよ、単に側にいるだけということであるにせよ、彼女たちが不安になった時には側にいて、泣きたくなればそっと肩を抱いて、遊びに行きたくなったら同行して、楽しいことがあればその話を逐一聞いて共感し、悲しいことがあれば、黙って話を聞く。

わがままを許容し、自分の一挙手一投足を気にかけ、小さな王国の姫君、共同体の絶対者として扱い、許し、愛してくれる人たちの存在が、彼女たちのアイデンティティを形成し、心の闇を埋め、自分の存在価値を確固としてくれるのである。

20歳前後の女はみんな万能でなければならないはずなのである。周りの人間が、全て無条件で味方をしてくれるような、絶対的な支配者であり、強権を発動し、猛威をふるいながら輝くことが許容されねばならない存在であるはずなのだ。

そういった若さがもたらす美しさに伴う権力を握る機会を、この眼前の女性は逸し、自らの手で拒否しているのである。森羅万象を自由にする権限を放棄している彼女は、私の目には、一種、異様にも写っている。もちろん、その理由は重々承知している。

そんな彼女を初めて意識した時の体験は、自分の中では衝撃的だった。

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