恋愛

2009年8月30日 (日)

「ついにわかった」男が女より早死にする本当の理由

また、ここからの引用です。

「なぜ男は先に死ぬのか?」

その命題は何世紀ものあいだ答えられずにいましたが、現在その理由はわかっています。

ただし、それには前置きがあるので、その説明から紹介したいと思います。

・もし女性を他の男性の目に触れないようかくまうなら……男性優位な考え方と言われます。
・もし専業で主夫をするのなら……めめしいと言われます。
・もし一生懸命仕事をしたなら……女性のための時間はなくなります。
・もし一生懸命仕事をしないなら……たんなるなまけものです。

・もし彼女が低賃金の退屈な単純作業をするなら……組織にとってとても役に立ちます。
・もしあなたが低賃金の退屈な単純作業をするなら……なまけものはやめ、もっとましな仕事につくべきです。
・もしあなたが彼女を差し置いて昇進すると……それはひいきということになります。
・もし彼女があなたを差し置いて昇進すると……それは公平な機会ということになります。

・もしあなたが彼女のルックスを褒めたら……それはセクハラになります。
・もしあなたが何も言わなかったら……無関心な男ということになります。
・もしあなたが泣いたら……あなたは弱虫です。
・もしあなたが泣かないなら……無神経な鈍い男です。
・もしあなたが彼女に相談せずに決断したなら……あなたは男性優位な考え方をすると言われます。
・もし彼女があなたに相談せずに決断したなら……彼女は自由を勝ち取った女性ということになります。

・もし彼女がうれしくないことを頼むと……それは支配と呼ばれます。
・もし彼女のほうが頼むと……それはお願いと呼ばれます。
・もしあなたが女性らしさやフリルの下着をありがたがると……あなたは変態扱いされます。
・もしそれらをありがたく思わないなら……あなたはゲイです。

・もし女性に脱毛してもらい、スタイルをキープしてもらいたいなら……あなたは性差別者です。
・もし女性にしてもらわなくてもよいなら……あなたはロマンチストではありません。
・もし自分のルックスを気にするなら……あなたはナルシストです。
・もし気にしないなら……だらしない人です。
・もし女性に花を贈るなら……あなたは下心丸出しです。
・もし贈らないとすれば……気遣いが足りない男ということになります。

・もし自分の成功を誇りに思っているなら……自己中心的と言われます。
・もし誇りに思わないようであれば……大志のない人だと言われます。
・もし彼女が「今日はその気じゃない」と言うなら……彼女は疲れています。
・もしあなたが「今日はその気じゃない」と言うなら……「もう愛していないのね」と言われます。
・もしあなたのほうから何度も求めるなら……回数が多すぎと言われます。
・もしあなたのほうから求めるのをやめると……浮気を疑われます。

ここで最初の質問に戻ります。

「なぜ男は先に死ぬのか?」

答え: 「先に死にたい」

え、えと。( ̄▽ ̄;)
個人的には、めぞん一刻のクライマックスを思い出しました。

五代くんが、「響子さんの残りの人生をこの僕にください。僕と結婚してください」とプロポーズし、それに対し、響子さんが、受諾の唯一の条件として。

「お願い、一日でいいから。私より長く生きて。もう、一人じゃ生きられそうにない、から」

と返事をした有名な箇所です。

年上女房はともかく、旦那が年上で妻が年下というカップルは多いので、順番としては、男が先というのが多いのかな?

個人的には、長生きってしたくないなって思っています。なんなら、あと5年くらいで人生が終っても別にいいかなって思っているのだけれど。

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「なぜフラレた?」女が断るときのセリフとそのウラの意味10

以下、ここの引用です。

女性にフラれたことはありますか?

そのときに言われた言葉はどんなセリフでしたか。そしてそれがどんな意味を持っていたのか、実はよくわからなかったと言うことはありませんか。

女性からフラれるときの、そのセリフとウラの意味がまとめられていたのでご紹介します。

10. あなたは兄弟みたいな存在よ。
(あの本に出てきたオタクを思い出させるわ)

9. 歳の差がありすぎだわ。
(父親とやる気分はイヤよ)

8. そういう意味であなたに惹かれてるわけじゃないの。
(要はぶさいくってことよ)

7. 今、私の生活はとても複雑なの。
(あなたに一晩中いてほしくないの。他のボーイフレンドから電話が来るかもしれないでしょ)

6. もうカレがいるの。
(ネコとスイーツと過ごすほうがマシよ)

5. 同じ職場の人とは恋愛はしないの。
(同じ建物どころか、同じ太陽系内にいるのもイヤなのよ)

4. あなたのせいじゃないの。私が悪いのよ。
(悪いのはあなた)

3. 今、仕事に夢中なの。
(退屈で満たされない仕事でも、あなたよりはマシよ)

2. ずっと独身でいたいのよ。
(あなたみたいな男性なら一人でいるほうがマシよ)

1. 友達でいましょう。
(彼氏が出来たら、いろいろ相談したいわ。男性視点の意見も必要だからね)

僕が言語の意味に関心を持ったきっかけがなんだか分かったような気がします。

これらの妥当な意味分析は僕にはできないのだけれど。

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2009年8月 3日 (月)

さっぱり分からない

端から見ていると「羨ましい」と思われるのかもしれないけれど、かーなり大人数の若い女の子たちと寝食をしばらく共にしていました。

当然と言えば当然なのかもしれないけれど、女の子ちゃんたちがネコを被るのにはけっこう体力と精神力が必要みたいで、お疲れモードになってしまうとさっさと本音がドンドンと噴出してくることになります。

最初のうちは、私を質問攻めにして、そこでは一応は会話も成り立っているのだけれど、時間が経過するに従って、自分たちだけで(大声で)話しだして、それからは自分だけで会話、というかひたすら延々と話を続けるようになります。

こちらとしては、最初のほんの数分だけは話に耳を傾けもするのだけれど、そのうちめんどくさくなって、適当に相槌を打ちながら、周囲の風景に目をやるようになってしまいます。

「なー、なー、それで、それで」

「あー、こんなことあったよなー。そういえば、うちらetc etc」

「あー!もう、ほら、喋らせて!!ほら、ちょっと、もう!聴いてって〜〜〜!!!!!!!!!」

( ̄▽ ̄;)

耳がキュンキュンと痛みだすのがよく分かります。精神的にも肉体的にもちょいとぐったり。

きっとモテる人っていうのは、この種の延々と続く話にしっかりと耳を傾けられる忍耐力がある人のことを言うのだと思います。

正直な話、人間、ある一定以上の年齢になってしまえば、本質なんてそんなに変わらないのだろうし、それに本能がより剥き出しに近い形で、つまりオブラートに包むという技術をまだ身につけていない女性と接することによって、多少は、私のような不器用な人間にも女の扱い方を勉強するいい機会になるのかもしれない。

黙っていても女性を黙らせるような妖艶な外見をしているわけでもない、ごくごく平凡な容姿の私にとっては、女の扱い方というのは永遠の謎でもあるし、それに扱い方を身につけることによって、立身出世のきっかけにもなるかもしれないと考えれば、これはこれでなかなかいい勉強の機会を与えられたと言うべきなのかもしれない。

だいたいが、女性に対しては非暴力・絶対服従の立場を貫き、女性の意思は神の意志であるという想定に立っている私にとって、女性を掌で回す能力を身につける事は、対人関係を生業にする上でもきっと役に立つはずである。

いつまでも、おもちゃのような扱いを受けていてはいけないのだ(たぶん)。

そんなこんなで、まだまだ本能剥き出しの若い人たちから学ぶことはたくさんありそうな感じがする。

それに、彼らの感性はなかなか侮れない部分もあるし。

まぁ、世の中、男も女も必要なんだろなって実感した今日この頃なのでした。オスはきっと、できそこないの生物なんかではないと思う。

たぶん。

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久しぶりに行った舞洲スタジアム。Tくんは粘り強いナイスピッチングでした。

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2009年3月 8日 (日)

国際結婚について考えてみた

えと、正直、国際結婚って難しいんだろうなって思います。

文化的バックグラウンドや感覚が違うってのもあるし、言葉の問題もあるし。

たぶん信用していいのではないかと思いますが、Wikipediaの統計によれば、日本で届け出のある国際結婚をしたカップルのうち、4割強が離婚に至っているのだそうな。

さらにある統計によれば、北米で旦那アメリカorカナダ、妻日本国籍のカップルの8割近くが離婚しているとか何とか。

ふむ。

留学なんてのを経験していると、やっぱり国籍の違う男女で意気投合するケースに遭遇するのも少なくない訳です。

さらには結婚しちゃうという話も聞くことがあります。

ヨーロッパ圏、特にEU間の結婚だとそれほど障害も高くはないみたいだけれど、アジア圏とヨーロッパ圏の組み合わせってのはなかなか難しいものがありますよね。

まず第一に、どこに住むのかというのがけっこう重要な問題になってきますし。(週末に気軽に帰るなんて叶わないし)

短期的なスパンだとどこに住んでも問題ないかもしれませんが、やはり年を取ってくると、望郷の念みたいなものが沸いてくる可能性は否定できない。(両親も年を取るわけだし)

やっかいですわな。

若い間は「気が合う」という一点で勢いでできていたものも、そのうちなくなってくるのであろうということは想像に難くないし。

やれやれ。

アジア圏とヨーロッパ圏の組み合わせに関して、全くの個人的見解を述べさせてもらうと、ヨーロッパ圏のhigher educationの階級にある女性の価値観は嫌いではないです。

むしろ、気に入ることは多い。

サンプルはけっこうたくさんあるのだけれど、基本、情緒が安定していて、向上心と自立心があり、パートナーとして尊重できるような人ってけっこうおります。(まぁ、「こんな気分屋かなわんわ」という人も少なくないですけど)

イギリスにいて感じたこととして、女性の自立心が旺盛だなぁというのが強くあります。自分の経済的自立はそれとして、パートナーの年収だのステータスだのといったことにはほとんどこだわりがないという見解を持っている人は多いです。

そりゃ、さすがにプータロー(最近の言葉で言えばニート)だと尊敬できないということもあるでしょうから、「さすがに困る」とか思っているみたいだけれど、でも、基本、旦那がどれだけ稼いでetcというこだわりは日本(というか東アジア圏だな)と比べると圧倒的に低い印象がある。

女性も育児期間を除いて、基本、働きますから、家計も結婚してようが、別々です。

日本みたいに、妻が生殺与奪権を握るという家庭はすごく珍しいようです。

こういう価値観があるので、男性も基本、家事をするという人は多いです。(「基本」という言い方をしたのは、ずぼらな奴は相当数見受けられるからです)

パートナーの誕生日にはケーキを焼く、そういうことはけっこう普通に行われています。(だから、私がケーキを焼くということ自体はそれほど珍しいことでもなかった、のではないかと思います。まぁ、少数派であることには変わりありませんでしたが)

えと、特に結婚する予定も結婚願望もないのですが、もし結婚するのであれば、やはりパートナーさんには自分の生活というものをしっかり持っておいてほしいものだなと思います。

家でじっとしているのもつまらないでしょうし、子供が小さい時でもなければ家事なんてたいしたこっちゃないでしょうし。

やっぱり、いろいろと経験して、一個人として尊敬できる部分があればいいなと私は思います。

それに、やっぱり自分も相手もいつ病気に倒れるか分からないわけだし、いい大人が「人生、あなたに任せました」って態度でいるのはあまり褒められたものでもないだろうと思う。

私は家事が全然苦痛ではないし、貧乏性なせいか、偉そうにふんぞり返っているのが苦手なタイプなので、ある程度はちょこまかと動いている方が落ち着きますし。

それと、私たちの業界の常として、欧米にいた方が研究業績が上げられるという現実があります。これは、研究室や書籍というハード面でもそうだし、研究者同士の交流が盛んで、学会やワークショップが頻繁に行われていて、多くの査読付き雑誌があり、研究する時間と場所が大学から定期的に与えられるという点において、日本の大学は欧米の大学に対して大きく見劣りするからです。

日本では地位こそ安定しているものの(それこそ今の年配の先生は、仕事しまいが、教え子をレイプしようが何をしようが地位は守られるという現実が全てを物語っています)、種々の雑用が多過ぎて、研究者としては棺桶に片足を突っ込まなければならないという状況に追いやられるという現実のせいです。

最近は、その安定性すらなく、多くの若手は使い捨て期間や契約社員期間を経なければならなくなってきているようですが。

そう考えると、住めるのであれば、欧米に腰を据えるという選択肢も悪くないのではないかと思う。

おいしい御飯が食べたければ、時々帰ってくればいいわけだし、それなりに業績があれば日本のどっかから呼んでもらえることもある。

長期休暇が取れる可能性を考えれば、日本で勤めているより日本のあちこちを旅行する機会がある可能性も大きい。(日本では長期休暇が取り難いのは周知の事実ですよね)

なんだか難しい問題ではある。

まぁ、いい事尽くめというか、全てにおいて祝福されている土地はないということか。

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2009年3月 3日 (火)

初体験してしまった

えと、突然ですが、カミングアウトしてしまいます。

えとね、えとですね。こんな年になって初めてなんですが。

なんとなんと。

男にキスされてしまいましたー!

..・ヾ(。><) ギョエー!!!

とは言っても、ほっぺたにされただけなんですけど。

人間、唇の成分が男女で異なるとは非常に考え難いことなんですが、それでも随分と違和感がありました。

感触ですが、端的に言って、ナメクジがほっぺたにくっついたといった感じです。

なんかペーパータオルで拭き取っても拭き取れないような感じ。

あぁじゃぷて、くにゃらほにゃさんぱんときゃー。

これが唇にされていたことを想像してみると、なんだか食欲なくしてしまいそうですよね。

口を切り取ってしまいたくなるかも。

やっぱり、私、女性にはなれそうにないです > <

キスは美しくありたいものだと思った今日この頃なのです。

イメージ音楽

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2009年1月30日 (金)

結婚相手の条件

最近、恋バナ(そんなこと書いたことあるだろうか?)だとか、結婚(これはあるけど。茶化しながら)の話はないのですか?と言われたのが3人目になったので、なんか書こうかと思って、その手のニュースを見てみた。

理想の結婚相手の条件は?

えーっと( ̄▽ ̄;)

もう、好きにしてください。_ノフ○ グッタリ

別に私も、人様に条件云々を言えたような人間でもないですし。

ところで、旦那(夫)の収入etcという条件を結婚相手に求める傾向は日本人(もしくは中国、韓国)に圧倒的に多いですね。ヨーロッパの女性の口からその手の話を聞いた事がない。

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2009年1月18日 (日)

男女で評価が変わる

午前にバトミントンをしてから、昼にベーグルとチョコレートロールケーキをつまみ、イタリアンローストの珈琲をちょびちょびと飲む。

恥ずかしながら、今までちゃんと読んでいたなかったのだけれど、HinzenのMind Design and Minimal Syntaxを手に取って読み始める。

これがけっこうおもしろくて、一気に半分以上読んでしまいました。時間は既に夕方。キャー > <

今、書いている論文と全然関係ないので、無駄な時間を過ごしてしまったのかもしれない。

しっかし、Hinzenって今、ダラムにいるんですよね。ダラムなんて電車で50分もあれば行けるので、ちょっとアポを取ってもらおうかなと、今、けっこう本気で悩んでいます。ダラム観光もできるし。(大聖堂はハリーポッターの撮影所)。イギリスって、地味に(失礼!)実力者があちこちにいるので油断ならない。

ところで、今日は夕食時になんとなくスターダストレビューを聴いてみようと思ったのだけれど、こんなページを見つけてしまいました。

白石美帆さんが出演されているのだけれど、撮影所がロンドンなので、なんだか「地元」って感じがします。自分にとって一番馴染みがあるのはやっぱりなんといっても関西地区なのだけれど、ロンドンに対してもけっこう地元意識が芽生えてきましたね。少なくとも、東京よりずっと親近感がある。(まぁ、東京も住めば都なんだろうけど)

個人的に、白石美帆さんってけっこう好きなのだけれど、いつだったか、そのことを公言して、女性陣(確か、2人だったと記憶するが)にえらく責められてしまったことがあります。

どこで誰と話していたかはっきりとは覚えていないのだけれど(ボケたか?)、でも、やたらと攻撃されたことだけは覚えています。

「白石美帆は絶対性格が悪い」だとか、「裏がある女を見抜けないとダメ」だとか、「女を見る目がない」だとか、「あんないつも男の視線を意識している女は最低」だとか、なんかそういうことをいろいろと言われたことがあったのを記憶する。

個人的には、どうして会ったこともない芸能人の性格を知り得るのか不思議で仕方がなかったのだけれど、でも、女視点というか、女から見る女の評価ってのは、それなりに拝聴する価値がもしかするとあるのかもしれない。

と思って、何となく聞き流しておりました。

別に実際に付き合うわけでもないんだから、芸能人の性格なんてどーでもいいと思うのだけれど。

そういえば、タッチというアニメというか漫画というか、とても流行った作品があって、ヒロインの浅倉南はよく、「理想のヒロイン」の代表格のように言われている節があって、例えば明石家さんまさんなんかがよく褒めているのを見かけるのだけれど、この人も女性の評価が芳しくないので、個人的に驚いたことがあります。

なんでも、自分で達也のことが好きということを自覚しているのに、自分に気のある和也を離したくなくて、和也とつかず離れずの距離を保とうとして、学校で人気の双子を結局独り占めしようとする狡猾さが許せないとか何とか。

男の視点ではこういう評価が、それこそ予測もつかないという水準にあるのだけれど、まぁ、男の評価と女の評価ってこれほど変わるものなのかとちょっと感心しないでもなかったです。

まぁ、男と女なんて違う生き物なんでしょうね。

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2008年7月19日 (土)

男の方が大変なのかな?

えと、同業者と申しますか、敬愛しておりますところの先輩様のブログを見て、とあるおもしろいwebpageがあることを教えていただきました。

えと、腹が痛いです(笑い過ぎ)。

まずは男は女からこんな採点されていると肝に銘じよというコーナーなのですが。

もうね、「どないせい?」って話ですよね。なんで、男はこんなに苦労しなきゃいけないんでしょうかね。全く、難しいものです。

さらに。
覚えておきたい男女の会話の真の意味なんてのもあるのですが。

えと、全世界の男性を代表して言わせていただきます。

分かるか!!!

私は言語学で、意味も専門にやっているつもりですが、意味論の限界を感じました。はい。リチャード・モンタギューも草葉の陰で泣いてまっせ。ほんまに。

というわけで、全日本語リテラシーのある男性を代表して、女に必死に伝えたい男のルールの数々
を。

もうね。

お願いします。女性様。皆様。

俺たちの魂の叫びを分かって!!!(懇願)

だって、女が世界を支配したらこんなことになっちゃうんですよ!

求む!男性の権利復権!!

というわけで、せめて最後に男として生まれてきてよかった100の理由

お後がよろしいよーで。

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2008年6月18日 (水)

難しい質問だね

突然ですが、どうして世の女性の多くは「私のどこが好き?」という質問をされるのでしょうか?

推測ですが、男性でこの質問をする人ってあんまりいないですよね。

それでは、ちょっと考察。

うーん。

なんかとっかかりもつかないくらい難しいですな。

まず、人がある質問をしているわけであるから、そこには何か意図があるはずである。

単刀直入にこの質問が遂行的で、純粋にこの答えを知りたいというだけの欲求であるという想定の下で考えてみよう。

となると、どこを褒めるべきかというのが重要な課題になってくるわけである。

適切な答えをぱっぱと言えるようであれば、売れっ子ホストになれるであろうというのは想像に難くないわけであるが、やっぱり難しいですね。

女性が自分に自信を持っている箇所を的確に指摘できればいいですが、コンプレックスに感じている部分を指摘してしまったらちょっとややこしくなりそうである。

外見、もしくは身体的特徴を褒めると、「体だけが目的なのね?」とあらぬ方向ですねられる可能性もあるし、内面を褒めると、「それじゃ、かわいいって思ってないの?」と言われそうである。

外見も内面も適切に個人に合わせて褒めることが求められているわけである。

そんなもん、できまへんがな。

というわけで、このエッセイの女性読者の皆様方には、ぜひとも男性諸氏にかような難問を問いかけるような真似をするのはやめていただきたいと切に願うものである。

幸せにはなりませんぜ。

ちなみに私なら、こう返します。

「それじゃ、自分のどこが嫌い?」と質問で返す。

「○○」という返答。

「そ、でも、私はそういう○○なところも好きだよ」と言う。

って、何点ぐらいでしょうか?

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2008年6月13日 (金)

人類衰退

時は21世紀初頭。

世界では、女性が本音を語ることが望ましいとされ、再び女性運動が活発化するようになった。

特に、女性が女性として生を得たことを満喫することは推進されるべきであるという風潮が広がり、セックス時の演技は女性にとっても男性にとっても好ましくないこととされた。

この運動はインターネットを始めとする情報通信により世界中に広がり、第二次ウーマンリブと呼ばれるようになった。

この結果、10代や未婚の女性による望まない妊娠や、強姦事件などの犯罪が激減することになり、世界各国で中絶率は低下の一途を辿り、HIV感染の範囲もかなり限られるようになった。

性的に不能になる男性が続出したのである。

世界中で、男性の心理相談に応じるコンサルタントの数が激増し、性に関するあらゆる情報が金銭的価値を生じるようになった。

と同時に、引きこもりや無職になる男性の数が世界的に激増することが社会的問題を引き起こすようにもなった。

彼らの多くは10代から20代前半にかけて、自分の存在価値を見失うという傾向があった。

また、心理コンサルタントの統計によれば、彼らのトラウマとなった言葉は以下のようなものである。

「下手ねぇ」

「早いわねぇ」

「小さいわねぇ」

「なってない」

「ちゃんと手間かけて」

こうして、21世紀の半ばになると人口は激減し、世界人類の人口爆発問題は一応の解決を見たのであった。

  ショートショート完

あ、えと、まぁたしょうもないことを考えてしまいました。

いっつもこんなアホなことを考えていると思われるのもあれなので、なぜこんなしょうもないことを思いついたのかその経緯を述べますと。

実は、ちょっと村上春樹ファンの女の子と喋っていたんですね。

ま、世界的に有名な作家なので、日本人じゃなくても読んでいる人は多いのです。

それで、村上春樹の小説のキーワードって何かって話をしていたのですが。

1. パスタ

2. ビール

3. 射精

「やれやれ。僕は射精した」

・・・( ̄▽ ̄;)

当然、私は村上さんを原書で読んでいるものですから、それぞれの日本語訳を聞かれたわけですね。(可憐な乙女にしょうもない日本語を教えてしまった)

特に「やれやれ」という語幹が持つニュアンスはなかなか説明していておもしろかったですね。

「自己を客観的に分析して、ちょっと自分という人間に一歩距離をおいて、ま、しょうがねっか。運命はそう動いているんだから、それに流されよっか」という感じの、主体的でも消極的でもない視点を持った感覚。

とかなんとか言っておいたのだけれど、まぁ、いいんでしょうかね。少なくとも、「Oh boy」by Jay Rubin@Harvardが持つニュアンス以上のものを含んでいるのは確実だと思うし。

まぁ、そんな話をして、それで。

どういう経緯でこの話題にいきついたのか覚えていないのだけれど、女性は女性の嘘に絶対の自信があるのだそうである。

なんかどっかで何度か聞いたことはあるのだけれど、「女のウソ」で男を騙すのって簡単と認識されている女性は多いそうですね。

おっかにゃい。

ま、そういうわけで、「女のウソ」と春樹さんの話から、なぜかこういう話を思いついちゃったのです。想像力に乏しくてすまない。

まぁ、女性が本当にウソをついていらっしゃるのかどうかは、まだまだ心は童貞の私には知る由もないのですが。

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2008年6月 6日 (金)

アカデミック界隈の恋愛事情

えと、私本人は人様のゴシップだとか、誰と誰が付き合っているかだとか、そんなに興味はないのだけれど。

そりゃ、「お、この子、いい女だな」と思うような人に会えば、彼氏の有無は気になりますけれど、だいたい、いい年頃になっておりますし、それだけいい女だったら、恋人の一人や二人(一人であってほしいが)はいるのが普通だと思われるので、期待(?)は全然しておりません。

まぁ、こういういい女を落とす男ってどんな奴なんだろ?って興味が沸くくらいなものです。

最近もそういうことがありましたけど。

ところで、言語学だけではなくて、アカデミックの業界ってけっこう狭いので、知り合いの知り合いを辿れば、また知り合いだとかいうことがよくあります。

人様の噂話でよくネタに上るのが、誰がどこに就職したのかということと、誰と誰がつきあっているのかということ。

前者はまぁ、さもありなんって感じですが、後者の方は意外でしょ?でも、なんか、黙っていても情報はたくさん入ってきます。

基本的に女性の方がゴシップが好きな傾向はあると思うのだけれど、この業界は男性でも好きな人は多いらしく、いろいろとネタを仕入れている人がいらっしゃいます。

ちなみに噂話のタネになる人たちは、だいたい北米に留学している人たちです。

「多い」とは言っても、数が知れている上に、学会やらジャーナルやらで名前が出てくるのはこの界隈の人たちが中心ですから、話のタネにはもってこいなんですね。

ありがたいことに、イギリスに留学している人たちがネタに上がることはあんまりないようです。(私の知らない所ではあるのかもしれませんが)

まぁ、イギリス在籍の人たちの知名度が低いという現実もあるのかもしれない。

とにかくそんなこんなで、「へー、誰と誰がつきあっているんですか」という話に共通の話題が見られることは多い。

そういう交際を見破る(?)方法の一つがあります。

それは、

共同研究をしているかどうか。

ということ。

だいたい、共同の論文発表や執筆をしている人たちはパートナー同士であることが多いのです。

たまに、無関係というのもありますけど。

さらにおもしろいのが、共同研究者同士が同姓であってもパートナー同士であるということが珍しくないということですね。なぜだか知らないのだけれど、この業界は同性愛者が多いのです。

ゲイのカップルも多いのだけれど、レズビアンもいらっしゃいます。

ボストンの有名どころの著名な意味論者のお二人だとか。

そういうカミングアウトは、世間に認知させたいという欲求でもあるのでしょうか。彼ら同性愛者カップルは好んで、例文にパートナーの名前を記載することが多いのです。(具体例は省きますけど)

というわけで、論文を読んで、「あぁ(あれね)」と思いながら読むことは多いです。なんか身内の座談会っぽいことはよくあります。

そういう、二馬力で稼げるような関係っていいですよね。

でも、理論的バックグラウンドを共有していればいいですけれど、真逆だったりするとややこしそうな感じですよね。

例えば、生成文法を旦那がやっていて、認知言語学を奥方様がやっていて、家でしょっちゅう「統語論の自立性」についての議論をしていて、ある日の夫婦喧嘩の原因が、「生得的言語能力がある(ない)ことを認めてくれなかったから」だなんてことになって、離婚調停。

裁判記録に変な前例ができてしまいそうだ。

って、思いっきり身内ネタでしたね。言語学業界外の人たちを取り残しちゃってごめんなさい。

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2008年5月28日 (水)

通い妻は男の夢か?

最近ですね。なんかこんな話題について話をいたしました。

「通い妻を持つのって、男の夢だよね」

だとか、何とか。

えと、私は別に通い妻なるものを持った経験はございません。はい。基本的に経験の浅い奴なのです。

通い妻という言葉から、私が勝手なものを連想するに、金曜日の夕方なんかに部屋に遊びに来てくれてですね、それで「もう、○○くんったら、ダメねぇ」とかなんとか言いながら、ちらかった部屋を掃除して、溜まった洗濯物を洗って、それで料理なんかも持参してたり、作ってくれたりetc

なんていうのが、通い妻なのかなって、考えています。(今、手持ちの広辞苑に「通い妻」の項はなかった)

でも、なんかそれって、家政婦さんか、母親かって気にならないでもない。

人によって性格はよりけりなので、仕方ないとは思うのだけれど、私は別に通い妻なる存在は要りません。

いや、本当に。

まず、第一に、人様に汚れた部屋を見せるのは情けないという感じがする。

それが単に性別を問わず友人であろうが、恋人であろうが、ちらかった部屋を見せることは、何か自分がだらしない人間であるということを認めているような気がして仕方がないのである。

というわけで、人様が金曜日の夕方なんかに部屋に入ると、「あ、きれいだね」と思ってもらえるような状態にはしておきたいものである。

洗濯物も然りである。少々ならいいが、箱に溜まった洗濯物は人様に見せるものではない。遊びに来る前にさっさと洗濯機に放り込めばすむ話ではないか。

それに、天気のいい日に洗濯をするのはなかなか気持ちがいいことでもあるし。

まぁ、そういうことで、人様の世話にならないといけないと判断されるような状況に自分を置くのは、大層、屈辱的なことなので、基本的にそこそこちゃんとしておきたいものである。

それと、料理は、確かにちょっと一品何かを作って持って来てくれるのはありがたいことなのだけれど(こういうポイントは意外とチェックされているものだと思う。たぶん)、基本的に私は自分で作るのが嫌いではないので、これも自分で作るからいいです。逆に接待させてもらいます。リクエストなんかもあれば答えさせてもらうし。(金が入ったら、奇麗な食器とテーブルクロスと花瓶とパスタマシーンが欲しい)

「フェチ」ってのは、人によりけりで、何が好きかってのは本当に千差万別だと思うのだけれど、おいしそうな顔をして料理を食べる女性って素敵ですよね。なんか、無防備というか、かわいいという気分になってしまう。えぇ、変なフェティシズムだと思います。

実は一番印象に残るというか、「これはかわいいな」と思った芸能人の顔は、関西ローカルのとあるレストランで食事中に満面の笑顔で食事をされている桜井幸子さんの顔なんですね。あれは非常に印象的というか、素敵な顔だったのではないかと思います。

って、考えれば、私ってあんまり世話のしがいがないというか、母性本能をくすぐらない奴ですね。なんか、人の世話になるのって好きじゃないんですね。基本的に放置しておいてほしい。

これはこれで、あんまりおもしろくはないのではないだろうか。

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2007年10月27日 (土)

記憶を上書き保存する事はできません

えと、リクエスト(?)があったので、ちょっと真面目に回答します。

「昔の恋人からもらった物をどうしているか?」という話なのですが、私は別に普通に使っています。

だって、物に罪は亡いんだし。

というか、別に喧嘩して別れるだとか、嫌いになって別れるだとか、浮気して別れるだとかいった類いのドロドロとした別れ方を経験したことがないせいなのかもしれませんが。

元々、物自体、私はけっこう大事に使い続けるタイプの人間なのです。

デジカメも随分と古くなって、そろそろ新しいのが欲しいという気持ちになる事はよくありますが、まだ使えるので、使えなくなるまでこのまま買い替えるつもりはないです。(もう7年近く使っているのではあるまいか)

パソコンも携帯電話も基本的に、使えなくなるまで使うという方針が基本なので、それほど買い替えたという記憶はないです。

消しゴムやシャーペン、それに筆箱は、実はアメリカに行く前に(当時の)中学生たちからもらったものですが、まだ使えるので使っています。このまま使えなくなるまで使い続けるつもりです。

お守りの有効期限は1年ということも分かっていますが、未だにアメリカに行く前に中学生たちからもらったものを鞄の奥に忍ばせています。このまま汚くなってどうしようもなくなるまで入れておきます。

そんな奴なので、アクセサリーだとかネクタイだとか、キーケースだとか、長持ちするものはそのまま普通に後生大事に使っているわけです。

せっかく大切にしてもらおうと思ってもらったものなんだから、別にいいんじゃないだろうか。

端的に言うと、過去の人からもらったものを処分するとかいう人たちって、単に過去を過去として割り切れていないというか、過去を引きずっているだけの話のような気がする。

大多数の男性は、記憶を上書き保存することはできないので、常に別名で保存して、それぞれ別ファイルに記憶を整理しています。(時々、ごっちゃになるけど)

別にそれはそれで、過去を引きずっているだとか、未練があるとかそういうわけでもなくて、あくまで昔の話なんですよね。後で振り返って、「あ、あんなこともあったよな。(いい話だ。だとか、こんな記憶消し去りたいだとか)」と感傷に浸るだけの話。蒸し返してどうこうとか思ってないです。

縁のある場所だとか、物に触れて感傷的になるということはあるだろうけれど、まぁ、そこまでですよね。多少の感情は戻るかもしれないけれど。

私の場合、距離が原因でうまくいかなくなるということが多かったので、たぶん、過去の人と会うことは今後ないかと思います。まぁ、メールか電話くらいならセーフティーゾーンかもしれませんが。さばさばしてるのだけれど、けっこう不器用だということは自覚しているので、境界線はきっちりと引かないといけない。特に好きだった人なら、なおさら会うわけにはいかない。

私個人の意見を言わせてもらえれば、私とつきあうような女性なんだから、みんな「いい女」に決まっているので、忘れるとかけなすとか、そういうことは無理です。いい女にいい経験をさせてもらったんだから、みんなそれぞれいい思い出になっているわけです。そういうのは処分できない。

まぁ、右手左手を問わず、薬指に指輪をするのは特殊な場合のみと思っているので、指輪をもらうということだけはずっと避け続けているわけですけれど。

という回答でしたが、いかがでしたでしょうか?(真面目な恋愛論って、苦手ぢゃ)

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2007年6月17日 (日)

ジューン・ブライド

ジューン・ブライドという言い回しは日本でもけっこう有名で、「6月の花嫁」と言ってもそのまま通用しそうなくらい定着していると言っても過言ではないのではないかと思う。

日本で考えると、梅雨の蒸し暑い時期に結婚式ってなんか大変そうだな、って感じがしてしまうのですが、元々、これはヨーロッパの風習なんですよね。

語源なのだけれど、ギリシャ神話の主神ゼウスの妃であったヘラという女神が由来。

ヘラは最高位に位置する女神で、結婚・出産を司り、家庭・女性・子どもの守護神とされてきました。そのヘラが守護している月が6月。

ヘラはローマ名でユノ(Juno)だったので、英語で6月がJuneと呼ばれるようになり、また、ヘラの祭礼が6月1日に催されたことから、結婚式を6月に挙げると女神ヘラの加護を受けて生涯幸せになれるという風習が広まって、こういうことが言われるようになってきたわけですね。

だいたい、地中海性気候のギリシア近辺やヨーロッパでは、6月は夏前で特別暑いわけでもなく、心地よくて過ごしやすくて、明るさの始まりって感じがするので、結婚式にはもってこいであると言って差し支えないと思う。

ただ、こういった風習が伝わって、受け継がれていくためにはいろいろな要素が必要になってくると思うのだけれど。

気候の問題が確かに第1条件としてあると思う。

それと、私には、この時期が学校の卒業シーズンに当たるという部分も無視できない要素であると思われる。

晩婚化の日本でもそうだと思うのだけれど、大学を卒業してけっこうすぐに結婚しちゃうカップルってのはいるものである。

学生時代のつきあいって、それこそお互いに惹かれ合うかどうかという部分が大きくて、相手の家柄だの、年収だの、職業だの、年齢だの、といったリアルで生の現実をつきつけられることがあまりない部分が重要な気がする。

打算的な部分はさておき、相手の人格というか、人間性のようなものを受け止め合っている部分があるので、そういった幻想をきっちりと保持することができれば、ある程度までは現実と闘うことが可能になるのではないか、と思うのである。

なんか、最終的にはそういう打算etcがないカップルの方がうまくやっているような感じがする。(自分の知り合いなんかをサンプルにしているだけだけれど)

そういうわけで、ジューン・ブライドは卒業シーズンと重なっているから、という仮説なのだけれど、こういうのって、検証の仕様がないですね。社会学とかやってる人って、端から見るとおもしろいこと言った者勝ちって感じがしちゃうのだけれど、どうなんだろ?

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2007年5月26日 (土)

ちょっと更新

「主よ、13日の金曜日に結婚すると不幸になるというのは本当なのでしょうか?」

「勿論です。どうしてその日だけが例外であり得ましょう。」

なんて話は、あまりしないようになるのではないかと思います。

たぶん。

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2007年5月 4日 (金)

やっちゃいけないとは分かっているけれど

世の中には、やってみたいのだけれど、やっちゃいけないことってたくさんありますよね。

いや、関東の小学校では「人の嫌がることを進んでしよう」とかいうおっかないというか、日本語の不自由な先生方が考えられたんだろうなという標語を掲げている所がけっこうあるらしいのだけれど、やはり「人の嫌がること」はあまりしないにこしたことはないのではないか。

それでも、日本でやってみたいな、と思っていたのが。

腰パン履きの高校生のスボンを後ろから足でひっかけて、脱がす。

というのと。

電車内でマスカラを塗っている女性の手に触れて、ちょっと失敗させてやりたい。

って、いたずらです。いや、もちろん、そんなことすると怒られるのは分かっているのでやったことはないのですけれど。

後は、「こうすればいいのに」って思うことがけっこうあって。

ちょっと思い出したのだけれど、日本の恋愛ドラマとかって、なんか「えぇい!もどかしい!」と思うことってよくありますよね。

だいたい、男の側なんかにしてもはっきりしない優柔不断男が相場だし、言うべきことを言わないのに、言っちゃいけないことを言って話をややこしくさせてしまうし。

ヒロインはヒロインで、けっこう困った所が多くて、なぜか妙にネガティブな行動を起こして問題をこじらせてしまうし、時にワケの分からない行動を起こしてしまうし。

一度でいいからどこかのドラマでやってみて欲しかったのだけれど、ヒロインが突然飛び出してしまうといったようなシーンで、男が追いかけなければどうなるのだろうか?って想像したことはありませんか?

私は、多々ある。

例えば、東京ラブストーリー(古くてごめんなさい)で、リカが「嘘は、嘘だけは嫌!」とかって言って、泣き出して、突然部屋を出て行ってしまうことがあったのだけれど、こういうのを放置しておけばいったいどうなるのであろうか?

つまり、織田裕二に「あ、出ていっちゃった(ま、いっか。死ぬわけでなし)」って感じで開き直って、そのまま放置しておいてみて欲しいなぁと思っていたわけである。

ヒロインの方は、当然、追いかけてくるもんだと思っているはずなので、全力で捕まらない距離まで逃げ出すことを考えているわけではないだろうし。

いやね、だから、たまには、

(1) ヒロイン、泣き出して逃げ出す。

(2) パートナー。妙に落ち着いて、放置したまま。

(3) ヒロイン、後ろを見てみても追いかけていないことに違和感を持ち、

(4) 仕方がないので、一通り泣いて落ち着いてから帰宅。

(5) 何ごともなかったかのようにめでたしめでたし。

って感じの一連のストーリーがたまにはあってもいいのではあるまいかと思うわけである。(世の中いろんなカップルがいるので、こういうのが実在している可能性はあるが)

そりゃ、ラブストーリーなんだから、最初から2人が成熟していて、駆け引き上手で、しっかり者で、さっとくっついて、そのまま何もすれ違いもなく、一気にめでたしめでたし、なんて話で視聴率が取れるわけがないということぐらいは分かってますよ。

でも、問題をこじらせるためにいろいろな障害があって、そのすれ違いの一部で、絶対に

(1) ヒロインが泣き出して、飛び出す。走る速度は、男が追いつける程度の速さ。速すぎて振り切ってもダメだし、遅すぎて白々しいのもダメ。

(2) 男、追いかけていって、夜の公園で追いつく。

(3) ヒロイン、泣いて、なぜ怒ったかの説明をする。男はおどおどしながら話を聞く。

という一連の動作があるじゃないですか。

言うなれば、大木こだま・ひびきの「もー、わざわざ来てくれんでもよかったんや。言うてくれたらこっちから行きすっちゅうに」って一連の挨拶や、中田カウス・ボタンのボタンのいじくりや、宮川大助・花子の大助のいじくりといったお決まりの型や、吉本新喜劇の「邪魔するでー」「邪魔するんやったら帰ってー」「あいよー。って、なんでやねん!」といったノリ突っ込みなんかと同じで、一連の決まり切った型のように思えて仕方がないのである。

この手の、「ヒロイン飛び出し」の型で、典型的でないパターンは、たまに男がヒロインを見失うことがあるくらいで、基本的な型は同じであると申し上げて間違いはなかろう。

だいたい、変化がないのである。

野球のピッチングなんかにしても、松坂大輔レベルのキレのある剛速球があっても、変化球がないと投球は組み立てられないのである。緩い変化球は必要であるはずだ。

というわけで、たまには、「お、なんかちょっと違うな」ということがあってもいいのではないかと思う。

それこそ、たまには男が部屋を飛び出すことがあってもいいのではないかと思う。(その時には、男が追いかけてもらえないような気がするのは気のせいなのだろうか)

まぁ、そういうわけで、実際に女性に飛び出されるようなことをされても、放置したりするようなことをしてはいけないのだろうけれど、一度放置しておいてみたいな、というアンビバレントな感情がちょこっとあるのです。

でも、やったことはないです。少なくとも、今までの人生においては。

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2007年4月18日 (水)

僕の恋人を紹介します

えーと、最近、ずっと長い時間を一緒に重ねているパートナーがいます。

たぶん、恋人と呼んでもいいんじゃないかな?

だって、1日に10時間以上一緒の時間を過ごすということも珍しくないし、ここ最近はずっと10時間前後一緒に過ごしていますし。

個人的に、私は「みくちゃん」と呼んでいます。

みくちゃんをずっと見つめていると、目がくらくらしてきてしまうこともよくあります。

耳の奥で、ちょっと「キーン」という音が鳴り、軽い目眩がしてしまうこともめずらしいことではありません。

あまりに長い時間一緒にいると頭もくらくらしてきてしまうので、そんな時にはちょっと離れて大学構内を散歩してくるのですが、すぐに近くに戻ってくるようにしています。

「恋は盲目」と申しますが、本当にそうだと思います。みくちゃんと出会ったせいで、いろいろなものが見えにくくなってきてしまいました。

みくちゃんと出会ったのはイギリスに来てからなのですが、そのせいで視力が左右0.1ずつ落ちてしまっているのではないかと思います。

みくちゃんはけっこう扱いづらい子なのです。

でも、何でも自分の言いなりになってしまうパートナーより、ちょっとわがままで、融通が利かなくて、扱いづらいパートナーの方が、壁を乗り越えた時の喜びなんかもありますし、新たな発見なんかもあったり、刺激的で楽しいのではないかと思います。

みくちゃんは気分屋さんなので、ちょっとしたことで調子が悪くなります。

機嫌が悪くなると動かなくなってしまうのです。

ご機嫌を取るためには、常に全体に気を配ってやらないといけない。パートナーから注意を逸らしてはいけないのです。

みくちゃんがどれだけデリケートなのかと言えば、例えば、「}」を一つ忘れてしまっただけで、機嫌を損ねて動かなくなってしまったり、綴りを間違えて「\textsc」とすべきところを「\texsc」ってしてしまっただけで、拗ねてしまうのです。(注:gb4eを使用している)

他にも、「ここでいいやん」って言っても、「ここじゃ、ダメよ」って言われてしまいます。環境に拘りがあるのです。(例えば、数学記号をdocumentにそのまま書くと機嫌を損ねるので$で括って数学環境にしてやらないといけない)

初めはそんな繊細で気分屋のみくちゃんに振り回されてばっかりだったのですが、最近はようやく扱いにも慣れて、ちょっと機嫌が悪くなっても「もう、しょうのない子だな」って感じでなだめてやることが容易になりました。やっぱり、いろいろなハードルは乗り越えられるものです。

そんなややこしいみくちゃんですが、どこが好きなのかと言われると、やっぱり「きれいなところですね」。

本当に美しい。

それに謙虚な所もあるので容量も食わないんですよ。けっこう慎ましやかな所がある。

みくちゃんとはイギリスで出会いましたが、出身はアメリカなんです。

それで、本名、というかフルネームはMikTeXと言います。

あと2年くらい付き合おうかなって思っています。

はい。

タイプセッティングシステムのことでした。

ちゃん。

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2007年4月15日 (日)

結婚の条件とかいう話って嫌いなんですよ

正直に言うと、結婚なんてどうでもよくて、特別結婚したいわけでも、したくないわけでもなかった。

まぁ、20代では結婚しないぞとかいうよく分からない信念みたいなものがあって、どうやらそれは遵守されることになりそうです。

この業界の人間は、シビアなパーセンテージを前に、常に高学歴フリーターになる可能性を考慮に入れておかなければならないので、現実問題として、就職が見えてこなければその手の問題は考える必要がないというか、考える資格もないと思われる。

厳しいけれど、それが現実。愛で飯が食えるわけでもないし。

かように経済という根幹から目を逸らすこともないし、あらゆる種類の現実的な問題を適切な問題として捉えるだけの理性はずっと持ち合わせているのだけれど、所謂、結婚の条件etcという話を耳にするだけで、異常な嫌悪感を覚えることがある。(だから、茶化して遊んでいる)

一部上場企業のサラリーマンか、公務員で、年収がいくらでetc etc

はいはい、もうお腹いっぱい。

こういう「条件」なるもので、人間の価値を判断するということに関して、ある種の違和感や嫌悪感を感じる人というのは少なくないのではあるまいか。

経済力や社会的地位を身につけることによって、多くの異性を惹きつけることができるということに関しては疑いの余地がないし、そのことは別に否定するわけではない。

しかし、そういったもののみを重要視する態度にはやはり辟易してしまうのである。

この種の気持ち悪さは、女性の身体を性欲処理の機械のごとく見なすような違和感と類似している所があるように思える。

我々、人間には自分が理性的動物であると信じたいという本能的欲求があるように思える。

そういう欲求があるからこそ、生存に関わる欲求以上の物を自分が求め、求められているという実感をどこかに欲しているのであろう。

言うまでもなく、結婚という制度は現実とのせめぎ合いである。

そこに理想が関わる余地はあまりない。

しかしながら、結婚に至る前提としての恋愛においては、理想が十全に機能を果たすことができる。

このプロセスを体験できるかどうか、これは理性的動物として生きていくことが許されるかどうかというけっこう重要な問題を孕んでいるのではあるまいか。

理性的動物の特殊能力として、記号能力というものがある。

広義で使っているのだが、要するに幻想的な実態のない鵺のようなものに、我々人間は価値を見いだすことができるということである。

「愛」と呼ばれる感情がそれである。

ある人間がある人間を「特別」だと思うとき、そこに明確な根拠はない。

「世界で一人の」という唯一的存在を認識する根拠を見つけることは難しい。

例えば、世界で一番かっこいい(美しい)という人を決断するのは難しい。

何人か候補に挙げられる人はいるかと思われるが、そういった候補に名も上がらないのが99.99%以上の人たちである。

だいたい、容姿ほど相対的な問題はない。

世界で一番頭がいいという人を決断するのは難しい。

資本主義社会なので、最も金を稼ぎ出す人が一番賢いというのであればビル・ゲイツになるが、アカデミック系やクリエイター系なんかを含めて考え出すと途方もない候補が挙がる。

それでも、候補にすら名が挙がらないのが99.99%の人たちである。

世界で一番運動神経がいいだとか、絵がうまいだとか、歌がうまいだとかその手の問題になるともはや絶望的である。

そういった種々の、ある人を唯一的、絶対的存在たらしめる条件が多々あるのにもかかわらず、そういった候補に全く名を連ねることがないのが圧倒的多数の人間であるはずである。(99.99%じゃすまないだろう)

しかしながら、恋愛という妄想的精神病理にとりつかれている人たちにとって、それぞれのパートナーは、自分にとって特別な唯一の人だと考えることができる。

そういった極めて主観的な基準で定められる人間の評価基準は「人間性」と呼ばれる。

恋愛が極端なほどに人に喜怒哀楽という感情を植え付ける力がある理由に、それの判断基準が「人間性」という人間を理知的生物に繋ぎ止める強固な根拠に支えられているからに他ならない。

自分という一介の人間から「人間性」なるものを抽出し、それを認め、評価してくれる人がいれば至高の喜びにつながるのであろうし、人間性の否定につながる失恋は人をどん底に陥れる力を持つ。

そういった人間性なるものを評価してくれる人がいるのであれば、自分の命すら捧げても惜しくはないと思うのであろうし、そういった物に無関心で、評価しようともしないような態度の人間に対しては、ある種の気味悪さまで感じてしまうのであろう。

私が「結婚の条件etc」のみを問題にする姿勢に嫌悪感を持つのはそのためである。

自分に社会的地位と経済力があった頃に知り合ったパートナーと、自分に何もない頃に知り合ったパートナーとどちらに信頼が置けるかという問題は問う必要もないのではないか。

何もない時に評価してくれる人には、何だってするし、しようと思うし、できると思う。そんな大事な人を離そうとか考える人って、たぶんいないんじゃないかな。

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2007年3月22日 (木)

関西人の彼氏を持つ全ての女性へ

女性って、ある程度、彼氏さんと仲良くなると(結婚とか考えるようになると)、彼氏さんの友人なんかに紹介してもらいたい、もしくは友人を紹介して欲しいと思うようになるものなのだそうである。(かと言って、逆ってあんまり聞かないな。彼氏さんが、彼女さんの友人を紹介して欲しいとか。って、火種の元になるのではないかという気がしないでもないですが)

それはそれでよいことである、のかもしれない。たぶん。

おいらは詳しいことはよく考えると知らないのだけれど、関東だとか別の文化圏だとこういうことがあってもいいのかもしれない。

それこそ、彼氏さんの友人を複数(2,3人)連れて来て、一緒に飲んで、いろいろと話をして。

たぶん、「友人の俺が保証するよ。きっとこいつだったら○○ちゃん、幸せにしてくれるって」。

などといった上辺を取り繕った優しい言葉が投げかけられるのであろう(それが本音なのかどうかは知らないが)。

それで、彼氏さんの友人に会った女性は満足、「あ、やっぱりこの人でよかったんだ」という誤解確信を深められるに相違ないはずなのである。

それで二人は時を経ず不幸な幸せな結婚への第一歩を踏み出されるわけである。

こういった習慣は誠に喜ばしいことなのかもしれないが、ちょっと頭に入れておいて欲しいことがある。

このサイトを見てくださっている関西圏以外の女性は、心して聞いておいていただきたい(今回のエッセイは、本当に有益な情報である可能性がある)。

もし、仮にあなたの彼氏さんが関西人で、それで友人に会いたいという願望をお持ちなのであれば、その前によくよく考えてから会われることをお薦めする。

というのも、実際に(紹介されたこともあるが)友人の、その彼女さんが関西圏以外の出身である場合に、ほぼ例外なく不安を抱えて宴を去るという場面を私も何度も目撃してきているからである(私がその一因になっていることも、もちろんある)。

関西人の彼氏さんをお持ちの女性が、その友人に会うときには、以下の2つの条件のどちらかを満たしている場合に限っておいた方がいい。

1つは、その彼氏さんと結婚することがほぼ決まっている場合。

もう1つは、別に別れてもいいやという場合。

仲良くなって、二人が意気投合、ちょうど二人がいい雰囲気などというタイミングでは、できれば会わない方がいい。きっと、不安を抱えることになる。

関西人の彼氏さんの友人に会うメリットとしては、こういうのがある。

それは。

彼氏さんの意外な側面を知ることができる。

ということ。

そりゃ、今日日、人生20年以上生きていれば人に知られたくない過去の一つや二つはあるはずである。

仮に彼氏さんが「自分の過去」と称していろいろなことを語ってくれたとしても、それは彼氏さんというフィルターがかかっていることには注意したい。

人は様々な情報を取捨選択して、自分にとって不利な情報を、自分にとって惹きつけたい相手に対して提示するということは極めて考えにくいからである。

関西人は、基本的に上辺だけの情報というものを嫌う傾向にある。

彼らのモットーはざっくばらん、さらに欲を言えば、いかにして笑いのネタにするかというものである。

ということで、彼らは洗いざらい、彼氏さんが彼女さんだけには隠しておきたかった過去の秘密やら失態やらを包み隠すことなく暴いてくれることであろう。

それは失敗やら恥ずかしい体験であればあるほど確実に語られる可能性がある。いや、むしろ尾ひれがついて、多少、エスカレートした形で情報が提供されることになるのは間違いない。

宴もたけなわになれば、そのうち本音の1つや2つが出てくることになる。

そこでは、間違いなく

「友人の俺が保証するって。こんな奴と結婚するのだけはやめとけって。俺が女やったら、こいつとだけは絶対、結婚せぇへんわ

とか、

「まだ、結納済ませただけで、籍は入れてないんやろ?じゃ、まだ間に合うって。考え直すんやったら今のウチやで。悪いこと言わんから、やめとき。絶対、後悔するで!

とかいった経験的証拠に基づいたアドバイスが提示されることになるであろう。

実際、私が目にした彼女さんたちも、話を聞いている間に不安げな表情を浮かべ、そのうち開き直りに入り、「家に帰ったら、反省会ね!」といったような訓告を彼氏さんに告げられる、というのがごくごくありきたりな風景となっている。

関西人は、仲が良ければいいほど、洗いざらいなんでもかんでもぶちまけてしまうという性格と、その場がおもしろくなればいいという刹那的な発想から逃れることができないため、きっと彼らの口から心温まるような励ましの言葉がかけられることはないであろう。

そういった言葉をかけてほしければ、結婚式の披露宴の時のみ(二次会パーティーになると逆戻り)に期待されたい。

これはこういうコミュニケーションの形というだけであって、別に二人の中を破綻させたいとかいう邪心はないことにも注意して欲しい。むしろ、その場を楽しんで欲しいというサービス精神から来ているのだということを理解していただければ幸いである。

というわけで、関西人の彼氏さんの友人に会うときには、彼氏さんの、本人からは決して語られることはないであろうという過去を聞くことができる代わりに、いろいろと覚悟する必要もあるので、ぜひ、会う前に熟考されることをお薦めする。

驚愕するのだけは間違いないと思う。

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2007年3月13日 (火)

男にもてる方法

大多数の男という生き物は困ったことに、素敵な女性に「凄い」とか言われて、褒められたいなどと思っているのである。

まったく、不躾というか、身の程知らずというか何というか。

残念ながら、そのほとんどの男に褒めるだけの価値がないということを女性の多くはだいたい20歳前後で悟られるようである。

現に、30歳や40歳を越えられると、ほとんどの女性が男性の本質を見分けられる審美眼を身につけられるせいか、彼女たちの口から男性を褒めるような言葉なんて出てこないではないか。

独身女性だと「周りにいい男がいないのよねぇ」と、自分が男という生き物の底の浅さを早い段階から見透かしてしまった頭の良さのせいで諦め悟りの境地に達していらっしゃられるようだし、既婚者であっても、「亭主元気で留守がいい」という格言がまかり通っているように、男には動くATM以上の役割がないということを見抜かれているわけである。

しかし、そういう中身のない男を褒められるかどうかというのも女性の器量の一つだと思うわけである。

若い頃の盲目純真さはどうした?当時は、同級生やちょっと年上の先輩に対して驚嘆の声を惜しまなかったし、20代のちょっと大人な香りのする男性に対して、一種の憧れのような感情を抱いていたのではなかったのか?

世の中、褒めようと思えば何でも褒められるはずである。要は考え方次第なのだ。かように歪んだ本質ばっかりを見ていても、世の中幸せにはなれないはずだ。

なぁに、褒めようと思えば何でも褒められるものである。

扉がキィキィと音を立てるような古くさい扉であっても、「趣がありますね」と言うことはできるし、完璧に時代遅れな建物や車であっても「レトロですね」と言うこともできる。

一昔前のファッションをしている人に対して「ハイカラですね」と言って褒めることもできるし、頭が禿げている人に対しては、「空気抵抗を減らしているんですね」だとか、「シャンプーを使わなくていいので、環境に優しい人ですね」と言うこともできるではないか。

要は視点、評価基準の問題なのである。その気になれば、ゴキブリや生ゴミだって賞賛することができるはずだ。それに、ゴキブリや生ゴミを賞賛できるだけの器量があれば、そこらじゅうの男を褒めることだって、難しくはないはずである。

たぶん。

あ、でも、とにかくですね。

真実に対する欲望を捨てることによって、いくらかの男性の好意を集め、幸せになることは可能なのではないかと思います。

自信はないけど。

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2007年3月 3日 (土)

Backtranslation

Backtranslationというのをご存知だろうか?

要するに翻訳しなおすということなのだけれど。

例えば、村上春樹さんの小説が英語の翻訳されたとして、その英語の翻訳を再度日本語に訳し直すようなことを言うわけである。

必然的に2人の翻訳者の思考回路を辿り治すわけであるから、その文章が変更されるさまはけっこう楽しいものがあるわけである。

それこそ、同じ文体のものが見つかることの方が珍しいと言っても過言ではないくらい。

こういうのって、大学の教養英語でやっているとなかなか楽しそうだな、と個人的には思っているので、いつかお遊びがてらにやってみたいと考えているのだけれど。

翻訳機ってのは、なかなか難しいもので、その翻訳内容を読んでいるだけでもけっこう楽しいのだけれど、やはり、「日本語→韓国語」などのように文法体系が似通っているものだと、けっこう原文の意味はつかめるのだけれど、「日本語→英語」などのように文法体系からして全く異なる言語同士の翻訳ってのはなかなか難しいものがある。

最近では、エキサイト翻訳なるものがあって、そこであれこれいじると楽しいのだけれど、この際、Backtranslationしたものをここで掲載してみることにしよう。

原文は、かれこれ300名以上の女性読者が感涙に打ち震えた、感動のスペクタクルに巻き込んだと呼ばれるこのサイト発の名文、「結婚の条件」をサンプルにしたいと思う。(全文は後述)

まずは、「日本語→英語→日本語」のルートを辿ってきたbacktranlationから。

『最近の若い人に関して、増加して、結婚しない(したいと思いません)人々の数はそうするかもしれません。

本当に、それは嘆かわしいです。

前のサイトWizardFieldさえ: それですが、私の結婚への熱い熱意が繰り返して書いているとしてあります。 私は、随筆のなどを「結婚について徹底的に感嘆すること」に読み込んで欲しいと思います。確実に熱い熱意に謝意の涙を助けることができないように思えます。それは予定されます。(それをサイトの一部に関するイギリスのウェブサイトからアクセスにします)Itはしたがって、社会が再び問題になると思わなければならないようになります。

初めに、相手への状態が厳しいのは、原因であるかもしれません。

例えば、それはニュースから掲示板に貼られる感じのために掲示板に飛ばされたリンクを相次いで持つために示されて、次に、ある女性側から状態を「願望だけが妥協した」という男性に示されました。 それは以下です。

大学を率います。州。国家であって公共です。早くに。中立。バリア。バリア。名門一家。個人的。大学。学歴。持っています。

2. それが低いかもしれないので地方公務員などが安定している一流企業か職業的なカテゴリの高収入に付きます。

3. 平均より多くの面相。

4. 少なくとも話す日常会話を交換することができるように範囲の簡単を持っています。

5. 暴力などは活発ではありません。 そのうえ、それはギャンブルをうまくはめ込みません。

6. それは長男にならないでしょう。

それがあった趣旨のそれを移すのにおいて可能でないResはものにおけるこの意見のためにこれらの他の女性の6つの状態だけに戻りました。

本当にしたがって、ちょっと分かりやすいように、概算しましょう。まず、容易におよそ30花盛りの歳の独身男性の人口について計算するために、それは1000万人の人と見積もられるでしょう。

そこで「名門一家」になると、それは最初に、1の状態ですが、学校に進んでいる対4番目の年生大学のレートはおよそ10%およそ40%になります。 したがって、それは最初のバリアの100万人の人まで減少するでしょう。

次に、それは2の状態でしたが、「安定している」という言葉はちょっと難しいです。 それは現在の日本経済の荷物です、そして、金融機関にはそれが危険なYeu FJD調和、など、およびそれらをもってあります、そして、危険の噂が時代過剰の前に出て来たので、ここでの評価には、Sひざ、S Takeshiによる非常に難しい方があります。D IaM. それは名門一家であったかもしれませんが。

スチール写真…およそいつができるだけゆるく見積もるか。

およそ30%のフリーターと失業者がこの頃は出かけたかもしれないので、東京大学や、京都大学や、大阪大学などの古い皇帝多人数のクラスではも、慌ただしい雇用への上記を1の状態の人々に割り当てる可能性はわずかであるに違いありません。 上記の大きいHがなじみ深く、およそ30%が連続しているのが、サンプルであるので、そこで手荒く見積もる雇用を得ると思いましょう。 そうするなら、2に関する必要条件を満たす人は30万人の人になります。

また、3も紛らわしいです。 「平均より多く」の失言が純粋に捕らえられて、願望だけがここで妥協して、OKに半分以上を作ると、それはオンの場合の3への分割と内部になります。 そうするなら、3番目のバリアをきれいにした男性は15万人の人になります。

・・・

さらに、行きましょう。 それは4の状態ですが、これはちょっと容易に急速に判断されません。 口が女性によく合わせられているのが、男性であり、半数が、それが当分の間本当にこの似ていると考えます。 (そうかもしれない)4番目のバリアをきれいにした男性は75000人の人になります。

・・・

5状態に行きましょう。 正直なところ、かなり、である思えるので(それは伝聞ですが)それをギャンブルにすべて、半数の形で合わせた後に暴力をふるう人は可能性まで見積もりたがっています。 そして、37500人の人には5番目のバリアをきれいにした男性がいます。

さて、混乱させて、もっとも、初めにそれによる「最初の人は長男であること」が6番目の厄介なバリアであり、それが運命であるかもしれないことが混乱させられているということです。 長男でない人々は概算で確信しています。およそ30%ここでそれになるとき、なるように。 5状態はそれになるならクリアした人々から手荒く見積もられました、そして、それはおよそ12500人の人の計算になりました。

1000万人の人からの外で碁を始め始めたので、これらの6つの必要条件を満たす人の比率はまさしくその

1/800です。

・・・・

または、状態がさまざまにあると思われますが、そのような状態が欠乏で取り組んでいるとき、女性が典型の男性を見つけるようにほとんどほぼ奇跡にはそれが別に、「家事を手伝って欲しい」ということであるか「子供の世話をすることができる人であり、それが欲しいです」がそれであるのでそれを適用しながらあると思われる、「いくつかのプレー心に関して、」 「事を持たないで欲しく」なるようにあなたが欲しいです、またはそれは「それが優しい人です、そして、願ってやまないこと」。

女性の小さい願望さえいっぱいにすることができない男性の数が増加したのは、十分嘆かわしいです。 終わりまでこれらの状態が「最大の譲歩」であったものであるので、それでも、それは受け皿です。

他方では、男性の側から女性まで望んでいるという最も少ない条件について考えましょう。 あなたが私が殴ったという5つの条件を列挙するなら

1. すてきななどであるので、それは、美人か図優雅です。

2. キャラクタは良いに違いありません。

3. それを実行します。

4. 家事はすることができるべきです。

5. それを支持します。

それは5飲酒になります。 見えます。これらの状態に反対するとても多くの男性でなくなるように。 そして、同じくらい先でまた、1000万人の人から花盛りの年令の独身の女性の人口について概算で計算したいと思います。

まず、それは1の状態ですが、すべての女性が美しいです。 これは絶対にそれが疑問を保持するのさえ許可されていない無双だけの不可侵の真実です。 女性は「それはおもしろいです」ように思えるのに顕微鏡(できれば電子顕微鏡)で観測されるべきであるお勧めです。 それは美で複雑に絡み合っているセル組織が機を織るのに驚くのを確信しているのを確信しています。 したがって、最初のバリアを超える女性は1000万人の人になります。

2番目のバリアに行きましょう。 したがっても、この状態は純粋ですが、すべての女性の心は純粋です。 それはまたこれが疑問を保持するべきでないAxiom(原理)のようにものです。 表現「女性⇔純粋さ」は厳密に成立します。 表現「女性≡純粋さ」によって覚えていられるのがお勧めである、見える、「それはおもしろいです」。 表現他の「女性∋純粋さ」は成ります。 確実に、それは、客観的なインデックスが「純粋さ」という言葉で終わらないのを実際に感じることができるべきです。 したがって、また、2番目のバリアを超える女性は1000万人の人になります。

三番目に、行きましょう。 マスターへの外まで運んで、などは本当に、それが考えられる必要はないということです。 したがって、また、3番目のバリアを超える女性は1000万人の人になります。

4番目に、行きましょう。 得る、それが可能である組み合わせの1つは安くて、美味しい状態でして、aクリーナーがこの頃はあれば、また、インスタント食品は高められて、食器はアラですか?言うこと。 それは最高になります。Ki、そして、コンビニエンスストア。 それは女性がこの頃は家事が上手であるか否かに関係なく、尋ねるナンセンスです。 したがって、この状態は不問に固定されています。 したがって、また、4番目のバリアを超える女性は1000万人の人になります。

五番目に、行きましょう。 それはマスターを支持するかどうか尋ねるばかげた質問です。 したがって、最終的なバリアを超える女性は1000万人の人になります。

1000万人の人が、男性の側から望んでいるのを最も少ない状態から取り除いているのに至ります。 割合に応じて行くなら、それは100%です。

結婚してください。その結果、男性にはそれが原因のすべてで悪くいる、それらの数、だれ、最近、厳しくて、数学のテクニックを固持していて、使用する分析から理解されるとして、増加したか。 素晴らしい状態で研究されて、いつも様々なKimiを配置する望みを結びつけないことはそうです。社会で望ましくない影響があれば結婚が気にするのについて。 確実に。それ。, それは、長い間研究と異ならないように確かです。ふさわしい…

そうかもしれない

恐らく

そして

・・・・・・ またあって、ものがそのようなものが知られているか否かに関係なく、いいえが知

られている。』

ってな、感じです。ワケ分からないですよね。

それでは、次は「日本語→韓国語→日本語」のルートを辿ってきたbacktranslationを。

このごろの若者は結婚をしない(あるいはしたがらない) 人々が増加していると言う.

本当になげかわしいのだ.

私の結婚に対する熱い情熱は, 私はサイト Wizard's Fieldでも繰り返して使っていたとおりだが(エッセイの 「結婚を載せなさいとイルウングチァンミする」 などを読んで見てくださったらと思う.必ずその熱い情熱に感激の涙を禁ずることができないと考えられる.付け加えて一部のサイトは英語 websiteからアクセスできるように(ように) する予定だ), かくも社会問題化して来ればもう一度, また思わなければ中になられているようだ.

まず持って, 相手に対する条件が厳格だと言うことも一要因かも知れない.

例えば, ニュースから掲示板にリンクが付けていて, と言う感じで順に明かされるに掲示板で飛んだのが, そこである女性側での 「思った以後に妥協した」男性への条件が現われていた.それは以下のようなのだ.

1. 一流大学, あるいは地方国公立及びゾギョングジョオチ, 法学中立, グァングァン町立レベルの名門私立大学の学歴を持つこと.

2. 一流企業の高収入, あるいは低くても良いから地方公務員等の安定した職種に付いていること.

3. 平均以上のルクスであること.

4. 少なくとも日常会話を取り交わすことができる位の話しやすさを持っていること.

5. 暴力等を発揮することはない.また, ギャンブルに耽らない.

6. 長男ではないこと.

(これ)というので, 他の女性もこの意見に対してこれら 6個の条件だけは譲歩することができないと言った主旨のレスが戻っていたのだ.

果たして.

そのため, よく分かりやすく概算をして見よう.

まず, 30 前後の妙令の独身男性の人口を計算しやすく 10,000,000人で推測して見る事にする.

まず 1の条件だが, 4 年生大学への進学率自体40% 前後のことだから, そこから 「名門」と言うようになれば10% 位というのになる.よって, 1 関門で 1,000,000人で減少してしまうようになる.

次に 2の条件だが, 「安定した」と言うことが少し難しい.一昔前なら, Dイエイ, M, Sかむ名門だった指導分からないが, 今は日本経済の荷で, FJ D火等が危ない金融機関, そこに Sニロさえ危ないと言ううわさが立ったゴッイダから, ここの評価はとても難しいのがある.

とにかく, それなのに大略的に, できるだけ緩く推測して見れば.

このごろは東京大学, 京都台, 大阪大学等だと言う救済国大学クラスでも30% 前後のプリタ, 無職が出ているとハヌンがドル , 上記 1の条件の人々が適当にの就職ができる可能性だと言うことも些細なことであるでしょう.上記の H台が親密なサンプルなので, そこから概算日おおよそ30%が真面な就職をしていると考えて見よう.このようにすれば, 2の条件を満たす人は 300,000人だということになる.

3度難しい.純粋に 「平均以上」と言う言葉尻を把握すれば右に・ナカ・の下の 3 分割というのになるが, ここは思った以後に妥協して半分以上は okにしよう.それでは, 3 関門をクリア一男性は 150,000人だということになる.

・・・

いっそうもっと行こう.4の条件だが, これは少し甲子期は判断しにくい.まず, 女性と装う合わせることができる人間だが, これも果して半数はあるようだ.(多分)(これ)と言うことは, 4 関門をクリア一男性は 75,000人だということになりますね.

・・・

5個目の条件に行きましょう.実は, 潜在的に暴力を振るうとかする人はかなりいると真書(間接的専門だと言うが), ギャンブルと合わせればやっぱり半数と言う形態で推測して見たい.それなら第5 関門をクリア一男性は 37,500人だと言う五になる.

ところが, 厄介な第6の関門だが, まず持って 「イルインヌンは長男」であるのを運命を決めることができていることが難しい.そのようになれば, ここも概算で長男ではない人々は30% 前後というのになるでしょう.なれば, 5個目の条件をクリア一人々から概算して, おおよそ 12,500人だと言う計算になった.

最初は 10,000,000人から始めたので, これら 6個の条件を満たす人の割合はおおよそ 800分の 1ののだ.

・・・・

その他にも 「家事を助けたら良いだろう」と 「子供の面倒さを見られる人だったら良いだろう」と 「多少のいたずらっ気はあれば良いだろう」と 「浮気はしなければ良い」と 「優しい人であったらと思う」と付けたい条件はいろいろあると思うことができるが, そのように言った条件も合わせれば女性において以上の男性を捜し出すことはほとんど奇蹟に近いと思うことができる.

女性のやや小さい所望さえ満たすことができない男性が増加してしまったことは, 切実になげかわしいのだ.このような条件はどこまでも 「最大限譲歩」したことインことののためより一層そうだ.

これに対して, 男性の横から女性に望む最低条件に対しても考えて見よう.私が思い出す条件を 5個聞いて見れば

1. 美人, あるいは可愛いなど顔つき端麗であること.

2. 性格が良いこと.

3. 全部してくれること.

4. 家事が生ずること.

5. 支持してくれること.

5になる.このような条件に反対する男性はあまりいないと考えられる.それでは, 部屋金銭のように妙令の独身女性の人口を 10,000,000人から概算で計算して行きたい.

まず, 1の条件だが, 女性は皆美しい.これは疑問を増えなかったことさえ容赦されない唯一絶対無二の不可侵の真理だ.「変だ」と考えられる方燎微鏡(できれば電子燎微鏡)で女性が観察されることをお勧めする.必ずその複雑に縛られた細胞組職が構成する美しさに驚愕ドエヌンに上位ないだろう.そのため, 1 関門を突破した女性は 10,000,000人だということになる.

2 関門に行って見よう.この条件もそうだが, 女性の心は皆, 清くてきれいだ.これも疑問を抱く必要がない Axiom(公利)のようなのだ.「女性⇔Kiyoshi等か」と言う冷えた厳密に成り立つのだ.「変だ」と考えられる方 「女性≡Kiyoshi等か」と言う式で憶えることができることをお勧めする.その他にも 「女性∋Kiyoshi等か」と言う食餌成立される.必ず, Kiyoshi等か」と言うことには客観的な指標が通用しないと言うことを実感することができるでしょう.そのため, 2 関門を突破した女性も 10,000,000人だということになる.

3に行こう.ご主人に力をつくすことなど考察する必要もない事実だ.よって, 3 関門を突破した女性も 10,000,000人だということになる.

4に行こう.このごろは清掃機もあれば, 後片付け期もあるだけではなく, スーパーやコンビニへ行けば成果合意のが安くておいしく手に入って来るだけでなく, インスタント食品も充実する.このごろ, 女性に家事が生ずるかを問うことはナンセンスであることだ.そのため, この条件は不問に添付.よって, 4 関門を突破した女性も 10,000,000人だということになる.

5に行こう.ご主人を支持するかなどと問うことは愚かな質問だ.よって, 最終関門も突破した女性は 10,000,000人だということになる.

その言葉は, 妙令の女性 10,000,000鼻の下, 10,000,000人が男性の横から眺める最低条件をクリアしていることになる.パーセンテージに行けば 100%であるゴッインダ.

そのため, 徹底的にした, 一方厳密な数学的手法を利用しただけ石からも分かるとおり, このごろの結婚しない人々が多くなった原因の皆は男性に罪がある.もし, 結婚しないことが社会像, 望ましくない影響があることだと言えば, 男性諸君には心日結婚の立派さを普段から学習されることを望む.それは必ず, 勉強はよりずっと価値があることに上位ないだろう.

多分.

多分.

どうすれば.

とにかく, そんな事もあるかも, 知れない, 載せますね・・・・・・』

といった案配なのだけれど、韓国語の方は、まだ原文のニュアンスというか意図が留められているような気がする。

なお、原文は以下の通りです。(英語サイトからアクセス可能なのです)

『昨今の若者は結婚をしない(もしくはしたがらない)人たちが増えているそうである。

誠に嘆かわしいことである。

私の結婚に対する熱い情熱は、前サイトWizard's Fieldでも繰り返し書いていた通りだが(エッセイの「結婚をとことん賛美する」などを読んでみていただきたい。きっとその熱い情熱に感涙を禁じ得ないと思われる。なお、一部のサイトは英語websiteからアクセスできるようにする予定である)、こうも社会問題化してくるともう一度、考え直さなくてはならなくなってきているようである。

まずもって、相手に対する条件が厳しいというのも一因なのかもしれない。

例えば、ニュースから掲示板にリンクが貼ってあって、という感じで芋づる式に掲示板に飛んでいったのが、そこである女性側からの「おもいっきり妥協した」男性への条件が示されてあった。それは以下のようなものである。

1. 一流大学、もしくは地方国公立および早慶上智、明法中立、関関同立レヴェルの名門私立大学の学歴を持つこと。

2. 一流企業の高収入、もしくは低くてもいいから地方公務員などの安定した職種についていること。

3. 平均以上のルックスであること。

4. せめて日常会話が交わせる程度の話しやすさを有していること。

5. 暴力などをふるったりしない。また、ギャンブルにはまらない。

6. 長男ではないこと。

というもので、他の女性もこの意見に対してこれら6つの条件だけは譲れないといった旨のレスが返ってきていたのである。

なるほど。

というわけで、ちょっと分かりやすいように概算をしてみよう。

まず、30前後の妙齢の独身男性の人口を計算しやすいように10,000,000人と見積もってみることにする。

まず1の条件だが、4年生大学への進学率自体40%前後なのであるから、そこから「名門」ということになると10%程度ということになる。よって、第1関門で1,000,000人に減ってしまうことになる。

次に2の条件だが、「安定した」という言葉がちょっと難しい。一昔前なら、Dイエー、M越、S武なんかは名門だったかもしれないが、今では日本経済のお荷物だし、ユーFJやD和などの危ない金融機関、それにSニーですら危ういという噂が出てきたのであるから、ここの評価は非常に難しいものがある。

まぁ、それでも大まかに、できるだけ緩く見積もってみると。

今時は東大、京大、阪大などといった旧帝大クラスでも30%前後のフリーター、無職が出ているそうであるから、上記1の条件の人たちがそこそこの職に就ける可能性というのも微々たるものであるはずである。上記のH大が身近なサンプルなので、そこから概算しておよそ30%がまともな職に就いていると考えてみよう。こうすれば、2の条件を満たす人は300,000人ということになる。

3もややこしい。純粋に「平均以上」という言葉尻を捉えると上・中・下の3分割ということになるが、ここはおもいっきり妥協して半分以上はokということにしよう。そうすれば、第3関門をクリアした男性は150,000人ということになる。

・・・

さらにいこう。4の条件だが、これはちょっとにわかには判断しがたい。とりあえず、女性とうまく口を合わせられる人間なのだが、これもさすがに半数はいるような気がする。(たぶん)ということは、第4関門をクリアした男性は75,000人ということになりますね。

・・・

5つめの条件に行きましょう。実は、潜在的に暴力をふるったりする人ってけっこういるそうなので(また聞きなのだけれど)、ギャンブルと合わせるとやっぱり半数という形で見積もってみたい。そうすると第5関門をクリアした男性は37,500人というこになる。

さて、やっかいな第6の関門だが、まずもって「一人目は長男」であることが運命づけられているのがややこしい。となると、ここも概算で長男ではない人たちは30%前後ということになるはずである。となれば、5つめの条件をクリアした人たちから概算して、およそ12,500人という計算になった。

出だしは10,000,000人から始めたので、これら6つの条件を満たす人の割合はなんと800分の1なのである。

・・・・

他にも「家事を手伝って欲しい」だとか「子供の面倒を見れる人であって欲しい」だとか「多少の遊び心はあってほしい」だとか「浮気はしないでほしい」だとか「優しい人であってほしい」だとかつけたい条件は様々あると考えられるが、そういった条件も合わせると女性にとって理想の男性を見つけるのはほぼ奇跡に近いと考えられる。

女性のささやかな願望すら満たすことのできない男性が増えてしまったのは、つくづく嘆かわしいことである。これらの条件はあくまで「最大限譲歩」したものなのであるからなおさらである。

これに対して、男性の側から女性に望む最低条件についても考えてみよう。私が思いつく条件を5つ挙げてみれば

1. 美人、もしくはかわいいなど容姿端麗であること。

2. 性格がいいこと。

3. 尽くしてくれること。

4. 家事ができること。

5. 支えてくれること。

の5つになる。これらの条件に反対する男性はあまりいないように思われる。それでは、先ほどと同じく妙齢の独身女性の人口を10,000,000人から概算で計算していきたいと思う。

まず、1の条件であるが、女性は皆美しい。これは疑問を抱くことすら許されない唯一絶対無二の不可侵の真理である。「おかしい」と思われる方には顕微鏡(できれば電子顕微鏡)で女性を観察されることをお勧めする。きっとその複雑に絡み合った細胞組織が織りなす美しさに驚愕されるに相違ないはずである。というわけで、第1関門を突破した女性は10,000,000人ということになる。

第2関門に行ってみよう。この条件もそうだが、女性の心は皆、清らかである。このことも疑問を抱く必要のないAxiom(公理)のようなものである。「女性⇔清らか」という式は厳密に成立するのである。「おかしい」と思われる方には「女性∋清らか(women are members of set `kiyoraka'」という式で覚えられることをお勧めする。きっと、「清らか」という言葉には客観的な指標が通用しないということが実感できるはずである。というわけで、第2関門を突破した女性も10,000,000人ということになる。

第3に行こう。旦那に尽くすということなど考察する必要もない事実である。よって、第3関門を突破した女性も10,000,000人ということになる。

第4に行こう。今時は掃除機もあれば、食器洗い機もある上に、スーパーやコンビニに行けば出来合のものが安くおいしく手に入る上に、インスタント食品も充実している。今時、女性に家事ができるかどうかを問うのはナンセンスなのである。というわけで、この条件は不問に付す。よって、第4関門を突破した女性も10,000,000人ということになる。

第5に行こう。旦那を支えるかどうかなどと問うのは愚問である。よって、最終関門も突破した女性は10,000,000人ということになる。

ということは、妙齢の女性10,000,000人中、10,000,000人が男性の側から望む最低条件をクリアしているということになる。パーセンテージでいけば100%なのである。

というわけで、徹底した、かつ厳密な数学的手法を用いた分析からも分かるとおり、昨今の結婚しない人たちが増えてきた原因の全ては男性に非がある。もし、結婚しないことが社会上、好ましくない影響があるのだとすれば、男性諸君には心して結婚の素晴らしさを日頃から学習されることを望む。それはきっと、勉強なんかよりずっと価値のあることに相違ないはずである。

たぶん。

おそらく。

もしかすると。

まぁ、そんなこともあるのかも、しれない、よね・・・・・・・ 』

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2007年2月27日 (火)

男が惹かれる女のしぐさ

女は男のこういうところに惹かれる!とかいって、なんだか巷でいろいろと言われていることってありますよね。

去年までヨークにいたその手の話に積極的な女の子によれば、スーツ姿で、車のマニュアル車に乗ってきて(クラッチ操作する時の手がたまらないらしい)、バックで駐車をバシッと決められるとたまらないのだそうである。

まぁ、これら3つの話ってよく耳にしますよね。

スーツ姿が似合うのがいいとか、車の複雑な運転(って言ってもたかだかギアチェンジなのだけれど)をさくっとこなして、それで、縦列駐車、後方移動はお手の物、と。

他にもドアをさりげなく開けるとか、道路の歩きにくい方を歩くとか、時々「ドキッ」とするしぐさってのがあるのだそうです。

あっしはどれがどうなのかって、もちろん分からないですし、あまり意識することもないのですが。(男性のある種のしぐさに「ドキッ」とすれば、それはそれでちょっと困る)

あっしのような鈍感人間だと、せいぜい、清潔にするとか、扉を開かせないとか、見苦しい食べ方をしないとか、女性より先に席に着かないとか、携帯電話の電源を切るとか、そういうことぐらいにしか気がつきません。(あとは、ウェイターさんが案内してくれる場合には後方で、いない場合には前方で、とか。あと、なんだっけ?)

まぁ、「ドキッ」とくるしぐさを狙ってやっているようだと、それはそれで嫌らしいというか、嫌みったらしいような気がしないでもないので、基本的にあんまり意識してません。ごめんなさい。

じゃぁ、逆にpracticalな情報かもしれませんが、男が惹かれる女のしぐさってどんなのがあるのでしょうか?

まぁ、おいらが男なので、勝手に男代表で話を進めてみると。

1つだけ、アメリカンジョークのような身も蓋もないような真実があるのだけれど、これはまさか巷で実行するわけにもいかないので、ちょっと自粛。というわけで、思いついたものを箇条書きにしてみると。

(1) 上目遣い

これはよく言われていることだけれど、あっしはあんまり好きではないです。なんだか、媚びるような目線ってあまり好きではない。まぁ、おいらが背が低いので、あんまり上目遣いをされたことがないというのもあるのかもしれない。

(2) 「すごーい!」とか褒め言葉を1オクターブ上げて言う。

これもあんまり好きではなくて、何度も「すごいすごい」とか聞いていると、なんだかちょっと、という気分になってしまう。この言葉を言うのが効果的な人は、女性の側もそれなりに凄いことをやっている人で、こちらが一目置いているような人だと、効果はてきめんです。その場合には、こちらも悪い気がしない。だから、使う人を選ぶと言えばいいのだろうか。

(3) すねる。

これは高等技術が必要で、よっぽど上手な人以外ははっきり言ってマイナス効果です。狙ってやっているという意図が垣間見えた時点で、「うーわっ!」って感じになります。自信がなければやめておきませう。

(4) 「わかんなーい」とか言って甘えてみる。

同上

(5) 二の腕を掴んで、ゆさゆさと揺すぶって何かをねだる。

これは意外と効果覿面です。たぶん。揺すられている間に、頭の栓も緩んでくるような錯角をしてしまう。

などといろいろと考えてしまいましたが、どれもイマイチですね。

でも、とっておきというか、「これは!」というのが1つありますよ。

それは、ですね。

(6) 笑顔

そのかわいい笑顔だったら、神様だって味方するよ。

というわけで、今日の話はこれまで。

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2007年1月14日 (日)

結婚相手として男性に求められている条件

「夫が妻にとって大事なのは、ただ夫が留守の時だけである」 ドストエフスキー

とある人から、「恋愛、結婚関係のトピックまだですか?」というリクエストを受けてしまったので、まぁ、また何か思いついたことを書きます。(というか、書きながら物を考えている)

私の文章のような常々、結婚という制度を褒め称えている文章を読んでいると、思わず結婚に対する憧れが生じてきたり、未来への希望が生じてきたり、深い共感を得てしまったりするということは想像に難くないわけであるが、それでは、昨今の結婚相手に求められる条件という物を考察してみたい。

配偶者を見つけるということは、繁殖上、有利な立場に立つかどうかという問題と直結しており、それだけに相手に求める条件の多数意見は時代時代の世相を反映しているものと考えて間違いはなさそうである。

一昔前、「3高」という言葉が流行ったのは有名な事実である。

結婚相手(この場合、対象は男性に限られているが)に求める条件として、「高学歴、高収入、高身長」というものが挙げられていた。

身分制度というものが廃止され、階級が完全に固定化されていない日本において、学歴の高低はそれこそ社会階層を写す鏡のようなものであり、ワインのラベル、商品の値札のような役割を果たしているという事実が一つにはあるのだと思われる。

高収入は言わずもがな、安定した、贅沢な暮らしを望んでいる率直な願望の反映である。

高身長ということに関しては、これは容姿という問題と直結しており、旦那がアクセサリー的役割を果たす面があり、他の女性との比較において、自分の配偶者が外見的にも優れているということを誇示するためには必要不可欠な要素だったのであろう。

それに加えて、昨今では「3低」という条件もあるらしい。

「低姿勢、低依存、低リスク」の3つなのだそうである。

低姿勢は、相手に対して威圧的ではなく、真摯で、女性を持ち上げる態度のことを言うのだそうである。

低依存は、家事などの役割を女性に求めず、またプライベートでもよりかからないようにすることを言うのだそうである。

低リスクは、スキルや技術があるか、もしくは公務員など安定収入が見込める職種に就いているかどうかを考慮するものなのだそうである。

端的にまとめると、贅沢はできないものの、確実に自分に上納金を貢ぎ、日常生活に関与せず、また、そういった自分の立場に不満を表明しない真面目な納税者のような役割が求められているわけである。

「3高」時代には、男とそれなりにコミットしていこうとする姿勢が見られたものの、恋愛結婚制度が続くようになり、つきあいを続けるに足る価値のある男性がいないということがばれてきたのであろうか、昨今の「3低」時代における男性に求められる条件は、まさにサバイバルのための条件、踏み台、宿主とも言うべきものである。

それらに加えて、「3C」なる条件も考慮されるようになってきたそうである。

これは「Comfortable, Communicative, Cooperative」の3つの英単語の頭文字を取ったものであるそうだ。

この言葉を提唱したのは、フェミニストの小倉千加子という人なのだそうだが、その人によればComfortableを満たす条件として、「年収700万円」というものが挙げられているのだそうである。(出典が「結婚の条件」という本らしい)

年収700万円という基準は、30前の正社員において、3%弱の比率と言われている。この数値を「派遣、アルバイト」にまで広げると、そのパーセンテージたるや、天文学的数値に達するということは容易に想像がつくところである。

さらにCommunicativeは、女性の扱いに長け、常に心地よくさせてくれる心根というもののことであり、Cooperativeは、定職を持ち、700万円以上の稼ぎがあるにも関わらず、家事等を分担してくれるような人のことを言うのだそうである。

幕末に諸外国から通商条約をつきつけられた江戸幕府、ハルノートをつきつけられた戦前の日本政府の心情を察してみたくなるのであるが、これらが現在の男性に求められている条件なのであるから、現実を見つめないわけにはいかない。

「独身者とは妻を見つけないことに成功した男である」 プレヴォー

「正しい結婚の基礎は相互の誤解にある」 ワイルド

「裕福な独身者には重税が課されるべきであろう。 ある人間が他人よりも幸福であるというのは不公平だ」 ワイルド

「男と女とが結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まる」 ロミュビルュス

「結婚は死と同じである。取り越し苦労は無用である」 ヘラルド

「結婚式もお葬式も同じようなものです。違うのは、もらったお花の香りを自分でかげることくらいよ」 ハンセン

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2007年1月 2日 (火)

結婚願望について

結婚式なんかに出て、それでもっていろいろな親戚の人と顔を合わせてみると、結婚を急かされるというか、懇願されるようなこともあるし、下手すれば見合い相手を持ってこようとするような年配の方がいるのは否定できないし、まぁ、その程度のことは予想していたわけだけれど。

それに加えて、先輩方や友人の姉妹なんかを結婚相手候補として紹介するetcなんて話もあるし、女性の側が結婚を前提に紹介して欲しいectなんて話すら伺うこともある。

そんでもって、中学時代の同級生に鉢合わせて、「私と結婚して!」なんて話すら耳にすることもある。(親子揃って「どうですか?」とか、なんか不動産物件を紹介するような口調で喋られるのはやめていただきたひ)

というわけで、最近、「結婚」という言葉が私の耳をついて離れない。

ちょっといい機会なので、ここで正直に私個人の結婚願望について述べてみたいと思う。

まずもって、私は正直に言うと別に「結婚したい」と思っているわけではない。

「結婚したくない」とも思っているわけでもないのだけれど。

昨今の日本では、婚姻制度の成立に当たって恋愛というものが大きな要素を占めているということは否定できない。

一昔前では、家と家との結びつきということで、政治的意図の下に結婚が進められたり、生活の必要上なんかもあったりしてくっついていたというのが事実であったわけである。

恋愛して、それでうまくいって結婚というケースの方がまれであって、むしろうまくいく婚姻というのは、とりあえずくっついて、それで会ってみればうまくいったといった状況であったわけである。

現在の状況は幸運なことでもあるし、不幸なことでもある。

たとえ一時的なものであったとしても、恋に落ちた男女が結ばれるということは双方にとって喜ばしいということは確かである。そういった選択権が自由に行使できるようになった状況は一見、幸運であるようにも思える。

ただ、一方で、恋愛する資格は万人に与えられたとしても、その能力が伴わない人たちというのが間違いなく存在するというのも事実である。

昨今の社会学の用語を借りれば「恋愛弱者」と呼ばれる人たちのことである。容姿、性格、経済状況など様々な要因によって、セックスアピールを決定的に欠いている人たちが少なくない程度に存在していることは事実である。

人間が生物の一個体として、繁殖することが望ましいという前提に立つのであれば、自由恋愛が許容される社会が繁栄することは原理的にありえないことになる。

なぜなら、必ず一定数の個体の恋愛弱者が生産されることはほぼ間違いない事実であるからである。一人一人の人間を「違うもの」として人が認識している以上、そこでなんらかの差異が作られてしまうことは避けられないことである。

これらの差異がセックスアピールにつながる個体は、繁殖上、有利な立場に立てるのであろうし、つながらない個体は子孫が残せないということになる。

というわけで、自由恋愛が標榜されている社会にとって、パートナーを見つけることは生存上、有利か不利かというものさしで図るべき事柄であって、誰も彼もに幸せな結婚が保証されているわけでもないのである。

そういうことを考慮してみると、私は今後、生存戦略上、どうしても婚姻制度に頼らなければならないという状況にあるわけではない。(自分ひとり食べていける程度の金はなんらかの形で稼げると思うし、家事も人一倍やっていると思われるし)

かといって、特別結婚に憧れがあるわけでもない。(誰でもいいからウェディングドレスを着た女性と一緒に歩いてみたいとか思っているわけでもない)

もちろん、独り身の自由さというものと引き換えに、いつまでも独身でいれば、多少世間の目が冷たくなるということもあるであろうし、「若さ」という武器が年々確実に衰えていくという面があるのも否定できない事実である。

ただ、経済的損得勘定から言えば、独り身でいるほうが得策であるということはほぼ間違いないようにも思われる。

そういうわけで、恋愛弱者かもしれないので、結婚できなければ、まぁ、それでいいやって感じだし、数年でも幻想を見させてくれるような相手が見つかれば(それこそ交通事故にでもあうような出会いがあれば。あと、自分が好きになった人とうまくいくようになった、とか)結婚したいかなぁという消極的に結婚願望を持っている人間なのである。

ただ、このurlでしょっちゅう話題にしているほど、別段、結婚に興味とか関心があるわけでもないというのも事実なのだけれど。

まぁ、なるようになるでしょ。

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2006年12月31日 (日)

結婚と権力

毎年12月30日に忘年会というか飲み会というか過激派の集会みたいなものをやっている。

けっこう恒例で、今回で10回前後になるのではあるまいか。

学校の教師をやっている人間なんかもいるので、昨今の学校現場の話なんかを耳にすることもある。

授業中に枕が飛んでくるとか、ワカメちゃんみたいにパンツやら何やらをむき出しにしている女生徒がけっこういるとか、学祭でノンスタイルという若手芸人を呼んだものの、騒ぎすぎてネタをやる前に帰られてしまっただとかetc

文科省の指導で、彼らに対して教師が何かを注意したり指導したりする権限はもはや与えられておらず、修学旅行に行っても何かを注意するのはバスガイドだけとかいう状態なのだそうである。(教師が何かをしたり言ったりすれば、戒告処分が待ち受けているのだそうである)

トップダウンで好き勝手に言うのは簡単なのだけれど、現場の人たちは格闘されておられるのである。暖かく見守っていきたいものである。

出席者の平均年齢なんかが上昇してきているので、そろそろ既婚者の数も増えてきているわけだけれど、そこで必然的に結婚生活についての話なんかを耳にする機会も増えてくるわけである。

大学生の頃はけっこうやんちゃをやってきた人たちが集まっているのだけれど、彼らも今では静かになってしまったというか、奥様にすっかり飼いならされてしまっているのがおもしろいところではある。

私の記憶が確かならば、女性はかよわい存在で守るべきものなどという風潮がまかり通っていたはずなのだけれど、既婚者の人間関係において、ほぼ例外なく女性の方が権力を握っているのはなぜなのであろうか?

最近でこそ、この「女性がかよわい」という言説が誤りなのではないかという意見も口にすることができるようになってきたものの、真実はまさに正反対なのではないかと言うことができるように思える。

言うまでもなく、「否定」と「逆」は違うものである。

「notかよわい」という言説では「かよわい」という言葉が否定されているのみであり、もしかすると対等程度には強いのかもしれないというニュアンスが含意される。

一方、「かよわいの逆」ということになれば、「強い」ということになる。「逆」という言葉の意味は「逆」という関係が成立するということである。単なる言説の否定とはわけが違う。

奥様方は、家庭内における予算案の決定権を握っておられるし(旦那は与えられた案に対して、納得するだけのことである。ちょうど、政体における内閣・国会の役割を女性が果たし、男性が天皇だと言えば分かりやすいのではあるまいか。家庭の名義や国家の名義を旦那、天皇が名乗っているのにも関わらず、実権はないわけである)、あらゆる行為・行動の発言・決定権を握っておられる。

家庭内における生殺与奪はすべて、奥様方の掌にあるわけである。旦那はその上で踊ることが許されるのみなのだ。

実にたくましいことである。

女性は若い頃は、男性に頼って、男性にいろいろと教わってリードしてもらいたいという幻想を抱いているそうであるが、やがて交際を重ねるうちに、どんな男性も頼るに足りないということを経験的に学習されるわけである。

そうやって、彼女たちはやがて自分たちが実権を握るようになり、結婚する頃にはもはや旦那に何かを頼ろうという心構えが微塵もなくなってしまっているということなのであろう。

やがて、抑圧される立場に追い込まれた旦那たちは、彼女たちの独裁権力による決定権も自分が権力を握っていた時代と大差ないということを実感しつつ、家庭、国家といったレベルで集団が衰退していくことを眺めるようになるわけである。

こうして、私は日本経済が来年も不況から脱却することはないということを確信したのであった。

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2006年12月 6日 (水)

甘える男性

女に女同士のつきあいがあるように、男にも男同士のつきあいってのがあって。

まぁ、男が女に見せる顔と男に見せる顔に二面性がある(逆も然り)のはある意味当然だとは思うのだけれど、時々、女性目線ならではというか、世の中にはいろいろな男性がいるものだと感心させられることがよくあります。

基本、男同士ではあんまり弱音を吐かないし、ましてや男の友人に甘えたりするようなことってないので、ある種、「へー、男の人ってけっこう甘えん坊なんだ」と思ってしまうことも多々あります。

「男は結婚相手に理想の母親を求めている」なんて言説があるけれど、その意味がなんとなく分かることがある。

「お前も甘えてるんじゃないのか?」って突っ込みが入りそうだけれど、私はどうも小さい頃から人に甘えたりするのって苦手なので、そういうことはやったことがありません。(本当に)

だいたい、母親自体、あんまり甘えられるタイプの人でもなくて、わりと物心ついた頃からというか、小さい頃から愚痴に耳を貸したり、「しょうがねぇなぁ」って感じのつきあい方をしてきたので、もしかするとうまく甘えられる方法を身につけられなかったのかもしれない。

それと人にものを頼んだり、ねだったりすることも苦手で、両親の話によれば、小さい頃から、お祭りや七五三や初詣や買い物に行ったときに「○○買ってetc」といったおねだりを全くしたことがなくて、じっと黙ってついてきていただけのお子様だったようです。

ただ、一度だけお願いしたことがあるのを覚えていて。

幼少の頃、近くに公園があって、よくサッカーやドッジボールなんかをしていたのだけれど、友人同士で使っていたボールにちゃんとしたサッカーボールがなくて(ゴム製の安いのを使っていた)、誕生日が近づいていた時に、父親にサッカーボールを買って欲しいと頼んだら、すぐに近くのおもちゃ屋さんに連れて行ってもらって、モルテンのサッカーボール(キャプテン翼のスポンサーだったので知っていた)を小さな空気入れごと買ってもらったことがあるのを覚えている。

これはけっこう嬉しくて、それこそ使えなくなるまで使い切ったのだけれど。

まぁ、そういうわけで人に甘えるのも頼るのも苦手な上に、人に何かしてもらうとかいうのもけっこう苦手です。

そういう一風変わった性格なので、「え!こいつが?」って男が妙に女性に対して甘えているetcとかいう話を耳に挟むとけっこう衝撃的というかおもしろかったりするのです。

いや、愚痴を言うとか、泣くとか、膝枕をしてもらいたがるとか、そういう予想の範囲内のことなら別にいいのだけれど、なぜか「赤ちゃん言葉になる」とかいう人ってたまにいるそうですね。

いやいや、本当に。

他にも「ニャ」口調になるとか(メールとか文章ではなく口語)、語尾に変な言葉がつくとか。

世の殿方にはもうちょっとしっかりしていただきたいとかいう話も聞いたことがあるのだけれど、確かに私も一度、赤ちゃん言葉ではないけれど、赤ちゃんに話しかけるような言葉で喋っていたカップルを耳にしたことがある。

花見のシーズンで人で混雑していた河原町なのだけれど、私の前を歩いていたカップルの男性が「はぃ、危ないでちゅよ。のきまちょうねぇ」などと彼女に言っていたのを耳にして、

「お前!ここに座れ!!!(正座じゃ)」

と言ってやりたくなったことがあるのを覚えている。

・・・

つきあう前後で、どうも態度が豹変しちゃう人って男女問わずいるそうだけれど、こういう女性目線の男性観察ってけっこうおもしろいですよね。なんだか「え?そんなこと考えてたの?」ってギャップが凄く新鮮でちょっとした発見をした気になってしまう。

認識論なんかで、観察者である人間が認識しなければ椅子や机も存在しないことになるetcという哲学の初歩なんかがあったりするけれど、こういう人間の一面もそういうものなのかもしれない。

私はまだまだ知らないことが多いようである。

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2006年11月22日 (水)

男を釣ろう

ヨークには中華街みたいなのがなくて、和食や中華や韓国・朝鮮料理なんかの材料を仕入れたければ、普通リーズまで行くか、ネットショップで買うか、もしくは韓国系の人が経営しているCostcutterという大学構内にもある店で材料を調達することになります。

ところが最近、Oriental Shopなるものができて、ちょこっと覗いてきたのだけれど、まぁ、小さい所にアジア系の食材がちょこっと並んでいたりする。

個人的には味噌汁だとか、そういった類の物を増やして欲しいのだけれど、経営者と思しきおじさんは韓国人みたいで、韓国・朝鮮料理なんかはけっこう種類が豊富です。

でも、ハングル文字が読めないので、何をどうして良いんだかさっぱり。

とりあえずラーメンを少しとおたふくの焼きそばソースを購入しちゃいました。

中華麺はMarks and SpencerにもSainsburyにもおいてあるし、もやしは手にはいるし。

豚の細切れが手に入らないのだけれど、ぶつ切りみたいなのはあるし、別にシーフードミックスでも代用は可能である。

関西人なので、粉物と焼きそばにはめちゃくちゃうるさいです。

焼きそばのソースですが、私はおたふくソースとウスターソースを混ぜて使います。

おたふくは甘みがあっておいしいのだけれど、それだけだと甘すぎるのでウスターも配合させます。ただ、ウスターソースは加熱し過ぎるとちょっと妙な辛さを出してしまうので、量と焼き加減に注意しないといけない。ただし、うまく使えば本当に絶妙な味になるのでおたふくだけには頼りたくないのです。

基本はこれで、ベースには豚かシーフードを使います。

鶏は使えなくはないですが、ちょっと水分が欠けているような感じがしちゃうし、牛はちょっと臭みがとれないのと、炒めすぎると硬くなるのでダメ。

野菜はもやしのみ、もしくは少量のキャベツを用いますが、こっちのキャベツは固くてロールキャベツなんかの煮物にしか使えないので使用しません。とりあえず、焼きそばでもやしを欠かすことはできない。うまく配合させると絶妙な味になります。

ここで、女性読者に耳寄りなお知らせ。

男を釣るのに最適な、簡単で、男受けのいい焼きそばの作り方を教えましょう。(私は脂っこいのが苦手なので、ちょっとだけ食べるのが好きなのですが、これは非常に男受けがいいです。保証します)

まず、普通に焼きそばを作ります。(気楽に作ってください。これは多少の失敗がリカバーできる優れものなのです)ただし、味は少しだけ、心持ち濃いめにしてください。

鉄板なら空いたスペースに、フライパンならとりあえず焼きそばを皿に上げ、フライパンにラードをちょっと多めに入れ加熱します。

そこにできあがった焼きそばを混ぜます。すると、そばの麺のいくつかが油で揚がってぱりぱりになります。

できあがりの熱い焼きそばを皿に上げ、頂上に大きなくぼみを作り、そこに生卵を落としてできあがり。

パリパリしたそばと卵の組み合わせが絶品で、これは大半の男が気に入る料理です。しかも、ビール、日本酒からワインといったあらゆるお酒との相性も抜群。

男を釣るにはまず胃袋から、旦那を家にくくりつけておくには餌付けが一番と申します。これは私が野郎共に作ってやることがあった料理の一つですが、みんながみんな凄い勢いで食べてくれるので、けっこう気持ちがいいのです。

そういや、私くらいまで年齢を重ねると女性から恋愛相談の一つや二つ持ちかけられたことはあるのだけれど(とは言っても、仕事上の中高生が大半だな・・・)、こういうものに対する返答ってけっこう難しい。

私に聞いている時点で彼女たちの恋愛偏差値は推して知るべしなのであるが、それでも私は男の端くれなので、それなりに男の心理は分かる。

実は、男を釣る効果的な方法の一つや二つは断言できるのだけれど、それを言うとさすがにちょっと、というか、若い女の子たちを前に言えないようなことも多かったりするので、ある程度オブラートに包んで話をすることはありました。

まぁ、一つ例を挙げると。

ちょこっとだけ効果的(会心の一撃は無理)なのは、色声というか、声のトーンを1オクターブ上げられるかどうかというものである。

成熟した女性として、間然するところがない存在に、母親というものがある。

彼女たちはとりあえず男を捕まえることに成功したハンターたちである。ということは、ある程度の能力を有していたと考えるのは難しくない。

母親という人たちが例外なくできる能力として、電話の受け答えで声のトーンを上げ、若い女性のような声を出すというものがある。

最近は携帯電話の普及のせいで、若い子たちは女の子の実家に電話をかけるという経験をあまりしていないということは嘆かわしい限りであるが、とにかく母親と呼ばれるような人たちが電話口で応対しても「あれ?本人(娘さん)?」と思ってしまうようなトーンで喋ることができるのは特筆すべきことである。特に関西出身の男性陣は目当ての女の子に電話したはずなのに、母親の電話の相手をさせられたという経験を少なからず持っているはずだ。(私はしょっちゅうだった)

母親と呼ばれる女性たちは間違いなく、男に媚びるというか、声のトーンを上げ、甘い声を出すことができるわけである。この能力はバカにしてはいけない。

というわけで、甘い声で話しかけることができるかどうかは基本能力の一つなのでしっかりと身につけておくようにと説教していたわけである。(その後、私が練習台にさせられたのは言うまでもない)

なんて思ったけれど、私が会話の主導権を握っているのは第1クォーターくらいなもので、残り3クォーターくらいは彼女たちが好き勝手喋ってすっきりしていっただけのような気もするのだけれど。

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2006年11月13日 (月)

過去の記憶

ある種の比喩ですが、恋人との記憶を男性は「名前を付けて保存」、女性は「上書き保存」するって言いますよね。

ある種、上書き保存できる記憶体系って羨ましくもあるのですが、一方でそういう記憶体系になっているのはありがたくも思える。

だって、いつまでも引きずられてしまうと、男性側としても気後れしてしまうものだからである。せめて、幸せになってくれたらそれでいいのではないかと思う。

「名前を付けて保存」ってのはある種、言い得て妙なのかもしれない。確かに、ファイルを別々にしてフォルダごとに記憶をしまっている節があるというのは否定できない。

こういうのは過去を引きずっているとかそういうことではなくて、単に思い出として保管してあるだけのことなのである。

それ自体は、悪いことではないのではないかと思う。

女性の多くの人は、現在の恋人のことだけを考えるべきだと思われるかもしれないけれど、いろいろなつきあいだとか体験なんかを通して、学ぶことも多かったわけだし、大きくなれた面があるという事実は否定できないと思われるのである。

いかなプレイボーイでも様々な失敗や落胆を乗り越えて、いろいろな学習を重ねてきているわけである。失敗から何かを学ぶのは人間の学習形態の典型的パターンの1つであるはずだ。

それにいろいろと成長させてもらって、いろいろと貴重な時間を過ごさせてもらって、それで1つの人格を形作ってきたわけであるから、そういった自分の過去をまるごと否定することもないのではないかと思う。

そういった積み重ねを経てきた人間を好きになったわけであるから、その人間の骨肉となった経験そのものまで否定してしまう必要もないように思えるのである。現在は現在、過去は過去の話なのである。

過去を振り返って、それで過去が変わることもないわけだし、どうせなら先を見据えておいた方が効率的なのではないかと思うのである。

まぁ、記憶がすぐに上書き保存できるなら、精神衛生上好ましいのかもしれないけれど。

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2006年11月 6日 (月)

つきあうということ

毎年11月5日前後になると、イギリスのあちこちで花火が打ち上げられるのだそうです。

というわけで、最近はあちこちで空襲なのかというくらいの爆破音が聞こえてきてやかましいのです。

まぁ、簡単に説明すると1605年11月5日にGuy Fawkesというカトリック教徒がジェームズ1世以下、国会議員を全員火薬で皆殺しにしようとした未遂事件があって、それから紆余曲折があって(人形を燃やしたりするイベントがいつのまにやら花火の打ち上げということになって。あ、日本語サイトがあったので詳しいことを知りたい方はこちらへ。http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/victims/fawkes/fawkes.htm)、花火をあちこちでやるようになったそうです。

ちなみに「guy」という語源はこの人からなのだそうで。

花火自体はけっこう大きな打ち上げ花火ですが、日本のそれよりはあまり凝ってないというか所詮イギリスレベルといった感じなのですが、音だけはやかましいです。

ご多分に漏れず子供たちがはしゃぎまわって、暴れております。まぁ、子供なんて喧しいものなんだから仕方がない。

最近は手軽に花火が購入できるようになったので、2週間前後こういった花火が続くそうです。

スティーブと「喧しいな」といって喋っていて、ついでに「日本でこういったことはないのか?」と聞かれたので、まぁ、日本の花火大会について由来からいろいろと説明したりしたわけです。(なぜ、「たーまやー」とか店の名前を言ったりするのか、とか。歴史だとか)

日本では、地方自治体が主催して、それで大きな花火を専門家たちが決まった時間に打ち上げて、見栄えの良い場所に店が出たりして、そういった祭りみたいな感じになるって話をしたわけだけれど、スティーブは「楽しそうで、いいね。そういった方が好きだよ。こっちのはてんでバラバラで五月蠅いだけだ」って感想。

この意見には同意する。

正直、今の私のような年齢になると、花火大会なんて人の集まる暑くて不便な場所には行きたくないとかいう年寄りみたいな感想を持つのだけれど、花火大会って中学・高校時代なんかにはけっこうなステータスを持ってたりするわけですよね?

浴衣を着た女の子と一緒に行ってみたり。

最近の中学・高校生の男女交際についてあまり詳しいところまでは知らないのだけれど、少なくとも私ぐらいの世代だと、けっこうプラトニックラヴしていたので、それはそれでいい思い出だったりします。

私ぐらいの世代の人たちが中学生だった頃は、花火大会に女の子と手をつないで歩くというだけでけっこう緊張したものなのです。

思うのだけれど、恋人関係というか「つきあう」っていう関係を定義するのってけっこう難しいですよね。

例えば、私たちのようなプラトニック世代だと、わりと男の子、女の子に体育館の裏なんかに呼び出されて「つきあってください」とかいって告白したりされたり、電話(携帯電話ではない!)で告白されたり、ラブレターなんてのもまだ生きていました。

特に人気のない所に呼び出す、呼び出されるってけっこう緊張しますよね。まぁ、ぎこちないけれどいろいろなことがあったりしたわけです。

中高時代(まぁ、高校時代が変遷期なんだろうけど)だと、「つきあってください」という発言を行い、そして相手の了承を得ることによって恋人関係が成立するわけですよね?

これはジョン・オースティンというオックスフォード大学の言語哲学の教授だった人の「発話行為論」という理論内のタームでは、発話内行為と呼ばれます。

簡単に言うと「話すことによって引き起こされる行為」のことです。

というわけで、「つきあってください」という言葉を明確にすることによって恋人関係という契約を結べば、一応両者の合意が得られているわけですから、そこでは恋人関係が成立しているということが言えるわけである。

でも、ケーススタディーを考えるとそんなもんないかいねという疑問が沸き起こるのは仕方がない。

昨日の話で、「三日」とかいう渾名がついた男の話があったけれど、彼はこともあろうに告白して、恋人関係を結ぶ了承を得た女性から3日目にふられたというけっこうかわいそうな奴なのだけれど、この二人は果たして恋人関係にあったと言えるのであろうか?

二人でやったことと言えば、告白したその日に一緒に家に帰ったことだけなのである。

実はもっと酷い奴がいて。

私と仲が良かった奴なのだけれど、彼は電話で女の子から告白されて、一応「OK」の返事をしたのだけれど、3時間後に「ごめん、やっぱやめとく」という断りの返事を入れているのである。

果たして、彼らはつきあったと言えるのであろうか?(言えるのであれば、彼は3時間で女の子をふった恐るべき男であるということになる)

胸が張り裂けんばかりの緊張感を持って、ドキドキしながら告白して、それが受け入れられて天にも昇る気持ちになっている最中に、まるで地獄に突き落とすかのような悪魔のごとき所業ではあるけれど、これは彼が優柔不断であることから引き起こされた悲劇である。

まぁ、原因は彼が「来る者、拒まず」という方針を公言していたということに由来するのだけれど。

恋人と呼べるような行為は何一つしていないわけだけれど、契約関係は一応成立して、3時間経過したわけであるから、恋人だったと言えば、言えなくもないわけである。

逆に、「そんなもんなのかしらね」という関係を続けている人たちってのもいるわけですよね?定期的な肉体関係があるのに、別に恋人じゃないとか。

こういうのはどうやって定義したらいいのであろうか?

恋人関係の契約という関係がまずあり、恋人同士ならするであろうといった具体事例はあくまで派生的なものなのであろうか?

それとも恋人同士なら必ず行うであろうという典型条件みたいなものがあって、それを満たせば二人は恋人関係にあるということになるのであろうか?

なんだかよく分からない。

ちなみにあたしゃ、ちょっと前までは中学生も、最近でも高校生や大学受験生たちと話をする機会があったので、昨今の恋愛事情を耳にする機会はいくつかありました。

携帯電話の普及というのは、恋愛関係を結ぶ上で決定的な役割を果たしているということは間違いないのだけれど、たまにプラトニックな話なんかを聞くとけっこう微笑ましくなっちゃいますよね。

一方で、性体験の低年齢化ですが、けっこうおっかない所もあって、小学校6年だとか中学校1年にしていろいろと体験している人たちもいて、まぁ、おっかない相談なんかも受け付けたりしたことがあります。(1度や2度ではない)

彼氏が大学生(当時の私の年齢より上)とかいうのもままあったし、中絶関連の話もありました。

まぁ、高校生になっていきなりお母さんになっちゃった子もいたりして、そういう時代なのかという気がしないでもない。

この手の問題は、何か一つの物語の形を取って表現してみたいという衝動に駆られています。書きたくなったらそのうち(案外すぐかもしれないですが)、自己満足でかまわないので、形にしてみたいと思っているのですが。現代日本社会を象徴する一つの形ではあると思う。

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2006年10月29日 (日)

かわいいと言うべきか

うちの同居人の一人はブレットと言って、いかにも男っぽいやつです。

いいやつだし、気も遣わなくていいのだけれど、基本的に愛想のないタイプです。

ただし、議論なんかに熱中すると、しばらく白熱して喋り続けたりします。(先日、私がやっている言語学の話についてけっこう長く話をしたのです。生成文法の話って、なぜか理系畑の人によく理解されます。女の子には「よく分かんなーい」と言われるのが基本なのですが。余談ですが、この分野は数学出身者が多くて、マーク・ベイカー、クリス・コリンズ、ウリ・ソウアーランドなど枚挙に暇がありません)

そんな彼ですが、昨日ぼそっと「明日、友人が来るのだが、居間占拠していいかな?」と聞くので、私は「あー、こりゃ女だな」と思いつつ「もちろん、かまわないよ」と言っていたのです。

今日の彼ですが、昼間っからイマイチ落ち着きがありません。

それで、人が変わったように台所・バスルームを掃除し(そんなに汚くはなっていないのですが)、自分の部屋にも掃除機をかけ(掃除機をかけている音を初めて聞いた)、洗濯をしていたわけです。

冷蔵庫を見ると、普段は甘いものを食べない奴のくせに、苺とシングルクリーム、それにチョコレートなんかを買い込んでおります。

ふむふむ。

夕方からは、牛肉をブイヨンとトマトピューレで煮込んだものに、お米とワインの準備なんかをして、ワイングラスを適宜洗っております。

まぁ、要するにですね。

女性を招待するに当たって、いろいろと普段やらないようなことをせっせとやっちゃってるわけですよね。

それで、あっしが晩飯の準備にキッチンに入った時にも、普段は冷静沈着な奴なのですが、あっちを行ったり、こっちを行ったりで、そわそわそわそわ。

これで、今日の訪問客が女性であるということに関して、いかな私でも確信を持ったわけですね。

私のパスタが茹で上がった頃に、訪問客がいらっしゃったわけですが、はい、訪問者は女性で、ブレットはいつにないくらいハイテンションで今現在、お二人でディナーを楽しんでおられます。

そういうわけで、ですね。

このブログはどうも女性読者が多いようですので、たまには説教をしてやろうと思うのですが。(基本的に、女性には説教しかされていないような気がする)

「誘われて、当然と思うな!」(覚えておくよーに)

下心があろうがあるまいが、男は気を遣っているのである。けっこう大変なのだ。まぁ、楽しんでくれて帰ってくれたら、それはそれでけっこう嬉しかったりするのだけれど。

というわけで、あたしゃ今から酔っぱらった頭でbibliographyのdata base作成に勤しみます。

しみじみ。

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2006年10月24日 (火)

どうすればもてるか

hotmailなんかをチェックする時には、当然、msnのサイトを見ることになるわけだけれど、時々、結婚情報のサイトなんかが脇に載せられてあるのを見る。

なんか「あなたの結婚度を診断します」みたいなことを書いてあるものもあるのだけれど、20代後半で、定職もなく、年収が200万円に満たない私のような学生風情が高得点を取れるはずもないので、「し、診断などされてたまるか」と及び腰だったわけです。

ところが、最近は時々マウスを使わないこともあるので、思わず「ゲッ!」って感じで広告サイトをクリックしてしまうこともあるのだけれど、はい、やっちゃいました。

その手の会社のページに迷い込んでしまったわけですね。

でも、これも縁だと思って、サイトをさらっと見てみたのだけれど、最近って「どうやったら女にもてるか」ということをテーマにしたブログも多いんですね。(女性が書いている)

そういったサイトをさらに2つほどクリックして、エッセイタイトルだけをチェックしてしまったのです。(中身は読んでいないのだけれど)

内容はだいたいがすぐに把握できるもので、「男は女性に尽くせばもてるようになるetc」とかいう話ばっかりが延々と綴られている。

・・・

思うのだけれど、別にこういうのって「もてる秘訣」っていうわけでもないのではあるまいか。

例えば、問答無用にもてる男性の場合、むしろ女性に尽くされるものであって、尽くす立場にはないからである。

本当にもてる男性は、尽くすことについては何も考えなくてもいいはずなのである。(だいたい、女性の側からアプローチしてくるはずだ)

というわけで、この手のサイトは私のような平々凡々、冴えない男、もしくは(こっちがメインか?)女性が読者対象となっているような気がする。

こう言っては身も蓋もないのだけれど、問答無用でもてる二枚目俳優のような人間に生まれてくれば、人生楽だったんだろうなぁと思う。

なるべく好みのタイプが分かれないような、竹野内豊、福山雅治、玉山鉄二、藤木直人、妻夫木聡といった感じの風貌がよい。

二枚目であれば、職場や学校の同僚の女性に何を頼んでも引き受けてもらえそうだし、どんな意見を言っても肯定してもらえそうである。

教師や、プレゼンテーションなど講演をしなければならない立場にある場合、二枚目であるというだけで、何を言っても納得してもらえそうである。

偏見かもしれないけれど、女性って多くの人が、「何を言われたか」ということよりも「誰に言われたか」ということに重きを置いているような気がする。学生時代にも「○○って嫌いやけど、言ってることはまともやからな」とか「××って気にくわんけど、授業はいいからちゃんと聞いてる」とか言った発言は原則男性がするものであって、女性がするという可能性はゼロに近いものではなかったか。

チビでデブで禿げで脂ぎっていて、臭くて気持ち悪いとか言われている先生が、「二直線が平行な場合、錯角と同位角は等しい」だとか、「物理法則は全ての観測者にとって同じでなければならない」だとか、「役不足の意味はある人の力量に比べて、役目が軽すぎることです」などと言っても、「嘘くさーい」だとか、「きもい」だとか、「難しそうなこと言って、えらそうに」といった返事しか返ってこないような気がする。

対して、二枚目俳優のような先生が「花子さんは英語ではベティーちゃんになります」だとか、「地球は大きな亀が支えています」だとか、「結婚した男女は幸せになれます」だとかいったことを言っても、「うんうん、そうよねー」だとか、「素敵、やっぱり言うことが違う」だとか、「知的!」だとか、「今日は髪の毛ワックスつけてきてる」だとか、「いつもと着ているシャツが違うけど素敵」だとかいった反応が返ってくるような気がする。

あ、いや、蓋然性は高いと思うのですが。

女性にもてようと思っても、一般人なら「甘い言葉をかけ、細かい所に気付き、いろいろな話を聞いてあげ、楽しい場所に連れて行き、様々な貢ぎ物を捧げ、わがままをかわいいと許容し、etc」ということをしなければならないところを、二枚目なら「おはよう。今日の髪型かわいいね」だとか「ワンピース似合うね」と一言言えば、それでオーケー、女性は全盛期のピーターアーツのハイキックを食らったK1戦士よろしく膝から崩れ落ちることになると思われる。

ここから導かれる結論は1つ。

もてる人はもてるし、もてない人はもてない。世の中、役割分担が決まっているのだから、それでいいじゃないか。

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2006年10月10日 (火)

女性をチェックするポイント

北の核実験はこっちでもニュースになっていますが、おかげさまで円安が加速し、ポンドがとうとう222円になっちゃいました。

もう1回やるという話なので、たぶん225円くらい行って、年内で215円まで下がれば御の字かなぁという感じですね。

日本人留学生には頭の痛い話ですが。

話題は変わって。

新居の位置にも慣れて、地図と方角は頭の中に入っているので、ヨークの地理には随分と詳しくなっている。

中心街に買い物に行った帰りにも、適当に道を辿って行っても普通に帰宅できるのは我ながらすごいものだと思う。

イギリスの地形ってけっこうごちゃごちゃしていて分かり難い上に、建物の造りなんかが似通っていて、それでいて山とか建物だとかいったランドマークになるものがないので、地理感覚ってけっこう難しいものがある。

私は方向感覚が特別鈍いわけでも、特別優れているわけでもないので、たまに迷うこともある。

基本的には目的地にすんなりと到着できるのだけれど、時々「あれっ?」って感じになってしまうこともある。

この手の道に迷うということに関して、苦労したことももちろんある。

中学の時なんかに女の子とどっか行ったりした時に、迷ってしまったりしたことなんかがあって、そんな時にけっこう咎められたりがっかりされたりしたことがあったのだけれど、そういう経験を踏まえて、高校生になる前くらいから、事前に行く場所をある程度調査しておく習慣なんかをつけるようにしておいた。

道は一度行くとさすがに覚えられるし、本番(?)の時に迷ったりしないか不安にならずにすむので、こういった事前調査ってけっこう大事なような気がする。

そのうち単に地理を調べることが好きになって、一人で街中を歩いたりするようになっちゃったのだけれど、おかげで大阪、京都、神戸の主要地域の地理はほぼ完璧に把握していたりします。(他にも、シアトル、ニューヨーク、ロンドン、福岡、横浜なんかも把握している)

こういう努力の甲斐あってか、迷うということ自体少なくなったわけだけれど、それでもたまに「あれ!?」ってことになってしまうことも当然、ある。(目的地のお店がなくなっちゃったとかいうのもある)

絶対数が少ないせいか、誰と歩いていた時に迷ったのかということをけっこう覚えているのだけれど(気のせいか、ブログにコメントくれた人たちとけっこう迷ったことがあるような気がする)、こういう時の女性の反応って意外とチェックしていたりします。

「たく、頼りにならないなぁ」と責められることももちろんあるし、「あ、いいよー」って感じで許してくれる人たちもいる。

後者の人たちって、少々のパニックでも人を責めたりしない心の広い人なんだとかなり好意的に解釈しております。

むしろ、「あ、誤っても許してくださるのだ」と、ある種の恩赦に対する感謝の念すら覚えていたりするくらいである。

日本で一番最後に迷った経験をした時は、ちょうどmachaさんとがちゃぴんさんがいらっしゃったのだけれど、その時には「おぉ、この人たちは女神様(がちゃぴんさんは、むしろ女王さ、あ、いや何でもないです)に相違ない」と心密かに感謝していたのです。今更ながらこの場を借りてお礼申し上げます。

というわけで、男性が少々道に迷っても、女性の皆さんはあまり責めたてないでやってください。こういうところって、意外なチェック項目かと思います。

実は、ヨークに来てから、ちょこっと迷っただけで、まるで私を人間ではないかのように責め立てたろくでもない人でなしがいるのだけれど、こんな女は最低です。くれぐれもこんな女にならないように気をつけてください。

あ、今、オフィスのドアのところで私の名前が呼ばれたような気がし

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2006年9月17日 (日)

未婚男性について

最近、未婚独身女性の「負け犬女」から、結婚できない未婚男性に対する風当たりが強くなってきているのだそうである。

そりゃ、一夫一婦制の国では、女性が余れば、男性も余ることになりますわね。

常識的に考えればそういうことになる。

MSNでは結婚相談所なんかがスポンサーになっているせいか、こういう結婚しない男性たちの尻を叩くような論調の記事がけっこう載せられてある。

よく考えると、結婚率の低下って経済的には随分なダメージになっちゃいますよね。

式場を初めとするブライダル関係はもちろん、ホテルやら小さなレストランなど、貸し切りパーティーをする場所も使用数が減ることになるわけだし、新婚旅行関係で旅行会社もけっこうな打撃を受けることになる。

冠婚葬祭って基本的にお金がかかるし、こういう場所においては、お金ってけちられないんですよね。

実際に、友人の結婚式なんかに出席してみりゃ分かります。式本番のご祝儀に3万円、2次会パーティーに1万円、久しぶりに会った友人や、新郎・新婦関係者と2次会、3次会なんかに繰り出せば、軽く5万円以上はぶっ飛びます。

同時期に2回も結婚式に出れば、10万円以上がぶっ飛ぶ。キャー!(T△T)

もちろん、これだけ金が飛ぶということは、懐に入る人たちもいるということで、経済を潤滑に回すためには結婚するカップルは多ければ多いほどいいわけです。

もちろん、新婚生活やら、子供が生まれたりすれば、さらに出費してくれる算段が立つわけだし。

私は日本にいる頃には半社会人並に稼いでいたので、なんとかなったのだけれど、基本的に食うや食わずの生活をしている大半の日本の大学院生って、友人や親戚の結婚式ってどうしているんでしょうかね?

ちょっと怖くて聞けない質問ではあります。

まぁ、そういうわけで、結婚する人たちが多いほど、日本経済のためにはよいことなので、私もここで微力ながらも日頃から結婚の素晴らしさをことある毎にアピールし続けてきているのだけれど、また今日も結婚に対する肯定的な意見を少しながら述べてみたいと思う。

昨今の結婚したがらない男性の多くは、「結婚は無駄遣いで、お金と自由がなくなるから嫌だ」という意見をお持ちのようである。

なるほど。

確かに、未婚女性が出す条件として、未婚男性の3%に過ぎない「年収600万以上」なるものを条件に掲げておられる人たちが多数おられるようだが、どうせ彼女たちもよく事情が分からないので、適当に好きな意見を言っているだけであろうという推測は立つので、この意見は別段、鵜呑みにする必要などないと思われる。

「最近は甲斐性のない男性が増えた」という意見の未婚女性が大半を占めれば、日本を若干インフレ状態にして、平均収入を上げてやれば済む話である。どうせ、「年収600万以上」などと言っている人たちは経済事情も何も分かっていないタイプの人であろうから、それで満足するはずである。

日本の借金の価値もそれだけ、下がる(つまり、実質的な借金額が減る)ことにもつながるのだし。

というわけで、女性の側の条件なるものはどうせ変動するものだし、特別根拠があるものでもないと思われるので、あまり真剣に解釈する必要はないであろう。

問題なのは、未婚男性の心意気の方である。

「結婚することに意味が見いだせない?」

なるほど。

おいしい食事は気軽に手に入る時代になったし、掃除も洗濯も楽だし、Dスキンなんかに頼めば清掃もしてもらえる。

性欲処理の場所も充実し過ぎているぐらい充実しているのだし、表面的には結婚する意味などないとのたまわれる独身男性の意見にも耳を傾けるだけの価値はあるのかもしれない。

しかしだね。

よく考えてもらいたい。

私はここで非難されることを覚悟で、結婚して妻というパートナーを得ることはペットを飼うこととよく似ているというメタファーを用いたい。

妻とはペットのことなのである。

ペットを飼う際、何か見返りなるものを求める人がいるであろうか?

いくら犬が賢くてなつくとはいえ、皿洗いや洗濯、ひいては自分と同じだけの労働をして、賃金を稼いできてくれると期待するものであろうか?

そんなことはないはずである。

しかも、ペットを飼えば、食事やらケアやらと何かと余分にお金がかかるようになるはずである。共同生活とは本来、このようなものなのである。

ペットと妻の違いはどこにあるかと言えば、前者の場合には飼い主が主導権を握れるのに対して、後者の場合には、旦那が妻に主導権を握られるというだけのことなはずである。

ペットや妻から愛情という見返りをもらうという本質的な部分においては、何も違いはないはずである。

カマキリという昆虫の生態をご存知であろうか?

カマキリは交尾をした後、卵を産む前に雌は雄を食べてしまうのである。

その理由は単純。

身近に栄養を取れる物があり、なおかつ精子を出してしまった後の雄は用なしで生きているだけ無駄だからである。

つまり、男とは本来、繁殖活動においては役に立たない無益な生物であるということが言えるのである。

かような、男という無駄な生物を生かしておいてくださる女性の慈悲深さというものが、いかに素晴らしいものであるのかということが実感できようというものである。

というわけで、私の言説を通して、少しでも三途の川に飛び込む勇気のある男性が増えることを切に祈るものである。

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2006年8月 7日 (月)

女性はクリスマスケーキか?

今日から高校野球選手権大会が始まるので、横浜高校対大阪桐蔭高校の結果が知りたくて、インターネットニュースを見る。

11対6、大阪桐蔭。春の選抜覇者横浜を大阪桐蔭が倒したようである。謝敷くんと、中田くんというずば抜けたセンスの選手(彼は大物になると思う。って誰でも思いますよね、あれは。別格ですわ)たちがいるので、打線は凄いと思っていたのですが。

これは、凄いですね。

中田くんは肘の調子が悪いみたいなので、あまり無理はしないでもらいたいですが。

高校野球速報を探しているうちに、とあるネットリサーチ会社の結果が掲載されていたのが目につく。

「未婚女性、結婚焦り始めるのは30歳、あきらめるのは40歳、33歳を越えると恋人がいないという人が過半数に」という文字が目に飛び込んでくる。

・・・・

何か言ってみるべきか・・・・・( ̄▽ ̄;凸

有名な格言(?)として、女性がクリスマスケーキに例えられるのがありますよね?

別にあっしが言ったことでもないので書いてみると、「女性は23歳が売れ時で、24歳がピーク、25歳でも売れるけれど、26歳からは、たたき売り」ってやつですね。なんか一時期はけっこうテレビでも言っていたような気がするのだけれど。(今、こういうの言うと苦情とか多いんだろな)

年齢なんて誰でも平等だし、特定個人を非難しているわけでもないし、それに男性の多くが若い子がいいって思っているのが事実なのだから、頭に入れておいて(別にそれに従う必要なんてないと思うけど)活用するってことぐらいはしてもいいんじゃないかと思う。

商品は高い値がついた時に売るのが、基本なんだし。

裏を返せば、「思いやりがあって、高収入で、見た目が清潔な男性がいい」って言説も、捉え方によってはセクハラというか(日本では原則、男性がセクハラ被害者として認定されないというのが基本ですが。総務省でも男性からの意見は受け付けないということになっていますし)、不快感を感じる人って少なからずいると思うのだけれど、これを実践すれば高い値で売れるのは確実なのだから、戦略の1つとして頭に入れておいてもいいかと思う。

ただ、年齢と違って、先天的な才能が大きく関わってくるので、差別と言えば差別なのかもしれないですが。

年齢に話を戻して。

個人的な見解を言えば、年齢と性的な魅力との間にはある程度の相関関係は見られると思う。

若い方が魅力的なのは、生物なんだから仕方がない。

でも、人の長所ってのはいろいろなものの複合体なんですよね。

いろいろと評価すべき点があって、それらがある程度たくさんハイレヴェルな形で備え付けている人に人は惹かれるわけですよね。

だから、恋人にしたい人、結婚したい人に対する条件、なんてことで、ある程度いろいろなことが列挙されるわけだし。

そのように考えると、年齢というファクターも評価基準のone of themに過ぎないじゃないかということは言えそうである。

ただ年齢が重要視されるのは、それがみんなに平等に与えられたという均一性にあるんじゃないかと思う。

だから、その「時期」について考慮されるわけだし。

個人的な意見を言わせてもらうと、あまり年齢にはこだわっていない。

こんなことを言うと、「密かに好感度アップを狙っているんじゃないか?」だとか、「自分が年取ってきたからって」といったつっこみが入りそうだが、前者については今更、地に落ちてしまったイメージを回復させることなんてできないし、後者については実は意外と自分の年齢には拘っていないという実情があるので、まぁ、裏の事情は読まなくてもいいんじゃないかなとは思う。

ぶっちゃけると、あっしは年上、年下、同学年の全てと付き合ったことはあります。

端的に言うと「年齢に関しては節操がない」ということなのだろうけど、この事実だけでも年齢に対するこだわりはあまりないということは言えそうである。

でも、さすがに10歳近く離れるとちょっと考えるのではあるまいか。

今のあっしの年齢で10歳上だと、確かに「むむ」って感じはするし、10歳下だと「犯罪ではないのか?」という気がしないでもない。

ただ、本質的な部分に触れると、15歳でも素敵な子は素敵だし、20歳でも素敵な子は素敵だし、30歳でも40歳でも素敵な人は素敵なので、別段、年齢ってそんなに重要なファクターでもないんじゃないかという気がする。

逆の言い方をすると、20歳でも、というのはあるわけだし。

だって、20代でも禿でデブでチビで、汚くて脂ぎってて臭い人と、30代でも清潔で体力があってかっこいい人と、どっちの男性が魅力的か?と聞かれて、前者を答える人ってそんなにいないですよね?

そういうわけで、重要なのって30歳越えたからといってぶすったれたり、傲慢になったり、女であることを諦めたりしないことなのではないのかと思う。

「それって普通じゃん」って言われたら、確かにそれまでなのだけれど、「普通」ってスタンダードというか一般的な意見として定着しているものなんだから、多数派の意見に決まってるじゃんねぇ。

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2006年7月30日 (日)

結婚相手に求めるたった1つの条件

ふと、結婚するならどんな人がいいですか?と聞かれてしまったので、ちょっと真剣に考えてみた。

そりゃ、理想の人間を書いていたらキリがないし、そのうち「自分はどうやねん!」という突っ込みも入りそうなので、別段あれこれと条件を付けるつもりもない。

望むものがあるとすれば、それは1つだけである。

料理が上手できちんとすること。

それだけ。

他は別に見なくてもいいです。

例えば、夏場の今なんかは日本ではけっこう「あちぃー」って感じでけっこうしんどいのではないかと思うのだけれど、そういった時にも季節と旬に合わせた料理が出せる人なんていいですよね。

例えば、箸で1束ずつ摘めるようにこまめに分けたつるつるに茹でた素麺に、手作りの汁、生姜、茗荷、葱、錦糸卵なんかをこまめに切ったのを出して、それに揚げたての天ぷらなんて出してくれるような人ってめちゃくちゃ素敵ですよね。

晩御飯なんかも、手作りの三杯酢で作った酢の物に、さっぱりとしたサラダ、シシャモだとか鰯の焼いたもの、浅漬け、手作りのイカの塩辛なんてのを出してくれる人がいたらどれだけ感謝してもしたりないのではないかと思う。

容器なんかも逐一冷やしてくれていたら、完璧。

手先が器用で、これだけマメにいろいろとしてくれる人が、他の家事をさぼるとも思えないし、これだけ料理が上手なら自分もいろいろと教えてもらえそうだし、それに一緒に作るのもけっこう楽しそうである。

兼業主婦だったら、2日に1回はあっしが料理を作るし、専業主婦だったら休日に作ってみたい。

本音でいろいろと料理を教えてくれそうだし、買い物だとか雑談なんかでもけっこう些細な話題で盛り上がることができそうである。

それより何より、これだけマメにいろいろと自分のためにしてくれる人がいれば、「もぅ、俺の人生、持って行け!」って感じになりますよね?

もう、三國志の関羽以上の忠誠を誓いますよ、本当に。愛妻家まっしぐら。

多くの女性が自分のためにして欲しいことあれこれを、アラカルトって感じで提示されているけれど、あっしみたいな至らない人間であれば、これ以上のことは望まねぇよって感じです。

条件は1つ、それだけ。努力したら身につけられるのだし、ハードルは全然高くない。

まぁ、現実にはたった1つの条件を言ってみただけで、「それは無理やろ!」と言われかねないのがつらいところではある。

そのうち「鏡ちゃんと見たことある?」だとか、「じゃあ、それなりにお金稼いだら?」だとかいったキッツーイ攻撃をされることにもなりかねない。

いや、だから、ささやかなたった1つの条件なんだってば・・・・( ̄▽ ̄;凸

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2006年7月24日 (月)

女性の年齢について

先日、某所で去年から今年にかけて卒業した人たちの卒業パーティーがあったのでお邪魔してきた。

まぁ、そこで30代前半の女性たちと話をしていて、話題はいろいろとあったわけだけれど、その1つに年齢の話があった。

私は外見的に20代前半にしか見えない、ということも話題に上がったのだけれど、もちろん、私は若く見られたからといって、別に喜んでいるわけではない。

このブログでも時折、実年齢を伺わせる発言をしているし、だいたい英文ホームページでおもいっきりCVを公開しているのであるから、本気で年齢を隠す気がないのは明らかである。

あっしの今の年代だと、竹野内豊なんかはビーチボーイズだとか氷の世界だとかいったドラマで人気を博していたと記憶するのだけれど、よく考えると凄いことですよね。

彼には男の色気みたいなものがプンプンしてきますが、あっしにはその手の色気が微塵もないですね。そろそろ年相応の渋さのようなものも身につけていきたいと思っているのですが。

まぁ、それ以前に「竹野内と比べるなよ」というのがあるのですが、それは脇に置いていただいて。

話をしていた中で、けっこう若く見える素敵な女性がいたのですが、彼女も「私はいくつに見えますか?」と質問されてきた。

この人は私の知り合いの男性とけっこうつきあいが長いって話だし、大学関係者でもないので特に気を遣う必要もないかと判断して、私はこともあろうに実年齢を当ててしまった。

普段はなるべく女性の実年齢よりも数歳若く見えると言うように心がけているのだけれど、実はあっしには恐るべき能力があって、女性の実年齢を当ててしまうことができるのである。

とある特徴に基づいて判断しているのだけれど、まぁ、外したことはないです。ここの読者の女性陣は私には年齢がバレバレなので、特に気にする必要はないと思うのですが、とにかく私は実年齢が分かります。ごまかしはきかない。

まぁ、とにかく実年齢を当ててしまったのですが、これが火種の元でした。30代という年齢はけっこう女性にとっては重荷でもあるらしく、また年齢を当てるコツを言わされてしまって、そのせいで非難囂々。

3人の女性でよってたかって、まるで私が極悪非道の犯罪人のように扱いだしたのだけれど、そこでさらに「私の料理がうまいらしい」という噂も合わさって、さらに責め立てられる。

曰く、「なぜ、私を御飯に誘わないのか?」と。

でも、よく読み返して欲しい。

私はとある身体的特徴から女性の実年齢が分かるという能力を有しているということと、料理ができるが、食事に誘ったことがないというだけで悪人扱いされているのである。

これはあんまりではないのだろうか?

だって、私は何一つ世の中で定義されるであろう「悪い」行為を行っていないのである。責められる謂われはないはずだ。

陪審員の多くを女性が占めるということでもない限り、裁判をしても勝てるはずだ。(自信はないけど)

禅問答を地でいくような女心が、男の私に理解できるはずがないが、とにかくこの理不尽さを克服する術はないのだろうかとけっこう真剣に30秒間くらい思い悩んだわけである。

しかし、そんな愚鈍な私とて学習能力がないわけではない。

今後は女性に年齢を聞かれるようなことがあれば、相手を選ばず理不尽でない程度に鯖を読んで、若い年齢を言うことにするとここに宣言するものである。

なぁに、そんなもの英会話の定型句を覚えるのと同じことである。

How are you?

I'm fine, thank you.

というやりとりと

私何歳に見える(30代前半の人)?

うーん、24歳くらいかな。

あ、実は33歳なのよ。

え、そうなんですか?あまりに若々しくて綺麗(orかわいい)なんでまだまだ20代だと思っていました。

というやりとりとの間にたいした差はないはずである。

コミュニケーションというものが人間関係を円滑に進めるという機能を有しているのであるならば、この程度のやりとりを覚えるのは朝飯前である。

かように人間は真実への探求を断念せねば社会生活を営むことはできないのである。

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2006年7月21日 (金)

結婚を賛美してみよう

あ、えと昨日は結婚に対する格言なんかをそのままぱくってきたのだけれど、このサイトをいくらか読んでくれたことのある人たちはご存知かと思われますが、あっしはlovely結婚にいろいろと幻想を抱いている奴なので、昨日の格言をいろいろと解釈してみようかと思います。

「正しい結婚生活を送るのはよい。しかし、それよりもさらによいのは、ぜんぜん結婚をしないことだ。そういうことのできる人はまれにしかいない。が、そういうことのできる人は実に幸せだ。」 トルストイ

トルストイの誤りは結婚を「正しいか誤っているか」の二元論で語っている点にありますね。結婚は「最高に幸せ、とても幸せ、幸せ」という段階的修飾語で語るべき制度であって、正誤は問題ではないはずですね。

「男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まるだろう。」ロミュビリュズ

往々にして技巧が尽くされた小説などよりも、現実の歴史の方が興味深いものです。というわけで、結婚はけっこう奇というか「粋」な体験ができるきっかけになるのではないかと。

「できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。」 バーナード・ショー

結婚というものもパートナーに「選んで」もらうという一面がある以上、ある種の経済的観点から語ることは可能なはず。商品を一番高値がつくときに売り、安いときに買うというのは商売上の基本原則であるはず。いいことなのかどうかは知らないですが、女性は基本的に若い方が商品価値があるとされています。それなら、高いときに売るのは至極当然ですね。

「結婚は雪景色のようなものである。はじめはきれいだが、やがて雪解けしてぬかるみができる。」山本有三
ぬかるみができ、雪が溶けると、陽が差して春がやってきます。形を変えつつ、また新しく綺麗な形が現れてくるわけですから、途中のぬかるみも悪くない。
「女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。」ベンジャミン・ディズレーリ
多くの女性はわりと現実的というか、地に足が着いた生き方をされている一方、男性には破滅意欲みたいなものがどこかに感じられます。ある程度しばられることによって、男性はバランスが取れるようになるのではないかと思います。また、パートナーがいて自信のある女性の方が生命力に溢れているような感じがします。
「女房に愛される技術というものは発明されないものだろうか。」ラ・ブリュイエール
それは身につけるものですな。努力して身につけたものの方が、人間、価値を実感できるものです。
「結婚は死と同じである。取り越し苦労は無用である。」 ヘラルド
要するに経なければならないプロセスであるということには変わりがない。
「結婚を尻込みする人間は、戦場から逃亡する人間と同じだ。」R・L・スティーブンソン
勇気が必要だが、そこにはそれなりの充実感があるということですな。
「結婚式もお葬式も同じようなものです。違うのは、もらったお花の香りを自分でかげることくらいよ。」グレース・ハンセン
冠婚葬祭は人間の宗教的儀礼として普遍的なものですが、その式を執り行うということ自体はけっこう苦痛でめんどくさいことなのかもしれない。しかし、疲れたときに花の香りをかぐことができるのは、小さくても確たる幸せであるような気がする。
「男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。」フレデリック・リット
そりゃ、一か八かの選択の時には勝負に出なければなりませんから。
「人生最良の時は結婚式の日だった」
「最悪の時は?」
「それ以後の毎日」
出典:シティ・スリッカーズ (映画)
今が最悪なら、それ以降は常に向上であるということも言えます。ということは、今後、徐々にですが、確実に結婚生活を向上させることができるわけですね。
「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。」キルケゴール
結婚しないでいると後悔する、それはよい。それで結婚するとなぜ後悔するのであろうか?それは「隣の芝は」ってやつで、ふとした時にちょっと相手の嫌な面が見えたとき、「あ、こいつじゃなくて別の女(男)だったらどうなってたか・・・」と、別にパートナーになりえた人物を回想して夢想してしまうが故に後悔してしまうわけですね。ということは、結婚してからの後悔の方がいいじゃないですか。
「離婚の動機ですって?ありますとも、弁護士さん。それは、私が結婚してるということです。」エミール・ポラック
離婚するためには結婚している必要がある。ごくごく基本的な必要条件の例ですね。数学の基本です。
というわけで、各偉人たちは見事に結婚という制度を肯定しているではないかということが証明できたのではないかと思われる。
あ、ちょっと今から教会に行って懺悔してきます。
閻魔さまに舌を抜かれたりって、しないかな・・・・( ̄▽ ̄;凸

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2006年7月18日 (火)

結婚に関する名言

なんのかんのとのんびりやっている間に、年齢を重ねる日があと半月を切ってしまいました。


正直、この年になると誕生日って嬉しくない。


いや、もう誰も祝ってくれるな、めでたくないから!って感じである。


というわけで、そっとしておいてやってほしい。


よく考えてみると幕末期に活躍した人たちの多くの年齢を超えてしまった計算になる。久坂玄瑞、沖田総司、岡田以蔵、まぁいくらでも列挙できるので辞めておくけど。


もうすぐ高杉晋作の没年齢に追いついてしまうし、そのうちあっという間に坂本龍馬、木戸孝允、西郷隆盛辺りの没年齢に到達し、人生50年に達してしまうのかもしれない。


有名人でいくと、尾崎豊はもう越えてしまった。


彼らは若くして才覚を現したけれど、私は埋もれたままである。


20代後半に突入して未だにろくすっぽ稼げていないし、そろそろ記憶力の低下が自覚症状として出始めてきているし(元々物忘れは激しかったのだけれど、最近、頓に激しい。冷蔵庫に物を取りに行って、「あ、俺、今、何しに来たんだろう?」って立ち止まったりすることもある。やべぇっす)、体力もある程度低下してしまっているし(まぁ、全盛時の運動量なんて再開させられるわけないので仕方がないのだけれど)、って感じなので、見た目ほど若くはないかもしれない。


高学歴・低収入・低身長を地でいき、言語学とかいう役に立たない筆頭候補に挙げられる学問に時間と労力を捧げているという、使えないというか、結婚相手候補としては低スペック極まりない私であるが、今月30日の誕生日を迎えることによって、「若さ」という賞味期限も浪費してしまうことになるのだ。


というわけで、世の女性陣の守備範囲外にいるのは自覚しているので、どうか責めないでやってほしい。


晩婚化・非婚化がけっこう話題になっている昨今だけれど、この手の話についてはいろいろな言及がありますよね。


例えば、以下のような名言がある。


「正しい結婚生活を送るのはよい。しかし、それよりもさらによいのは、ぜんぜん結婚をしないことだ。そういうことのできる人はまれにしかいない。が、そういうことのできる人は実に幸せだ。」 トルストイ


「男と女が結婚したときには、彼らの小説は終わりを告げ、彼らの歴史が始まるだろう。」ロミュビリュズ


「できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることは男のビジネスである。」 バーナード・ショー


「結婚は雪景色のようなものである。はじめはきれいだが、やがて雪解けしてぬかるみができる。」山本有三


「女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。」ベンジャミン・ディズレーリ


「女房に愛される技術というものは発明されないものだろうか。」ラ・ブリュイエール


「結婚は死と同じである。取り越し苦労は無用である。」 ヘラルド


「結婚を尻込みする人間は、戦場から逃亡する人間と同じだ。」R・L・スティーブンソン


「結婚式もお葬式も同じようなものです。違うのは、もらったお花の香りを自分でかげることくらいよ。」グレース・ハンセン


「男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。」フレデリック・リット


「人生最良の時は結婚式の日だった」
「最悪の時は?」
「それ以後の毎日」
出典:シティ・スリッカーズ (映画)


「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。」キルケゴール


「離婚の動機ですって?ありますとも、弁護士さん。それは、私が結婚してるということです。」エミール・ポラック


1つだけ女性の側からの意見が混ざっているが、基本的にこれら結婚に対する言及は男性の側からなされている。


得をする者がいれば、必ず損をする者がいるという基本的な経済原理に従えば、どうも結婚して損をする人間は男性のようであるという推測が成り立つ。


しかしながら、一方では結婚することにメリットを感じるという人もたくさんいるようだし、「「結婚」という言葉を形容するのにふさわしい言葉を選びなさい。(i) 幸せな (ii) 不幸な」という問題が出されれば、たぶん、最大でも100人中51人くらいは(i)の選択肢を選ぶのではあるまいか。(確実に2,3人はいると思う。自信はないけど)


ということは、ですな。


彼ら多くの偉人の言及であるが、彼らの発言の命題はもしかすると誤りであるという可能性もあるかもしれないのである。


誤りの可能性としては、以下のようなものが考えられる。


(i) 実は男の側も幸せなのに、男性の多くが照れ屋さんなので、それを隠している。
(ii) 実は女性が不幸なのに、女性は不満も言わずじっと堪え忍んでいる。


(ii)の可能性は少なそうなので、個人的には(i)の妥当性を主張したい。


つまり、男性は照れ屋さんで自分の気持ちを正直に伝えることができない人たちであり、もしくはある程度自分が尻に敷かれ、支配されているということを快感に感じている人たちであるという可能性があるわけである。


こう考えると、一応、物事の辻褄は合うのかもしれない。


というわけで、来週はもしかすると関白宣言を行うかもしれない。


たぶん。

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2006年7月11日 (火)

口説きの技術

今日はStanfordからスタンリー・ピーターさん(ピーター・セルズではない)を招いてexceptive phraseのsemanticsのトークをしてもらう。

4時過ぎに開始で、面子は7人。facultyメンバーばっかりで学生はあっし一人だけ。

むにゃむにゃ。

スタンリーはヨークで毎年開催されている音楽祭に出席されているのだそうで、うちのGeorgeと懇意なのでついでに来てくれたのだ。

白い髭の笑顔の素敵なおじさんってやつで、なかなかナイスガイでした。

トークもけっこうおもしろかったのだけれど、その後はもはや恒例と言っても過言ではない談笑&お酒。

ワインとポテトチップスを片手に話をいろいろと弾ませる。スタンリーの奥さんも談笑に加わって、あれやこれやといった会話を楽しむ。(パートナーが気軽に参加できて、受け入れられる空気があるのが欧米の良いところだと思う)

いいですよね。夏休みなんかにはこうやって、あちこちを旅行して、時に大学なんかによってトークをして、研究者同士で交流してetc

いろんな国の風土を見れるのも楽しいし、魅力的な研究者と交流するのはなかなか魅力的である。こういった見聞を広められるのが、研究者として就職できた者の特権だと思う。

ところで、ですね。

先日、コメント欄で「源氏が口説くetc」という話があって、まぁ、そこで男と女が口説く現場ってのはなかなかおもしろいのかもなぁと今更ながら感心した。

女が男を・・・というのもなくはないけれど、大部分は男が女を口説いていると考えて間違いはないんじゃないかな、と思う。

男はどうやって口説こうかと試行錯誤して、女はどうやって気に入った男を口説かせる方向に持って行くのかといった、ある種の駆け引きがそこにはあるわけですよね。

「駆け引き」いいですね。たまらないです。

私のような野暮ったい人間は、どうやったらうまく口説けるのかといったことは皆目検討がつかないのですが、世の中ではうまくやっている人たちも多いようでけっこう感心しちゃいますね。一方では痛いのもあったりするのだけれど。

そもそも「口説く」という字体自体けっこうおもしろいですよね。「口」で「説く」わけですから、女性ってのは意外と見た目とかよりも言葉なんかがけっこう重要なのかもしれない。

口に出して、いかに自分が魅力的であるか、その魅力を言葉にすることによって顕在化できた者が口説き落とせる男性になることができるのかもしれない。

光源氏の時代、口説くってのはまずもって和歌だったわけですよね。

それで、綺麗な字で気の利いた和歌が書ければまず第一関門はクリア、と。

それで扉越しにいろいろと受け入れてもらうためにいろいろと苦労したのだろうけれど、確かにどうやったら女性から扉を開けてもらえるのかってのはけっこう難問なのかもしれない。

「来ました!」

「はいはーい!」

って感じでいとも簡単に開けてもらったら、なんだかあまりありがたみがないし(心理学的にも、簡単に手に入れたものに人間は価値を見いださないvice versaってことはけっこう知られた話だし)、それにあまりおもしろくない。(駆け引きをある程度楽しみたいですよね。やっぱり)

女性の側としても、いとも簡単に開けてしまったらそりゃ「尻軽女」って思われるだろうし、やっぱりある程度は躊躇したいだろうというのが女心でもあるのだろうし。

かといってあまりに固く閉ざしたままでいたふりをし続けて、男を逃がしてしまってももったいないですよね。この辺の案配ってのもなかなか難しいのかもしれない。

この辺りの駆け引きは現在でも当てはまるのかもしれないですね。例えば、男性が女性に「つきあってください」と言って「OKです!」と簡単に返事をもらってしまえば、「あ、この子けっこう簡単にOKしちゃうんだ」って思ってしまうかもしれないし、「えーっ」って感じで迷っていると、男性に「拒否された」と受け取られかねないし、かといって本気で断りたくても「イヤ!」と単刀直入に言えないのが女ってやつなのだろうし・・・・

男と女はすれ違い~♪ (悲しくてジェラシー)

ってのはけっこう普遍的な話なのかもしれない。

まぁ、この辺はハードルを一段階下げて、食事か何かに誘う程度にしておけば、女性も即座にOKと返事しやすいだろうし、男性もYesかNoかが分かりやすくていいのかもしれない。

ナウなヤングの皆さんは、アバンチュールな場所でバッチグーに決めてまぶい相手といかしたデートをしちゃってください。

でも、「どんな口説き文句がいいか」って考えていて、あんまり凝ったこと言っても仕方ないと思うんですよ。相手に意図が伝わらなければ意味がないし。

わりと耳にするのだけれど、「俺の気持ちです」だとか言って、いきなり歌を歌う(しかも自作)っていう人は少なくない程度にいるみたいですね。私は何度か聞いたことがある。(事例を聞いたわけですよ。歌は聴いたことないです)

こんな方法でうまくいくとすれば、桜井和寿さんだとか草野正宗さんだとか卓越した歌唱力と作曲能力があるようなごくごく一部の人間に限られるような気がするのだけれど、いったいどこで学んだのか、こういう告白形態って存在するらしいです。私はよく知らないけれど、巷の「女心を掴む!」とかいう新書なんかにこういうことが書いてあるのかもしれない。

だいたいこの種の本ってのはでたらめなことが多いし。(それに、本当にうまくいく方法を知っていれば、たやすく他人には教えないだろうし)

それに女性があいまいな返事をすることは許されても、あいまいな告白をする男性を許容する女性ってあまりいないような気がする。なんか「好きと単刀直入に言え!」というのはけっこう女性の本心なのではあるまいか。

それとメールで告白なんかもダメっすよね。それに間接的にだとか、人づてなんか問題外と思われると強く思う。

とまぁ、シンプルに考えると、行き着くのはかっこよくてもてる男性が「好きだ」とシンプルに直接に言うのが一番であると思う。

もし、私が福山雅治だったら「○○、お前のことが好きだ」で万事オーケー。何も考えなくてすむような気もする。

こう言ってしまうと身も蓋もないわけだけれど。

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2006年7月10日 (月)

結婚式

興ざめな決勝戦でしたね。

ところで、セリエAの八百長事件の行方が気にかかりますが、先日ミランとの契約を2011年まで延長したカカも、ミランがセリエB落ちすれば残留するかどうか微妙な状況になってしまいます。

カカはとても好きな選手でしたが、今回は怪我でフランス戦も途中交代してしまってちょっと不完全燃焼でした。

彼は去年の暮れに結婚したのですが、お相手はなんと10代なんですよね。まぁ、カカ本人が24歳なのでたいした年の差でもないのですが。

その模様はここ

http://www.youtube.com/watch?v=YFxv69vjFGk&search=kaka%20wedding

で見れます。綺麗な映像とちょっと切なくなる音楽がマッチしていてなかなか綺麗ですよ。

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2006年7月 5日 (水)

なぜ恋愛すべきか

今日日は少子化や晩婚化なんかも相まって、恋愛論なんかが盛んに議論されているようである。

今日は、ちょっと根本的な問題を考えてみたい。

「恋愛すべきか?」と聞かれれば、たぶん、私は「Yes」と答えるのではないかと思う。

その理由ってのはいろいろあるけど。

正直に言って、別に恋愛をすれば世界が広がるだとか、幸せになるだとか、気持ちが豊かになるだとか、そういうことって特別ないと思う。

というか、基本的に何も期待しない方がいい。

経済的な観点から考えてみても、恋愛することによって時間・お金・労力の3つが無駄に消費されることはうけあいである。経済的指標から恋愛を分析すると、必ず負の結果になるということは、ある程度覚悟しておいた方がいいと思う。

しかし、それでも恋愛しないよりはした方がいいんじゃないかと個人的には弱く思っている。(皆が皆恋愛すべきとも思っていないのだが、それはまた別の機会に)

基本的にある知識体系に初めて出会う時には、右も左も分からないものである。

それこそ、何をどうやっていいのかすら、さっぱり。

しかしながら、ちょっとずつ知識をため込んでいくことによって、「あ、これはこういうことだよな」って感じで、類推やら分析やらを用いてある種の思考体系に慣れ親しむことが可能である。

数学の考え方だとか、物理だとか、もしくは入試問題という限定的な範囲で出される国語だとかいった学校の勉強なんかでもそうだし、言語学の、特に生成文法やら形式意味論やらといった思考体系もある程度、「その場の仁義」みたいなものはけっこう掴めるものである。

そうなってくると、ある考え方やデータが出てきたときに、どうやって考えればいいか、どうやれば反論できるか、どうやれば付随的な結果が出てくるかといったこともいちいち説明されなくても分かるようになってくる。

良くできた論文なんかだと、本文の3分の1(5分の1?)も読まないうちに理解できてしまうのであるから不思議である。

しかしながら、我々、男性にとって女性というものは不可解極まりないものである。

女性から見れば、男性のような単細胞で分かりやすい生き物が性染色体のxyかxxの違いでしかないだなんて信じられないっていうぐらい、男という生き物は理解しやすいものかもしれないけれど、男性から見れば、女性は複雑怪奇、荒唐無稽、眉目秀麗、百花繚乱なものである。

はっきり言って、地球人と宇宙人ぐらい違うのではないかと思うほどである。

それこそ、知識が溜まれば溜まるほど訳が分からなくなり、メビウスの輪の中にでも迷い込んだのではないかという錯覚すら起こってしまうほどである。

まず始めに、どんな男性を好きになるのかが分からなくなる時もあるし(分かりやすい条件を持っている人は好かれるけど、それはさておき)、どんな行為がポイントを下げて、どんな行為がポイントを上げるのかっても全く分からない。

ある日に喜んでもらったことをすると、次の日には突然怒り出したり、なぜか急に機嫌が悪くなって、それを克服すべく原因究明に勤しむとかえって泥沼に填ってしまったりetc

基本的にいろいろと要求されるので、甘えられるまま振り回されていると自分がとても取るに足りない人間であるということを気づかされてしまう。

だいたい、世間様から高い評価を受けているような人間であっても、女性の手にかかれば「知り合い」というだけで、一段下に置かれるか、同列に扱われてしまうのである。

そういった仲間意識のようなものは、どうも蔑んだりしているわけではなく、むしろ好意の証明であるようなのだが、そういった感覚ってのも不可解である。

世の中には、そういう価値観もあるのだということを知らされてしまうわけである。

自分の既存の価値観に揺さぶりをかけ、そして自分が些末な人間であるということを思い知らされるのに、恋愛以上の修練の場はないと言える。

確かに、少なくない男性は征服欲だとか克服したい、理解したいという欲求を強く持っている。

そういった人たちにとって、恋愛はさぞかし苦痛なのだろうということはよく分かる。(あっしも征服欲はなくても、理解したいという欲求はあるし)

でも、世の中には理解できないこともあるのだということを思い知ることもけっこう大事なんじゃないかと思う。

それはそれ、とにかく「分からねぇっす」という開き直りと、自分の限界を知っておくのがいいと思う。

逆説的な言い方だけれど、「女性が分からない」ということこそ、女性の魅力に他ならない。

好きな物だとか興味のある物は基本的に「もっと知りたい」という強い知的好奇心が刺激されるものですよね。

例えば、「あなたのことが分からない。もっと知りたい」という表現は、相手に対する好意を含意するものだし、逆に「あなたという人がどういう人か分かったわ」という表現は明らかに好意がなくなったということを含意する。

なるほど。

ということは、女性は自身が不可解な生き物となることによって、男性を惹きつけることを可能にしているということは言えそうである。

それと容貌が綺麗なのがいい。外見が美しいのに、内面が××(自粛)というギャップもなかなか魅力的ではないか。棘がなければ薔薇とは呼べないし、ペペロンチーノに赤唐辛子が入ってなければおいしくはないし、フグは毒があるというだけで、必要以上においしく感じてしまうし。

食虫植物も外見は見事なぐらい美しいものだし。

これで、「(女性が)分からない」ということが「分かった」んじゃないかなぁと思った火曜日の夜。

いやぁ、イタリア対ドイツ戦の美しいゴールの連発でちょっとアドレナリン過剰気味なのですが、文章になっているのかしらね?

こういうときは、普通、文章を一晩寝かせた方がいいのだけれど、ちょっとどれだけ変な文章だったのかを自分でも確認したいのでそのまま掲載します。

しかし、2点とも綺麗だった。本当に。いいものを見せてもらいました。(息をちょっと切らしています)

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2006年6月30日 (金)

お金と結婚する

workshopだのなんだのとけっこうドタバタと雑用していて、頭も体もお疲れモードだったので、白ワインを飲みながらsmoked mackerel(鯖みたいなの。おいしい)とズッキーニをバター醤油(+α)で炒めたのをつまみつつ、インターネットニュースに目を通す。

暗そうな話題(リンチ殺人だとか)はヘッドラインだけにしておいて、くだらなさそうな社会面に目を通してみると、またまた結婚の話題が掲載されている。

「最近の女性が結婚しなくなったのは、男性に高収入を求めるようになったから」etcって話だったのだけれど、この条件ってけっこう厳しいやね。

結婚相談所なんかだと、年収1000万円以上希望なんて条件はざらで、どうも90%以上の女性方が年収600万円以上の相手を希望しているのだそうで。

・・・・

こうなりゃ、日本の借金を減らすためにもハイパーインフレを起こさせてサラリーマンの平均年収が600万越える所までやってやれ!って気にならないこともないのだけれど、そういうことになったとすると、さらに相手に求める年収が増えるだけでたんなるイタチごっこになるだけの話かと思う。

まぁ、あっしのようにちょくちょく経済関係のニュースだとかサイトに目を通している程度の人間でも分かっていることなのだけれど、年収600万円以上稼いでいる男性の大半(それこそ90%)は既婚者である。

「平均年収」ってのは、それこそ新入社員から、定年間近の人たちまでの平均で、しかも一番給料の高い団塊の人たちが一番多く含まれているのだから、平均値ってのはかなり低く見積もるべきだと思う。

当たり前の話だけれど。

一度、上げてしまった給料を下げるのは難しいけれど、最初から給料を低く設定するのはそれほど難しい話ではないし、バブルがはじけた以降の20代の給料ってのは、それこそ不況のあおりを一番受けているわけだから、給料が高くなる要素など何一つないのである。

簡単な経済原理だけれど、年配の人たちのツケは全て若い人たちに被せられているわけである。

そういうわけで、結婚相手に年収を望むなら、若い人を捕まえるのは原理的に不可能と言ってもいいくらい少数になるということは、ちょっと頭に入れておいてもらえるといいんじゃないかなぁと思ったりする。

でも、こういう状況だからこそ結婚相手に年収を望むという女性の心理も分からないでもない。

同性間で、「自分の旦那の年収が上」って話をして、それで優越感を感じたいというのがある種の真理でもあるからである。

特に昨今の「勝ち組・負け組」論争など、経済的な勝者=人生の勝者って話を聞かされて、みんなでお金を持とうという競争を繰り広げていると、そういった流れに乗っていかないと不安という気持ちもあるのかと思う。

でも、歴史は繰り返すって言うけれど、かなり前にも「マル金、マル貧(ビ)」論争なんかがあって、お金=幸せってことではないって話に変わって、心理的なゆとりetcってブームになったこともあるのだから、今の「お金=幸せ」という等式もそのうち崩れ出すようになるのだろうというのは想像に難くない。

お金持ちだけれど、幸せではないって人たちは原理的に出てくるものなのだから、そういった人たちがメディアに出て、また、自分の周りでも存在していたりすると、どうせそのうち「お金があるからって、幸せってわけじゃないよねー」なんて風潮になったりするのだろう。現に、今、お金を稼いでいる人たちは忙しすぎて余暇がなく、また嫁さんをかまう暇も何もないという状況にあるのだから、この価値観が優位になりだすのはそれほど遠い未来の出来事でもないような気がする。

こういうのも世渡りってやつで、確かに同性間の比較で優越感を感じるのも大事なのかもしれないけれど、もっと重要なのは自分に何が必要なのかを的確に見分ける能力であるような気がする。

あっしが仮に女性だったとすれば、相手には一緒にいて楽しいか落ち着くといったようなもっと内面的なものを求めると思う。

もちろん、食べるには困らない程度のお金を稼いでいるということも必要だけれど、それ以上のものを求めようとも思わない。

金は天下の回り物ってやつなので、時に貯まったり、時になくなったりするけれど、相手にそれなりの能力があるってことを見極めることができれば、窮するまでのことはないような気がする。

会社も経済もいつ潰れるか分からないという状況下では、変化に対応できる柔軟性と知性を持った人間の方が、潜在的には経済的価値があるという評価を下すことはできるはずだし。

まぁ、それより何より、「一緒にいて楽しい」って要素の方が大事なんじゃないかなって思う。確かに現在の状況では、旦那が金を稼いでいないと同性の間で優越感を感じることはできないけれど、他人から羨望の眼差しを受けつつも、家庭内では苦痛って状況より、他人からうんともすんとも思われていないけれど、家庭内では幸せっていう方が人生は楽しいような気がする。

だいたい幸せなんていう数値化できないものは、比べようがないんだから、同性同士で話をしているときには、「へーぇ、○○さんの旦那さんって凄いのねー」って適当に相槌打っときゃいいだろうって私なんかは思う。

「旦那が好きで、旦那といるのが幸せ」なんて言ってると、たぶん誰かの反感か嫉妬を買うだけだと思うので、井戸端会議では羨望の眼差しを受けることはないかもしれないけれど、その手の幸福感って内面からにじみ出てくるようなものなので、あえて言葉にしなくてもいいのではあるまいか。

だいたい、幸せそうにしてる人って、年食ってても素敵に見えるものだし。

他人に自慢することがなくても素敵でいることって、他人に自慢することが多いけど不細工ってやつより、よっぽど充実した人生を送っている証明でもあるような気がする。

自分が幸せってことに自信がないと、どうしても他人の評価が気になるものだけれど、別に他人の評価なんて基準がコロコロ変わるんだから、ちょっとくらいは信念を持って、というか頑固な所くらいあってもいいような気がする。

「世間はお金が大事って言ってるけど、まぁ、私は今で幸せだから別にいいや」って価値基準を貫けることも個性の一端であるような気がする。

まぁ、世間の価値基準がどうなろうが、あっしの知ったこっちゃないけど。

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2006年6月26日 (月)

女性が権力者である理由

法治国家と、独裁政権などの恐怖政治を隔てる重要な線というものがある。

前者は何をすれば、国家権力によって市民の権利を制限されるかが(ある程度までだが)明確であり、後者は明確でないのである。

この線引きは曖昧であればあるほど効果を発揮する。

例えば、日本の警察に対して一般市民が恐怖を感じるということは普通ない。

仮に警察の姿を見て恐怖を感じるようなことあるとすれば、自分に殺人や強盗傷害などの重犯罪を犯したという自覚があるか、麻薬や銃などの所持を法律によって明確に禁じられている物を持っている場合に限られる。

これら法に触れることがなければ、原則警察を恐れる必要はない。

それに対して、例えば日本の戦前の特高なんかが恐れられていた理由は、彼らが治安維持や人権保護などの曖昧模糊とした基準によって、いつ一般市民をターゲットにするかが把握できなかったことによる。

明示されている規則を守っていれば、自己の権利が保障されているという状況と、ある場合には保証され、別の場合には突然侵害されるという状況において、精神的安定度というものは劇的に変わってくると言える。

警察に逮捕される理由が「将軍様のご意向一つ」という状況下における、恐怖心を煽る統治体制下において、権力の力は絶対である。

権力がその効果を最大限発揮するのは、その効力がいつ発揮されるか分からないという不安な状況が保たれている場合である。

例えば、ある人Aさんが道端のゴミを拾っているのを見かけた将軍様が「見上げた奴じゃ、褒美をやろう」と言われたのに、ある人Bさんが道端のゴミを拾っていると「これ、それを動かしてはならん。そちは打ち首じゃ」とよく分からない理由で怒るということが、権力を最大限効率的に発揮するコツである。

うちのフラットにはアンナというスペイン人の女の子がいます。(最近入ってきた)

彼女はけっこう気分屋さんのかわいい子で、そこそこ仲良くやってます。(てか、うちのフラットではあっしが一番喋るらしい。英語が苦手なので、基本的にいつもスペイン人の友人といます)

今朝、部屋を出ると廊下でばったり会ったのですが、ちょっと疲れたような様子で「昨日の晩はうるさかったわね」という愚痴。

昨晩は1時過ぎぐらいまで、10人前後の中国人さんたちがキッチンでパーティーをやってらっしゃったのである。

それで人がキッチンに入ったり、外に出たりでわいわいがやがや。

そのことを思い出して、「あのドアを開け閉めする音だとか、夜中の騒音って寝れないから嫌なのよ」とちょっとずつ白熱してきたご様子。

それでですね。

「あなたも夜、ドアを開けるときは音立てないでくれる?」とかなり声のトーンが上がって、ボリュームが上がってまいりました。

「え?昨日は夜中に出入りしてないけど?」とあっしが返事をすると。

「もう、そんなのどうでもいいの。今もドア閉めた時に音が鳴ったでしょ?」

collegeのドアって、閉めるときにバタンって音が鳴るようになっているのである。あっしはたいがい気を遣って、閉まる直前に足でちょっと速度を落としてから(多少、態度は悪く見えるけど)音量をなるべく落とすように気遣っているのだけれど、それでもお気に召さなかったようである。

まぁ、とにかく目の前の女性のご機嫌がかなり斜めなのは火を見るより明らかである。

こういう場合、男性陣に対抗手段というものは残されていない。

私の数少ないサンプル数等から判断するに、女性が怒りたい時、誰か人に当たりたい時に、反論したり、相手の非を責めるのは得策ではない。

こういうのは便所掃除の担当が回ってきたのだとでも思って、さっさと観念して怒らせてやって、自分が悪いということにしておかないといけない。

そこに合理的な理由はない。

「怒りたいから怒る」理由はそれだけで十分なのである。

でも、こういう時って、自分が理不尽な理由で怒っているということはなんか自覚されているみたいで、後日、情緒が安定したときに向こうの方から気遣ってくれることは多いような気がする。

何回か聞いたことがあるけれど、こういう場合の女性はどうも「理不尽な理由で怒っている感情面の自分がいて、一方で、こんなことで怒って相手に悪いと思っている理性的な自分という軽い自己分裂症のようなもの」を自覚されているみたいである。

理性で感情を制御できていないのだから仕方がない。人間なんて、誰しも正論だけで生きているわけでもないし。

まぁ、でも、女性を敵に回してあんまりいいことってないし、彼女も機嫌が良かったら友人たちとスペイン料理をちょっとお裾分けしてくれることもあるし、それにmedical schoolの研修でしょっちゅう夜勤で疲れてるってことは知っているし(看護婦さんになるのだ)、何よりあっしは(少なくない男性がそうだと思うけど)この手の愉快でない体験ってやつをけっこう簡単に忘れる(場合によるけど)ことができるので、こういうのも世間の役回りってやつかねぇと観念して怒られたり、愚痴に耳を貸すようにはしている。

そういうわけで、多くの女性は非常に効果的な方法で男性を制御、および統制していると言っても過言ではないのではあるまいか。

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2006年6月19日 (月)

かわいらしくいこう:エビちゃんの考察を通して

あ、今日は2時からパブで日本対クロアチアの試合を観てきました。

内容自体はそんなに悪くはなかったですが、残念でしたね。今度は最強カナリア軍団ブラジルとの試合で、ちょっと夢見ながら観戦しようかと思っています。

しかし、昼間っからビールを飲みながらサッカーを観れるのってけっこう楽しいものです。日本で昼から酒を飲むと、世間の目を気にしなければいけないようような気がしてしまうのだけれど。

ところで、今日は英字のニュースでエビちゃんの情報が飛び込んできたのでちょっとびっくりしてしまった。

エビ「ちゃん」じゃなくて、エビ「さま」なら、某公共放送の貫禄のあるおじさんの顔が浮かんでくるのだけれど。

ところで、あっしが日本にいる頃からだけれど(といってもほんの半年前だけど)エビちゃん人気ってけっこうすごいですよね。マクドのエビバーガーの宣伝でも、なんだかでっかいポスターがあっちこっちに貼られてあったし。

日本発の情報なので(本人のインタビューもあったし)、日本語サイトを見ていたのだけれど、「私のことをかわいいと言ってくれない人がいたら、かわいいと言ってもらうようにもっと努力したいetc」という旨のコメントを残されていた。

なるほど。

全くの個人的趣味を言わせてもらうと、最近の芸能人で好きなのは長澤まさみさんなのだけれど、彼女も人気があるものの、エビちゃんほどでもないような気がする。

特に女性人気という観点からいくと、圧倒的にエビちゃんの支持の方が大きいのではないだろうか。

男性の視点から言うと、黒髪で、ほどよく痩せているわけでもなく太っているわけでもなく、何より健康的な笑顔が素敵なので、たぶん学校の同じクラスにいれば長澤さんの方が男子の人気は集めそうな気がする。(笑ったときのえくぼなんか凄い印象的だし)

まぁ、CanCam自体ハイティーン向けかなぁという気がするので、あっしのように一回り世代が上になってしまった人間からすると多少理解を超えたところもあるのかもしれない。(でも、元専属モデルに藤原紀香、伊東美咲、長谷川京子がいたと記憶するけれど、彼女たちも別にタイプじゃないので、単に趣味が違うというだけのことなのかもしれない)

正直に言うと、エビちゃん自体はかわいいと思う。

ただ、ギャル系はあんまり好きではないので、化粧を薄めにナチュラルメイクにしていただいて(特にマスカラを薄くしていただきたひ)、もうちょっと太って(あんまり痩せてるのってそれほど男ウケよくないんですよ。いや、本当に)、それからちゃんとした喋り方(ぶりっこは苦手ぢゃ)をしていただけると、随分と好感度は上がると思う。

ただ、これらの特徴って今、日本の若い女の子の流行なんですよね。マスカラとアイラインが濃い化粧って最近の特徴だし(数年後は違和感あるように見えるんでしょうね。90年前後の化粧の眉毛がやたらと太く見えるのと同じように)、痩せたがる子って多いし、それにちんたらとした喋り方する子ってけっこう見かけるし。(K塾にいた時にこの手の喋り方する子たちにあれこれ話しかけられたのだけれど、思わず「ちゃんと喋れ!」って言いそうになりました。あ、いや)

これらの特徴ってなんだか「お人形さん」の特色であるような気がする。と思ったときに、多少ひらめいたことがあった。

エビちゃん的な人たちのセルフプロデュースの特徴は、かわいげを売るところにある。

なるほど。

彼女たちの欲求の根本を成す部分は「私を守って」という部分であり、多少バカっぽい喋り方をすることによって「私、何にもできない女なの(だから、目を離さないで)」とアピールするものである。

これは、昨今の弱肉強食がはっきりしてきた勝ち組・負け組社会において、勝ち組男を捕まえる一つの有効な手段なのではあるまいか。

勝ち組男ってやつは、基本的に何でも自分でできてしまうし、やりたがるタイプなので、「しょうがねぇなぁ、俺が全部やってやるか」という気分にならないでもないという点が1つ。

それより重要なのが、彼ら勝ち組男性たちにとって、女性が1つのアクセサリー的な役割を果たしているという点にある。

アルマーニなどの高級スーツやダイヤなどの宝石を身にまとうことによって、自分の力の程を誇示することは確かにできる。

ただ、これらお洒落関係って部分では、日本の若い世代の男性はけっこう洗練されている所があるので、有効な差別化を図ることができない。

しかし、容姿が端麗で、なおかつ派手な女性を隣に連れることによって、自分の力を誇示することは可能である。

女性になるべく綺麗な格好をさせることによって、自分にお金があるということをアピールできる上に、綺麗な女性を連れることによって、オスとして優秀であるということを世間に知らしめることができる。

ということは、勝ち組男性の理想のタイプである、守ってあげたいアクセサリー的役割を果たすことのできる女性は、同性の女性同士の中にあっても、勝ち組男性を捉えることができた優秀で、魅力的な女であることがアピールできるようになるわけである。

お人形さんになることによって、より強靱なオスを捕まえることができると考えることができれば、彼女たちの行動原理もある程度は納得することができるのではあるまいか。

これは1つの要因として考慮する価値はあるのではないかと思う。

ただし、この戦略には1つの致命的な欠陥が伴うということも忘れないでおきたい。

男性が異性に求める魅力として、他に「一緒に話をしていて楽しい」だとか「一緒にいて落ち着く」だとかいった要因もある。これらとかわいさとの間には決定的な落差がある。

前者は経験値を重ねることによってある程度磨くことが可能なものであるが、後者のかわいらしさは年齢を重ねることによって確実に価値が減るということである。

何もできない守ってあげたいかわいらしさには、確実に賞味期限が存在する。エビちゃんも今でこそかわいいが、年齢はもう26なのだそうである。断言させてもらうが、今のかわいさがそのままで通用する期間はあと5年前後であろう。30を優に過ぎた女性が「守って」という姿は、一種の魑魅魍魎にも映る。

今後、100%の可能性で出現してくることが確実な、若くて、非力で、かわいくて、新鮮な新世代の女の子に、人形的かわいらしさにおいて年配の女性は負けることが宿命づけられているのである。それは、人形的かわいらしさの価値が、若さと未熟さに起因することによる。

エビちゃん的かわいさ、人形的かわいさをセールスポイントにするコツは、若い間にさっさと「これだ」という男を捕まえておき、それからなるべく早いうちにモデルチェンジして、経験値が物を言う資質を磨くことであろう。

というわけで、エビちゃん的、人形的かわいさがもてはやされる現在は、経済格差が顕在化してきたということと、ある程度は経済的体力が回復してきたという事実をそれとなく示しているのではないかという気がする。

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2006年6月12日 (月)

初恋

日曜だけどオフィスに籠もって淡々と作業。オフィスはけっこう涼しくて快適なので、なんか研究は捗りますね。

一通りやらなければいけないことが終了し、ジャガイモをそろそろ使わなくてはいけなかったので、ジャーマンポテトとサラダとビールを晩飯にしようかと思ってキッチンに入ると、なぜか煙がモクモクと。

は?( ̄▽ ̄;凸

よく見ると、コンロの所に何かを焦がしたものがあれこれと散乱し、ゴミ箱にまだ火の粉が残っている赤いブラジャーのようなものが。

・・・・

あ、いや、火は消して、ファンを回して、窓と戸を開けてから調理をしていたのだけれど、頭がちょっと痛くなりました。軽い一酸化中毒なのではないかと。

それにしてもいったい何が起こったのかさっぱり。

まぁ、うちのフラットの女の子でこの手の失敗をしそうな子がいるってのは否定できないのだけれど、現段階で誰の過失なのかが分かっておりません。

テーブルには雑誌が散乱し、パスタの食べ残しがある。机にはDVDソフトが開けられたまま。

ここからいったい何が推理できるのであろうか?

コナンくんか服部くんはここまで来れませんかね?

まぁ、火事が起こったわけでもないのでいいですが、共同生活をしているといろいろあるものですな。そう言えば、collegeに火災保険ってカバーされてなかったような気がするのだけれど。

今日は別に出生率が下がろうが、結婚率が下がろうが別にいいじゃんって話を書こうとしたのだけれど、「初恋の話をしてください」ってリクエストがあったので、ちょっとだけ。

ま、本人が特定されるわけでもなし、遠い過去の話で現在とは関連も何もないので別にいいでしょう。

初恋ってやつは、けっこう特別なものである。

初めてってやつは、やっぱり刺激が一番強いわけだし、それだけ記憶に鮮明に残るし、後生にいろいろと影響を与えうるだけのものがあるのだと思う。

恋愛なんて総じて、縁と運とタイミングの問題だと思うのである。たとえ、両思いになって相性のいい人がいたとしても、タイミングが合わなければうまくいかないものなのだと思われる。

例えば、お互いになんとなく付き合っている人がいるとか、距離やら時間のせいで合う時間も電話する時間も取れないとか、道ならぬ恋の出会い方をしているとか、原因はいろいろとあるものなのである。

つきあい始めってのも、まぁ、第1印象をクリアしていて、相手に好きな点が1つでもあれば、継続させられるかどうかは別として、とりあえず恋人契約を結ぶことぐらいは可能なもんだし。

そういう意味でも、とても好きになった人とつきあっていたかどうかとの間には因果関係があるわけでもないし、過去につきあっていた人が実際に好きだったかどうかと聞かれるとけっこう困るのである。

個人的な話をさせてもらうと、私は初恋の人と「つきあった」という関係にはない。

単に個人的に好きだっただけの話である。

その人と初めて会ったのは、実は幼稚園の時で、その人はお母さんが美人で有名で、幼稚園の父兄の間でちょっとしたファンクラブみたいなのができており、私の母親もファンの1人だったのである。

まぁ、そういう縁があったからかどうかは知らないのだけれど、1度、その子と遊んだことがあって(園内では何度か遊んでますけど)、ママゴトをしたってことだけ覚えている。

確か、その子がお嫁さん役で私が旦那役。もちろん、私は舞い上がりっぱなしで何をしていたのかは全く覚えていない。

その後、小学校は別々だったのだけれど、中学校で再会することになった(学区の問題)。その前にも、幼稚園の同窓会ってやつで小6の時に1度再会していたのだけれど、私はその女の子を前にすると緊張して何も喋られない性質であった。ただ、その子の親友みたいな子とは仲が良かったので、その子とはけっこうベラベラと喋っていた。まぁ、へたれの典型みたいなものである。

ちなみにうちの両親は全てにおいて見る目がないので、その親友の子と幼稚園の頃からラブラブだったと勘違いしている。その子には悪いけれど、私に言わせれば、はっきり言って腐れ縁みたいなものである。

中学校でも、とにかくその子だけは特別な存在で、とにかく目をまともに見れなかったし、緊張し過ぎて喋れなかったものである。でも、特に何も接触がないというわけでもなくて、どういう理由だか忘れてしまった(てか、舞い上がりすぎていただけかもしれない)のだけれど、冬場にその子がずっと持っていた懐炉をもらったことがあった。

懐炉にはその子の名前の頭文字「○○ちゃんのん」と書かれてあった。

その懐炉はなんとなく捨てられなかったので、机の引き出しにしまっておいたが、そのうちなくなっていた。けっこう私も適当なものである。

高校は別々になってしまったのだけれど、定期考査中なんかに、電車で高校に行っていた帰りに(基本的に自転車で通っていたのだけれど、クラブのない試験期間中は友人たちと寄り道ができるし、ちょっと電車通学を体験してみたいということで電車を使うことが多かった)、たまに電車内で鉢合わせることがあった。高校は1駅違いだったのである。

その頃になると、ようやく話を盛り上げられるようになって「明るくなった」って言われるようになったのだけれど、単にその女の子と話ができるようになっただけの話で、特別性格が変わったというわけでもない。

高校を卒業し、大学に入るとすっかり音沙汰もなくなったのだけれど、19歳の年末にたまたま電車内で遭遇したことがあり、お互いに年賀状を出す約束をした。

新年には年賀状が届いており、私はそれだけを引き出しに大事にしまっておき、成人式で綺麗な着物姿のその女の子と一緒に写真を撮った。

その子は短大を卒業間近で、中学の頃から念願の保母さんになることが決まっていた。けっこう意志と気の強い女の子だったのである。

その後は、中学時代の友人の結婚式に出た際に、その子が保母さんとして勤めているという話をまた聞きで聞いただけであり、その後は消息も何も分かっていない。

その女の子は、原田知世にそっくりで、私は中学時代に友人から「彼女が水着に着替えたら」という映画のビデオを借りたときに原田知世の顔を確認した。(東京ラブストーリーを見ていたので、織田裕二の方は知っていた。ちなみに私は個人的に織田裕二のファンです)

それ以来、卒業間近のサイン帳なんかの「理想のタイプ」「好きな芸能人」の欄には原田知世と書き込むようにしており、それは今も基本的に変わっていないし、有名人でどのような顔が好きかと聞かれると未だに「原田知世」と答えるようにしている。いろいろと人生経験を重ね、客観的に考えるとその子よりもっと素敵な女の子たちに出会っていると思うのだけれど、その子は「初めて」というだけで、やっぱり特別な存在なのである。

その子は昔からずっと「子供が好き」って言っていたので、今も仕事を続けていてくれると個人的にはうれしいなぁと思う。それで、多くの園児たちの憧れの存在になっているといいのだけれど。

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2006年6月10日 (土)

女性がもてる条件の1つ

あ、前回はあぁだこうだと言ってますけど、あっし本人はけっこう変わり者なので、あんまり多数派の意見って参考にならないっすよ。個人的には変わり者とかけっこう好きですけどね。

って、あっしの趣向なんか言ってても仕方がないっすね。まぁ、それはそれで。

正直に言うと、恋愛どうのこうのとかって基本的にあんまし考えていなくて、最近は一応、専門分野のことと、変態モード突入のイチローと、ワールドカップのことばっか考えてます。だいたい、あっしが恋愛だの結婚だのと発言するときは、口からでまかせというか、文章を書きながら考えていたりするだけのことなのです。

というわけで、恋愛経験自体貧弱だし、何よりもてるタイプってやつでもないので、あっしの分析はそれこそone of themだと勘定するぐらいで丁度いいと思うのだけれど、そんなあっしでも確信を持って言える事実の1つや2つぐらいはあります。

その1つが。

ぶっちゃけ、「料理ができる女性」ってもてます。こりゃもう絶対。

確かに料理ができなくても好かれるという可能性はあります。しかし、料理ができて好かれることはあっても、嫌われるということは絶対にありません。

料理ができる能力は幅の変異こそあれ、絶対にプラスに作用します。そりゃもう間違いねぇっす。

料理のできない男性を相手に何かを作ってあげると、これは絶対に喜ばれます。だいたい、この手の男性は身勝手で、自分に料理はできなくても、御飯を食べるという関心だけは人一倍あるものです。料理を作ってあげると、好感度が格段に上がります。

そして、女性にとって恋愛の駆け引きの勝敗が結婚に持ち込めるかどうかというものであるとすれば、料理ができる女性は自分のお嫁さん候補として勘定されると考えて間違いありません。

多くの男性は、恋愛対象と結婚対象は分けて考えております。前者は基本的に体目当てですが、後者は一緒に生活するパートナー目当てです。おそらく、多くの女性の関心は後者(特に20代以降は)にあると思われるので、ここで点数を稼いでおくと間違いないです。

それと、料理をこまめにする人間が掃除やら洗濯やらをやらないという可能性はちょっと考えにくいというのもプラス材料になりますね。

女性が部屋に男性を招待する場合、それなりに部屋を綺麗にするとは思います。

男性も一応、それぐらいのことは心得ております。

だから、特に初めて来た日に部屋が汚いという人は結婚対象から外されるのは間違いないですが、初日の部屋が綺麗だったからといって、イコール掃除ができる人間だという判断を下すほど男性の思考能力は単純ではありません。(さすがに)

部屋の掃除なんざ即興でどうとでもなるので、ごまかしが利くのがやっかいですが、料理ってやつは一応それなりにやっとかないとレパートリーもできないので、そこはけっこう注意して観察されていると考えて間違いないかと思います。

ということは、ここは試験に出る重要ポイントってやつですね。

個人的な見解を言わせてもらっても、確かに料理のできる人ってポイント高いです。

平日にあっしか相方さんのどっちか帰宅の早いほうが料理をやって、週末に一緒(もしくはあっしがイニシアチブをとって)に料理ができるってシチュエーションは、なかなか楽しそうなものです。(今、自分がこんなことを考えていたんだとちょっと関心しています)

カレーやらシチューをルーを買ってこないで、スパイスから、もしくはホワイトソースから手作りができる人って一緒に料理をしていて楽しそうだし。

玉葱を弱火で炒めて音楽を聴いて、何かワインか何かをつまんでおしゃべりをするのも悪くない。

生ハムの調理法だとか、マリネを3パターン以上作れるだとか、卵焼きを半熟、固いやつなど焼き分けができるとか、生パスタを作ってソースをあれこれ手作りしてみるとか、魚を捌いてからいろいろ作ってみるとか、煮物、豚の角煮を作ってみるとか、手作り餃子を作ってみるとか、どれもみんなあっしは個人的にやっていても好きだけれど、インスパイアしてくれるぐらい上手な人と一緒に作れるとなかなか楽しそうである。

食べながらいろいろと喋っていられそうだし、いろいろとアドバイスをもらって自分の技術も高められそうだし。

そのうち店を出そうかとかいう想像なんかもできそうで、なかなかいい感じである。

それと、料理ができると手先が器用ということがアピールできるのもいい。

ちょっと不器用で何もできないという状況を「もう、ばかだなぁ」なんて笑顔で許してくれるのは、恋人期間だけの話である。

男性は基本的に現実主義なので、たとえ自分が愛情を注ぐ相手であろうが、いつまでも失敗を続ける人間はあまり許さない傾向にある。

器用にあれこれやって、「おぉ、すげー!」って関心させるぐらいの方が絶対に愛情は長続きします。いつまで経ってもリンゴの皮がむけないとか、魚を3枚に下ろせないとか、車海老を捌けないとかいう状況は間違いなくマイナスに作用しまする。

そういうわけで、冴えない男でも料理ができる女性は絶対にもてると断言できるのだという話でした。

って、最近、なんかあほみたいな話ばっかりですね(もとがあほだから仕方がないのかもしれないですが)。たまにはまともな話をすべきなのか・・・(方法論的自然主義についてだとか、内省的データがハードサイエンスに妥当なものなのかとか、言語処理のデータがどこまで理論的に貢献できるかとかetc 全部基本的に好きな話題ですが、ここで書いてると無視されてしまうような気がしマス ま、この辺の話は今月末にDavid Adgerなんかを呼んでworkshopというかconferenceをやる予定なので、聴衆が少なくても書いてやろうかと)

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2006年6月 8日 (木)

高学歴・高収入の女性は結婚に有利か?

最近、どうも高学歴・高収入でかつ容姿も悪くないのに結婚できないどころか、彼氏もいないという女性が多いのだそうである。

その理由はよく分かる。

この状況を改善する端的な解決法は「女性も男性を支える形の家庭があってもいいのではないか」という発想だと思う。

常に変化に対応する思考法は重要であるように思える。

推論可能な推測を重ねて議論を組み立てていきたい。

まず、現在、女性がパートナーの男性を選ぶときに、自分より収入の低い相手を選ぶ可能性はほとんどないと思われる。

相手が公務員だとか、大学教員だとか収入額は少ないもののそれなりの社会的地位があり、安定性があるという場合は例外事項にカウントしよう。

さらに、勤め始めて年数があまり経過していない銀行員など、今後それなりの収入増が見込める業種に勤めているという場合も例外とみなす。

これら以外のケースにおいて、容姿端麗なキャリア女性が自分より収入の劣る男性を選ぶ可能性は少ない。

例外なく、自分より上のものを求めているはずである。

理由は、まあ、生活水準を落としたくないとか、自分より有能な人がいいだとか、尊敬できる人がいいだとか様々あると思う。

となると、彼女たちが牌を競い合う相手が非常に限られてくるという厳しい現実が頭をもたげてくることになってしまう。

得意(?)の統計的算段を行ってみよう。

キャリア女性が理想とする男性のパーセンテージは恐ろしく低い。旧帝大、早慶上智クラスの学歴に一流企業という条件が付くと、その数は妙齢独身男性の3%もあるかどうか怪しいものである。

さらに容姿が平均以上という条件を付けると、男性人口の1%という恐ろしい数値になる。

単純に考えると、1つの高校の1学年で1番の美人というレヴェルでなければ、こういう男性を捕まえることができないという算段になる。(だって、普通の公立高校の1学年の女子の人数って150人前後ですよね?)

まぁ、男性の側が自分と同じく女性に対して、高学歴・高収入であることを求めるというのであれば、問題は特に生じないのである。所謂、「富裕層同士がくっついて、めでたし、めでたし、あっしら庶民には関係おまへん」という状況になるわけであるから。

ただ、男性が女性に求める条件を考えると、ちょっと雲行きが怪しくなってしまう。

端的に言おう。

多くの男性が女性に求めているものは、容姿と若さとかわいらしさである。

それ以外は副次的(secondary)なものである。

ということは、キャリア女性は自分たちの競争相手を広く見積もらないといけなくなってしまうということになる。

所謂、ミッション系の私大だとかお嬢さま系女子大では、なぜか容姿端麗な女性が集まる傾向にある。

さらに、競争率の高い場所において、彼女たちはいかに自分たちを魅力的に見せるかという技を非常にハイレヴェルな所で競い合っているのである。

しかも、この手の大学だといい条件での合コンだとか、社会人合コンの経験なんかも数多くこなす機会があるし、彼女たちは男を手玉に取るノウハウというか経験をある程度積み上げているはずなのである。

またまたこういった容姿端麗な人たちは、一流企業の受付なんかの一般職での需要がある。

これでもう勝負ありである。だって、一流企業で一般職勤めだと、相手探しに最も有利な立場におり、人間の親和的心理からも同一企業内の同僚エリートから好意を持たれる可能性は非常に高いからである。(M菱商事の受付のお姉さんは容姿端麗で、物腰もすごくよく、話をしていて楽しかったです。あ、いや、自分が就職活動をしていたときの話なんですけれど)

どんなに自分の気持ちを偽ろうが、合コンという状況から「男漁りにきましたー!」ということが明らかな場合と、そういう気持ちを全面に出す必要のない職場において、どちらの女性が魅力的に映るかということはもはや想像する必要すらないであろう。

男性にはハンター心「捕まえたい」という欲求があり、これらもててしかるべき男性たちにハンター心がないという可能性は皆無に近い。

となると自分磨きなんだかなんだか知らないけれど、必死に英語構文を暗記し、古語を覚え、微積計算を行い、塩基配列を覚えることに労力を費やし、はっきり言って、自分が知っているような株式知識や経済理論を覚えることに時間と労力を費やしている女性と、生来の美しい容姿があり、それをいかに見せるかということを知り尽くしており、男の心理を読むのに長けた女性のどちらが競争率の高い男を捕まえる可能性があるか考えてみると、その勝敗は火を見るより明らかであるように思える。

それはちょうど、ヒットを打つべく走り込み、素振りと筋トレに時間と労力を費やしたイチローか、ゲームと二次元の女性雑誌を読み漁っている秋葉原を歩いているか細い男性か、どちらがバッティングセンターでいい当たりをするか競争しているようなものである。

前者は自分が求められているものが的確に分かっており、後者は完全に的を外しているのである。

キャリア男性は金があるのだし、仕事を変える気はあっても辞める気はないはずであるから、相手の女性に収入は求めていないと言っても過言ではない。それこそ、専業主婦でもいいと思っているはずである。

となると、高学歴・高収入の女性は理想の相手を下方修正すべきであるように思える。

なぁに、収入やら学歴やらを問わず、容姿だけを問うのであれば、けっこう売れ残っている男性っているものです。彼らを養ってやればいいんじゃないかな?

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2006年5月15日 (月)

可憐なお嬢さま

私の行っていた阪大って所は、なんだかんだ言ってもやっぱり各地方の進学校出身者が圧倒的で、家も裕福な所の人たちが多い。

私は公立の普通の小学校に行って、普通の中学校に行っていた。中学校の成績はオール10ということでもなかったけれど、5教科と副教科を合わせて10が5つ、9が4つといった感じで、学年ではけっこう目立つ存在だったと思う。

大阪の公立は学区制という形で、決められた範囲内の高校しか選択できないのだけれど、私は公立の1番手の高津という所ではなく、2番手の古い高校を選択した。理由は家から自転車で通えるからということと、野球が強いからということ。

この高校は推薦でラグビーやらバスケットやらの選手をかき集め、けっこう運動神経のいい人間が集まっており、体育が厳しいというところから大阪体育学校とか呼ばれることもある。

実際、中学で部活やらシニアリーグ、ボーイズリーグといった所の野球経験者の経歴なんかも調べられていて、経験者は入学式初日に体育教官室に呼び出されたような高校である。

今考えると、中途半端に体育が厳しい所に行くよりは、高津で体育祭やらクラブやらでちやほやされるお山の大将でいた方が、優越感も感じられてけっこうよかったのかもしれないが、あっしはまぁ、この母校は嫌いではない。(そんなに好きでもないけど)

活動的な運動部に入っている人たちは、まぁ、自分も含めてなのだけれど、朝練、3時限目終了時に早弁して、昼練、ホームルームが昼休み後にあって、その後ちょっとまた休み時間があったので、その時に小腹が空いたら食堂でラーメン汁うどん(名物で130円で売っていた。ラーメンの麺がまずかったのと、うどんの汁がまずかったので、いい所を取った名残なのである。けっこうおいしかった記憶がある)なるものを食べて、6時間目が終了すると本格的な練習。

というような生活。帰宅するのは午後の8時過ぎで、風呂に入って御飯を食べて、そのまま机の上で課題を広げてうつぶせて、12時過ぎに1回目を覚ましてから本格的に就寝。

という毎日を繰り返していたので、成績は悪化の一途を辿っていた。それでも、国語だとか数学、物理だとかいったあまり労力を必要としないものはそれなりに成績を取っていたのだけれど、英語なんかは悲惨で、ほとんど地をはうような成績であった。

まぁ、でもいろいろな契機があって英語を勉強するようになり、阪大に入学することができた。この時の勉強がきっかけで、「英語学」なるものや「言語学」なるものに興味を持つようになったのだけれど。

入学してからいろいろな人たちと話をしていて、やっぱり女の子なんかが、今までの大阪の地元の下町っ子と、雰囲気なんかが全然違っていて、クラシック音楽だとか日本舞踊だとか茶道だとか華道だとかいろいろな習い事を経験しているような子たちが多かったり、世間で言われているような「お嬢さま」と呼ばれる人たちが持っているようなステータスの子たちがけっこう多くて、やっぱりそれなりにちょっとしたコンプレックスを感じていた。

俺みたいな庶民が話をしていいのだろうか・・・

というのが正直な感想だったのだけれど、単に家が裕福というだけのことで、性格がいい子も多くて(下町のキツさみたいなのもなかったし)、とりあえず傷つけたりしないように、ということを心がけつつ、なんとか会話のツボのようなものをちょっとずつ学習することができるようになった。

その中でも凄く美人で、いかにも正当派のお嬢さまという感じの女の子がいて、けっこう仲がよかった子がいた。それこそ「高嶺の花」ってやつだったので、話をするときには逐一言葉に気を遣って話をしていたのである。

彼女はおっとりとした雰囲気で、基本的におとなしい感じで、時折ニコッとした感じでちょっと笑ってくれるといった人だった。

ある日、電車の中で一緒になり、阪大坂と呼ばれる丘を登りながらいろいろと話をしていたのだけれど、話題がクラシック音楽になった。彼女の趣味はピアノだったのである。

秋に学祭中に開催される演奏会で、ベートーヴェンのピアノソナタ14番を弾くという話を聞いた。

クラシックは素人なのだが、その発言を受けて私は「あ、それ月光っていうやつやんな?ベートーヴェンやったら悲愴、テンペストもいい曲だよね。(注:私の知識が総動員されている)グールドが演奏してるやつって凄くいいよね。(ていうか、それ以外知らない)グールドというと、ショパンもいいけど、ショパンってetc(当時、村上春樹の遠い太鼓というエッセイを読み終えた所だったので、いろいろと話が続いた。後は聞きかじりというか、はったり)」と答えた。

しかし、これは地雷であった。

私はこの後、「4食」と呼ばれる生協の食堂で、延々と1時間以上の長きに渡り、彼女の音楽談義を聞かされるはめになってしまった。

クラシックが全然分からず、ネタ的に退屈で仕方がなかったのだが、あまりに楽しそうにしている顔が綺麗だったので、こちらも黙って聞き続けることにした。

「ねぇねぇ、聞いてる?」と何度か腕を引っ張られながら、高いテンションで話を聞かされていたのだけれど、その時の笑顔がやたらと素敵だったなぁということだけは覚えている。

それに、息を切らしながら、凄く楽しそうに話をしていたのが印象的だった。

数日後、私はその子から演奏会のチケットをいただいた。正直なところ、興味がなかったのだが、演奏会の日にちょうどグランドで野球部の練習をしていたので、途中で勝手に練習から抜けてきて、無理やり時間を作って演奏を聴きに行った。

ちょっと綺麗な格好をして、自信を持ってピアノを演奏していた姿がなんか印象的で、暗い演奏会場の中で文字通り輝いて見えていた。演奏終了後、仲間たちと健闘を称え合う姿だけ確認してから部室に戻り、当時、68字の文字数制限があった携帯電話に「素敵な演奏をありがとう。凄く綺麗だったよ。ピアノの生音っていいね」といったようなメッセージを送信してから、バットを担いでグラウンドに出て、ティーバッティングの続きを行った。

彼女は今でも綺麗で、素敵なお嬢さまなのだろうか?それとももう結婚しちゃってるんだろうか?

今でも素敵な女性でいてほしいなぁ。それで、今、電話をかけて「イギリスにいる」って報告したら「どこの楽団がいい」とか、いろいろと長話を聞かせてくれるといいのだけれど。

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2006年5月12日 (金)

男の幸せについて

突然ですが、以下のとある物語の締めくくりの文章のどちらが男性向けでどちらが女性向けでしょうか?

(1)こうして、○○は王子様(または素敵な男性の誰か)と結婚して幸せに暮らしました。

(2)こうして、彼は去っていった。目的もなく。いや、彼を必要とする人たちがいる所に行くことになるのだろう。

分かりますよね?(1)は女性物でウケがいいもの、(2)は男性版です。

今日は、Research meetingがあって、その後、Alexっていうギリシア人の甘えん坊のかわいい女の子とちょっといろいろと喋っていました。彼女はもうPhDの3年目でvivaとかいう口頭試問も終わっているので、そろそろおしまいなのですが、今は進路について考え中。

それで、「女の幸せってのを考えると、ギリシアに帰るのがいいのかなって思ってる」っていう話を聞いたときに、私はとある真理にたどり着きました。

よく考えたら「男の幸せ」って言葉ってないよな?

言語相対論というか、単なる与太話なのだけれど、まぁある種の概念を表す言葉がなければ、その手の概念についてはなかなか考えづらいものですよね?例えば、日本語の「わび、さび、もったいない、無の境地」だとかいった言葉に対応する言葉は英語にはありません。

「男の幸せ」という言葉は、今日、私が思いつきましたが、このターム、特に「男」という言葉と「幸せ」という言葉の修飾関係ってなかなか想像しにくい関係にありますよね?言うなれば、「固いマシュマロ」とか「優しい鬼」だとか「風味のいい納豆(おいしい納豆?)」だとか「幸せな結婚生活」といった言葉のつながりの不自然さと同等の不自然さが見られます。

はっきり申し上げよう。

男とは幸せを追い求めない生き物なのである。

いや、これはきっと間違いないっす。

例えば、男の子に人気のアニメなんか見てみても、主人公は例外なく不幸である。決して幸せな主人公というのは存在しない。アニメや物語は潜在的欲望を叶えてくれるものと仮定すると、これは実に象徴的な事実である。

例えば、北斗の拳のケンシロウなんかどっからどう見ても幸せそうではない。

アニメを見た人は分かると思うが、彼が微笑を浮かべることはあっても、大笑いしたり、はにかんだりなどといったことは決してしないのである。

それと旅をする男というのは、決して実際的な問題に頭を悩ませてはならない。

例えば、どこの街に宿泊するかだとか、食料や水はどうするかだとか、雨風はどうやってしのぐかだとかいったことは決して考えず、手荷物は片手で持てる程度のものがあればそれでいいのだ。(だから小学生の間で、破けた服はリンが縫っているという噂が立つのだ)

弁当や水筒をケンシロウが持って歩く姿をあなたは想像できるであろうか?(ケンシロウが「弁当には海老フライが入ってないといやだ」とか言うだろうか?)

そんなもの、男にはいらないのである。

格好をつけるのと、食料に気を遣うのと2者択一を迫られれば、男は前者を選ばねばならないのだ。

さらに経済的な問題に頭を悩ませてもいけない。破産するぐらいでちょうどいいのである。

ケンシロウが財布の中身を数えて、頭を抱えるシーンをあなたは想像できますか?

「お前の財布はもう死んでいる」

なんて神谷明さんが言うようなことがあると思いますか?

そんなものはないのである。

食べる当ても、水分を取る当ても、宿泊先の当ても何もないけれど、とにかく行かねばならないのだ。

それと、男の物語に出てくる主人公は恋愛に頭を悩ませていてもいけない。

女のことは考えてはならないのだ。

仮に容姿端麗、性格も良く、ヒロインにふさわしい素敵な女性に惚れられても、「俺にはあんたのような素敵な人は似合わねぇよ」というよく分からない理由で、そのような女性はふらなければならない。

決して、デレデレして、その愛を受け入れるような真似をしてはならない。すがりつくその女性をふりほどいてでも、男というものは幸せになってはならないのである。

結婚関連の話に移ろう。

女性が男性に求める資質として、収入、性格、その他いろいろあるが、これらはあくまで快適に暮らすための条件に過ぎない。

つまり、男が求める資質から遠く離れているわけである。

仮に、女性の求めるような条件を満たすように精進し、金を稼ぎ、清潔にし、好青年にふるまい、家事をこまめにし、女性の話し相手になり、わがままや愚痴を聞いてやり、優しく甘い言葉をかけ、休みの日にはケーキを焼き、記念日には花に宝石を渡し、頻繁に愛の言葉をささやき、他の女性とは憧れられる程度に仲良く話をするが愛情は自分にしか注がず、長期休暇には海外旅行に出かけるような男性がいたとすれば、彼はもはや男ではないと断言できる。

そのように幸せな家庭を築いている男性がいたとすれば、世の男性から軽蔑され、疎んじられることになるであろう。

そのようなことをしている暇があったら、もっとリスクのある仕事を求め、仕事でなければギャンブルを行い、清潔にしている暇があったらスポーツか麻雀をして、家事をしている暇があったら寝るか車の手入れを行い、女性の話を聞いている暇があれば、落語か漫才を聞き、記念日は盆と正月があれば十分だと言っているに違いないはずである。

結婚は人生の墓場に例えられるが、これは家庭という本来なら安住の地である場所においても快適さを求めない男性の冒険心が根強く反映されたものであると考えられるわけである。

結婚して、幸せになるとは何事か!そんなものは結婚生活と呼べるか!結婚とはどれだけ不幸になるかを競うものなはずだ!

というのは、既婚男性の全ての心の叫びであるはずである。そもそも、男は不幸自慢を行うという女性から見れば理解不能な話題が好きだという一面も持ち合わせているのである。

例えば、旦那の愚痴を女性同士で言い合って、女性は共感することによってストレスを軽減するようであるが、男性は女房の悪口を言い合って、それで自分がいかに不幸な境遇に立たされているのかということを男性同士で競い合うのである。

それで、一番自分が不幸であるということを確信できれば満足感が得られ、自分はまだまだだなぁと悟った時には敗北感を感じてしまうのである。

なるほど。

というわけで、仕事をして苦しみ、学業を行って苦しみ、家でも苦しみ、とにかく苦しみもだえることこそが男のロマンというものであるということが言えそうである。

本能と呼んでも差し支えないと思う。

男はタナトスを抱えて生きているのだ。

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2006年5月 9日 (火)

涙のリクエスト

最後のコインに祈りをこめてMidnight DJ~♪

って分からないって人も多いんだろうなぁ。世代差を感じてしまう。(「チェッカーズ」で探してみてください。歌詞はYahooまでどうぞ)

あ、いや別に歌関係の話をしようとかそんなんじゃなくて。(そう言えば、ブログタイトルってStingのEnglish Man in New Yorkから取ってきたって気づいてた人っておられますか?実はボストンにある某工科大学に行けてたら、「ボストンでお茶会」とかいう誰にでも分かるような名前にしてやろうかと思っていたのですが)

別にお金をもらっているわけでもなんでもないのだけれど、このブログってけっこうリクエストとかいただいちゃうことがあります。

料理の写真だとかレシピだとか載せてますが、そもそもこれらもリクエストがあったので実現しているものだし。

でも、なんか妙なもので、反響をもらったりとかアクセスが増えたりするような記事を書いちゃうと、ついつい張り切ってしまう性質なもので、リクエストにはけっこうまめに答えたりしています。

それでも答えられない(文字通り「能力がないから」という意味で)リクエストってのもけっこうあります。

1つが「恋愛観について語ってください」というもの。

おいおい( ̄▽ ̄;凸

そもそもそういうのは二枚目俳優のサイトなんかで掲載してこそ意味のあるものだし、だいたいそういったことは、その手の経験豊富というか達人でなければなかなかおもしろい文章は書けないのである。

例えば、あっしに大根の桂剥きだとか(注:できないというか、やったことないです。さすがに。「できそう」とか言われたことがありますが、できません)、漆塗りだとか、ネイルアートだとか、船の漕ぎ方だとか、棚の直し方だとかいったことって聞こうとは思わないですよね?

こういったことはその道の専門家に聞くのが一番なのである。

あっしの間違った恋愛観を真に受けて、「あ、真似しよう」とかいう男の子が出てきたら「イタイ」男の子を増やしてしまいそうだし、「あ、こうしたら男ウケよくなるのか」と実践しても全然もてるようにならなかったとかいう苦情が来ることにもなりかねない。

え?「反面教師にするからいい意味での教材になるって?」

でも、そんなことされたら切なくなるではないか。

というわけで、あんまし期待しないでください。まかり間違ってリクエストが増えまくったら、コンピュータで検索してから知恵を振り絞って書かせていただきますけど。

もう1つが「一度でいいから、読んでいて憧れてしまうような結婚生活についてとか、自分と結婚したらこんなことをしてあげたいとかいういい話を書いてください」とかいうもの。

おいおい( ̄▽ ̄;凸

あなたには読解力というものがないのかね?

あっしがこのブログで、女性に対して一言でも罵詈雑言を書いたことがあるであろうか?

女性に対しては、語彙の限りを尽くして美辞麗句を並べるように心がけている私の努力が見えないのであろうか?

そもそもあっしのように女性と結婚に対して幻想を抱き続けている若き一青年に対して、なぜかように「いい」という部分を強調される必要があるのであろうか?

というか、これまでに結婚制度に対しては間然するところがないくらいに賞賛の言葉を並べ連ねてきたではないか。

これだけでは満足されないのであろうか?

ていうか、「定期的に」やらないといけないのかもしれない。

まぁ、こちらは気が向いたら書きます。ただ、これを連載しちゃうと、あっしの周りで結婚ラッシュってことにもなりかねないですね。

文章の魔術に引っかかって、いきなり「結婚してください」って言う人たちが出てくるかもしれない。

まぁ、そりゃないか・・・・( ̄~ ̄;)

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2006年4月29日 (土)

結婚します

あ、今日はちょっと重要な報告があります。

このまま黙っておこうか、それとも公表してしまおうかといろいろと悩んだのですが。

本来なら、直接に会って自分の口から報告すべきかなとは思っていたのですが、なにぶん、異国の地におりますし、直接皆様にお会いする機会っていうのもなかなか持てないですし。

幸いにも、このブログをご愛顧してくださる方ってけっこうな数がいらっしゃるみたいですし、せっかくの道具ですから使用させていただこうかと思います。

今まで、個人的に婚姻制度のあり方や、今後の日本の経済情勢について憂うところがあり、それらについて様々な不安を書いてきたりもしました。

その一方で、まだまだ見たことのない世界に対する期待のようなものもあり、かなり肯定的な文章も書いてまいりました。

雇用情勢の不安や経済情勢、国際情勢など心配の種は確かに尽きません。

私個人の状況としましては、初めてのイギリス体験ながらそれなりに適応しており、放置状態という大人の対応をしてくれる大学にいろいろと感謝の念も感じております。

個人的な研究状況ですが、まだまだ世に問う機会がありませんので自己評価を下す以外にはないのですが、それなりに着実に進んでいるかと思っております。

それでですね。

私自身もとうとう20代後半に突入してしまいました。四捨五入すると30歳という年齢が聞こえてくるようになり、そろそろ自分の身の上も考えていかなければならない年齢になってしまいました。

イギリスで独り身でいることにたいして、心地よさはずっと感じておりますし、寂しさのようなものは感じているつもりはありません。

ただ、自分だけではなく、もっと周りのことについても考えていかなければならない年齢になったのではないのかな、と漠然と思ったりすることがあります。

というわけで、日頃から言語学以外にもいろいろと考えるところはあったのですが。

それでですね。

実は今年の年末になる予定なのですが。

なんと、私の弟が結婚することになりました!

キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー

(o ̄▽ ̄o) わ~い \( ̄▽ ̄o)/

え?なんですって?

「妙に誤解させるような文章を書くなって?」

あ、いや・・・( ̄ー ̄∂) ポリポリ

まぁまぁ、いいじゃないですか!たまには遊び心を出したってΨ(`∀´)Ψケケケ

というわけでですね、先を越されてしまいましたが、あっしの弟さん(縦にも横にもでっかい。傍目にはこっちが兄貴に見えるかも)が年上のお姉さんと結婚しちゃうので、あっしもその関係で年末に帰国することになろうかと思います。都合がつく人は相手してあげてください。

というわけで、年末は日本にいることになるんじゃないかという報告でした。

いやはや。

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2006年4月23日 (日)

新しい結婚のあり方について

最近、旬ということもあって、トマトと苺がめちゃくちゃおいしい。

トマトはそのままでも甘くておいしいですし、ちょっと塩をふりかけてもいい。それにトマトのフレッシュパスタにしてみてもいいし、ワインを飲むのであればモッツァレラチーズとトマトのサラダにするとかなり美味なのである。

トマトは市場で買うと5コか6コ入ったやつが2つで£1なので、日本円で200円といったところ。モッツァレラチーズもMarks and Spencerのお気に入りで99pなので200円といったところ。モッツァレラチーズは2回分の量があるので、一回に食べる皿一杯のサラダでせいぜい、150円くらいでできてしまう。これだけで、赤ワインが進むのである。

ワインもMarks and Spencerでだいたいお気に入りのが6つほどできたのだが、これらがだいたい1本日本円で1000円ちょいで買えるので、あっしのような貧乏学生にもこれぐらいの贅沢はできるのである。

苺も大きなやつが3パックで300円とかいう値段なので、ついつい買ってしまう。

栄養価も高いし。

タルト生地の作り方も分かったので、苺のタルトを作ってやりたいところだが、カロリーが高くて太りそうな上に、食べてくれるような人があんましいないので、そのまま食べている。

というか、苺はそのまま食べるのが一番おいしいと思うのだけれど。

最近はトルティーヤを使って、タコスも作るようになったし、Marks and Spencerのパケットを使って、バーニャカウダにつけて食べるのが美味(パケットは大きいやつで日本円で120円というところ)ということが分かっているし、週に2,3回は御飯と味噌汁におかず、という和食も作っている。(おかずは鮭のソテーに醤油というのがけっこう多い)

はっきり言わせてもらうが、全部おいしいと思う。

それと最近のヒットなのが、ブロッコリーのオレキェッティ。「小さな耳たぶ」というイタリア語の意味があるパスタをブロッコリーソースみたいなので絡めてしまう一品である。

なにせ、こっちのブロッコリーがうまいので、これがめちゃくちゃうまい。ブロッコリーの甘さとうまさを実感させられてしまうのである。

というわけで、最近は料理をするのがまたまた楽しい。フランスに行くと市場がけっこう盛んらしいので、ぜひともフランスに長期滞在してみたいものである。GLOWがパリあたりで開催されないのだろうか?(その前にGLOWで発表できるだけの論文書けよって話ですが)

あいかわらず部屋の掃除もちゃんとやっているし、洗い物も細々とやっている。それらを苦痛に感じたことは全くない。いや、本当に。

村上春樹さんが(そう言えば、あっしの文章を「ひねくれた村上春樹みたい」と言っていた人がいましたが、村上春樹さん自体がちょっと世間から距離を置いてひねくれたって視点で文章を書かれている人ですから、そこから推測するとあっしは真人間ということになるんですかね?あ、村上春樹さんは好きな作家ですし、ちょっと書きたいネタもあるのでそれはまた後日)、「一度は主婦(夫)生活はしてみていいと思う」といったようなことを村上朝日堂か何かで書かれていたのを思い出すけれど、確かに主夫(婦)って悪くないですよね。あっしは家事をするのは別に嫌いではない。

というわけで、またまた結婚後のことについてちょっと思考を張り巡らしてみることにする。

このようにあっしは家事をするのがけっこう好きである。

それと、仕事も(あれば、の話だけれど)ちゃんとこなす予定である。

つまり、一通りの市民生活はちゃんと行う予定なのである。

それでは、結婚すれば(仮に私にそのような能力があれば、の話ですからね。念のため。「おめーに結婚なんかできるか!」って本質をつくような反論はやめていただきたひ)私は相方、というか伴侶にいったい何を求めればよいのであろうか?

なんだかいくらでも話題が膨らんでいくのが自分の中で感じられるのだが、今日は結婚後の生活について考察してみたい。

まず、あっしは朝もちゃんと起きるタイプである。

今も、朝に珈琲を沸かして、ベーグルを焼いて食べながらインターネットニュースを見るのが楽しみな日課なのである。

前述したように晩飯始め、料理はちゃんとしているし、買い物、掃除、洗い物もそつなくこなしている。

ということは、伴侶にこれらをしてもらうように求める必要はなさそうである。

それと、あっしはけっこう一人でいる時間を確保したいタイプなのである。

一日に数時間一人でいる時間を確保しないとけっこう落ち着かない人間なのである。仮に「一日中、誰にも会わない生活をするか、もしくは一日中誰かと一緒にいるという生活のどちらからを送れ」と言われれば、あっしは間違いなく前者を選ぶであろうというぐらいけっこう孤独が好きな奴なのである。

それに、一人で論文とか読んだりしてるのってけっこうそれはそれで楽しい作業だったりするし。

それに加えて。

あっしは一人で寝るのが好きである。それこそ周りに人がいないというような状況で。

実は近くに人がいるという状況だと安眠ができない上に、ちょっとした雑音や違和感で「はっ」と目を覚ましてしまう小心者なのである。この辺りの心構えは「武士」と呼んでいただいてかまわないと思う。

ということはですね。

結婚しても、一人の時間を確保したい上に、一人で寝たい上に、一人で家事でもなんでもしちゃうタイプなので、理想の結婚体制としては、お互い不干渉という形がありえるのではないかと考えるわけである。

つまり、一つ屋根の下に暮らしていても、書斎と寝室は別々で、お互いの仕事と家事には不干渉で、リビングとキッチンとバスルームを共有すれば素敵な結婚生活を満喫できるのではないか、と思うわけである。

この体制だと、伴侶も仕事に集中することができるので一石二鳥である。それに、お互いに仕事があるのであれば、経済的にも独立採算制を採用できるし。

ただ、それだけだとけっこう寂しいものがあるので、週末は一緒に食事をするというのはどうであろうか?それだと、数週間に渡ってお互いに顔を合わせないということもないはずである。

あれ?これと仲のいいシェアメイトとの差っていったい何になっちゃうんだろ?

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2006年4月21日 (金)

かわいくて性格もいい

あ、えと、今まで引き籠もりに近くて、ほとんどflat mateも見かけることがなかったという中国人の女の子がいつの間にやらいなくなっていて、新たにスペイン人のかわいい女の子が入ってきました。

これで、うちのflatは8人中、男性が2人、女性が6人という内訳になっております。国籍は、日本人1人、スコットランド人が1人、アメリカ人が1人、スペイン人が1人、イギリス人が1人、中国人が3人という組み合わせになっております。

まぁ、国際色が豊かという一方で中国人の多さも特徴的ですよね。実はcollegeに入る優先権が一番あるのが障害者、次がinternationalということになっているので、international studentsがcollegeに多いのはけっこう特徴的なのです。

collegeはお金が特別安いというわけではないけれど、管理だとか電気代だとかいろいろと考えると便利な面も多いので、けっこう人気です。だって、こっちで何かトラブルがあると、なかなか修理とか来てもらえないみたいだし。(Glynもさんざん愚痴ってたし)

週末はあちこちで中国人学生がどっかに集まってパーティーなんかやってたりしてます。彼らはとにかく声が大きいのが特徴なので、遠くにいても本当にすぐに分かる。

だいたい、college近辺は閑静な住宅街ですし。

まぁ、それはさておき。

うちの女性陣はけっこう容姿端麗な人が多いです。6人中5人がそうだと申し上げて間違いはないかと。

中国人のうち2人はかわいい顔をしています。1人はいつもだいたい中国人の彼氏を連れています。(これに関する興味深い話はまた後日)もう1人がLiyaちゃんです。この子は北京のお金持ちさんで、高校からイギリスに来ているのだけれど、まぁ、自分でも言っているようにlazy(怠惰)なところがけっこうあったりします。それで、けっこう甘えん坊さんだったりします。でも、性格は凄くいい子ですし、わりと聞き分けがよかったりしますし、けっこうかわいがってあげています。(先日は漢字を教えてあげました。あ、ちょっと忘れたらしいんですね。まぁ、英語ばっかり使っているんだからしょうがない)

アメリカ人のKrisanneは、まぁ、これほどできた女の子がよくいるものだと感心するぐらい揃っている子です。才色兼備、性格もよくて、まぁとにかく文句をつける所がありません。彼氏もいい男(容姿は、ですが)ですし。

隣のイギリス人の女の子はけっこう寂しがり屋さんのようで、けっこういろんな男性を捕まえているみたいです。まぁ、彼らの素行は××なのですが、彼女自体はいい子です。なんか日本にもいますよね。本人はいい子だし、かわいいのだけれど、どうも男の趣味が悪いのではないか?ということで損をしているような人って。

スペイン人の女の子は、ちょっとラテン系が入っているようです。よく言えば自由奔放というか。

一応、collegeでは煙のするもの(煙草含む)は禁止されているのですが、どうも彼女の部屋は変なお香か何かを炊いているみたいで、絶えずもくもくとしたものが炊かれています。

それだけではなく。

冷蔵庫はキッチンに2つあって、それをシェアしているのだけれど(1つを4分割しているわけですね)、まぁ、いつの間にやら2人分以上のスペースを使っていたりしたわけです。

あっしが事情を説明すると、「でも、入れたいものがあるのよねぇ。あたしぃ、けっこう買い物しちゃったしぃ」となにやら甘えた声で・・・・

どうもかわいい子ってのは、男をどうやって言いくるめるかということを先天的にか後天的にかは知らないけれど、とにかくいつの間にやらそういう術を身につけていたりするもんですよね。

それで、周りの父親始め男連中が甘やかすもんだからついつい性格の方も・・・

男というものは単純で思考回路に欠陥のある生物だから、かわいい女の子のわがままだとかを嫌なものとして認識できないことが多々あります。困ったものです。

でも、共同生活なんだからはっきりと言うことは言わないといけないし、何よりあっしは元々歯に衣着せぬ物言いをするタイプだったし、海外ではそれをもっと全面に出さないといけない。

ということで、ここでは日本男性の強さというか心意気のようなものを見せなければいけない所なので、強くはっきりと言うことにしました。

「いやー、それはよく分かるよ。私もたまに困ったりするんだけどねぇ。でもね、冷蔵庫は2つだし、みんな使うんだしね。自分のスペースが割り当てられているので、1つにまとめてもらえるとありがたいんだけれどetc」

・・・・

という話をしているとLiyaちゃんがちょうどキッチンに入ってきて、あっしらが何を話しているのかを聞いてきたので、あっしが事情を説明すると。

( ゚д゚)ポカーン

「あ、これね。8人でシェアしてるから、さっさとまとめてね。はいはい、ごちゃごちゃ言わないで。こっち使うの?じゃ、開けるよetc」

いつも以上に話し方がきびきびしている上に、相手の反論を寄せ付けない早さでまくしたて、喋っている間に冷蔵庫からどんどんとスペイン人の女の子(Anna)の入れていたものを有無を言わさず取り出してしまいました。

すげー( ̄◇ ̄;)

なんか、あれですよね。「ごちゃごちゃ言っている女にはこうすればいいのよ」って手本を見せつけられた感じです。いつもと随分違う一面を見せてもらって感心したというか、何というか。

というわけで、かわいい女の子って周りが甘やかしちゃうので、かわいくて性格もいいってよっぽどいい育て方をされたんでしょうね。そういう意味では、けっこう難しいのかもしれないですね。

いやはや。

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2006年4月 7日 (金)

答えてはいけない質問

女心が分からないということに関しては人後に落ちない私であるが、それでもいくつか確信を持ってやってはいけないということと、やらなくてはいけないということが分かっている。(つもりである)

昨日もせっせと料理をした後、「○○と結婚できたらいいわね。皿洗いなら私がするから」といったような発言をクリスアンヌとリヤちゃんがされたわけである。

まぁ、これぐらいなら全然かまわないのだけれど。

女性陣の話題が、すぐに「結婚」に繋がってしまうのは古今東西変わらないということに関して、けっこう関心するというか慣れてしまうというかなんというかって感じなのだけれど、この手の会話の次に出てくる話題には気をつけなくてはならない。

「この中で結婚するとしたら誰がいい?」

まぁ、きちゃったというかやっぱりかという無理難題が私に振られてしまったわけである。

私の経験則から言っても、この手の発言にまともに答えるのは固く禁じなければならない。ちょっと想像がしづらいという方は、小学校の頃ぐらいの女の子の集団の「この中で誰が一番好き?」という質問を思い浮かべていただけると予想はつくかと思われる。

競争意識を常に持って、誰よりも美しく魅力的であろうと努力されている女性の努力を無駄にしてはならない。唯一、狙っているというか本気で好きで、付き合いたいと思っている人がいるという例外を除いて「○○さんが好き」などという発言をしてしまえば、その他の全ての女性を敵に回すことになると言って差し支えないと思う。

あ、例外事項の時のみ、他の女性陣からも自分の存在が許されることになるようなのだけれど。(実際はどうなのか知らない)

というわけで、この手の質問をされたときにする無難な答えとしては「うーん、難しいねぇ」というのが一番である。(英語でも同じ)

もちろん、返答を保留しているとさらに奥深い質問がなされることも多い。我々男性陣をじりじりと谷底に押し寄せていく女性の言説の巧みさたるや、我々男性の抵抗をまるであざ笑うかのごとくである。

とにかく上手なのである。

その手の言説の持って行き方こそ個人差があるけれど、内容というか目的は同じなので、責め立てられている間に、我々男性陣はいかにその場にいる女性全てを褒めるかということに思考能力を注がねばならない。

なるべくありきたりな褒め方ではなく、個人個人のそれぞれが一番気にかけているというか、一番自信を持っていそうな辺りを褒めていかなければならない。(だから、長所が被ってはならないのである)

そうして、その場の一人一人を別個に褒めることによって話題を逸らせるのが、我々男性陣に残された唯一の逃げ道なのではないのかと思われるのである。

水戸黄門の最後は印籠を見せて悪人を平伏せさせ、遠山の金さんの最後は桜吹雪を見せて名裁きを見せ、大岡越前が理路整然と混雑した事態を解決するように、女性に何かを質問されれば、最終的にその質問者であらせられる女性を褒めるという形で話を終わらせる必要があるのではないか、というのが私の経験から得た知識である。

生存するために残された特殊能力、「適応(mutation)」と呼んでもいいかもしれない。

今の所はこの方針がそこそこ功を奏しているように思われるのだが、最初から私が女性陣の守備範囲から外されているだけなので、それほど気にもかけられていないだけ、という気がしないでもないような気がする、春なのに寒い日でした。

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2006年3月30日 (木)

もし私が女だったら

前世だとか生まれ変わりだとかいった類の話は全く信用していないのだけれど、「もし生まれ変わるとしたら何になりたいか?」と問われたら、今度は「女になってみたい」と思う。

女性も常々思っておられると思うのだが、異性というのは本当に似て非なるものである。同じ人間であるように思えないのだ。

例えば、視覚組織の働きにおいて男性と女性の差はないと言われている。

本当にそうなのか?

周りの状況把握能力にせよ、空間認識能力にせよ、何に注意を払うかといったことにせよ、男性と女性の見ているものは全く違うのではないかと思えるほどである。単純に「色」というものも本当に同じように感じられるのか疑問で仕方がないのだ。レンズやら網膜やらの働きは同じにせよ、それらを統合している脳が違えば全く別の機能を持つようになるのではあるまいか。

といったようなちょっとややこしい問題もあるし、何に注意を払っているのかということも知りたいし、女性の感じ方・考え方というものも一度体験してみたいものである。そういったことに関して、男は単純明快過ぎてちょっとおもしろみがないのである。

それと女装願望というほどのものでもないけれど、女性の格好とかもちょっとだけしてみたい。(今の外見でやるのはちょっと嫌です)

できれば、とびっきりの美人かかわいい容姿で、単純な男性たちをクルクルと振り回してみる困った女の子になってみたい。(小説で言えば、ノルウェイの森のみどりちゃんみたいなのがいいです)

それによく考えてみると、私は女性であればもしかしたらもてたのではないかと思われる要素がいくつかあるように思える。

と思ったが、考え直してみるとやっぱダメだな。

やっぱり、男でいいです。(野球できるし)

明日は、イギリスの大学の話かイギリス人気質についてでも書こう。

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2006年2月20日 (月)

専業主婦(夫)になりますか?

なんだか最近、話の流れが変な方向に走りつつある。

まぁ、今日もサッカーをして論文読んだくらいのことで、日記をそのまま綴っていても面白味も何もないのは確かなのだけれど。(でも、本人にしてみたらいい生活である)

実は私の周りには専業主婦願望の方々が多いのである。メディアだとか大学関係の書物を見ていると「社会進出を果たしたい」という記述はあるのだが、どうもこれは現実の実感との落差が大きすぎるような気がする。

個人的には女性が働くということには賛成である(諸手を挙げて)。でも、現実そうなんだから仕方がないとして、それでは専業主婦という願望を叶えるのに今の日本社会がどれだけ厳しいのかということを考えてみよう。

専業主婦になるということが難しくなった要因として、

1.経済状況

2.社会環境の改善

の2つが挙げられるように思われる。まず、2の要因から。

皮肉ではあるが、昨今の家事が楽になったという状況は専業主婦が生まれづらいという状況につながることとなった。というのも、一昔前なら専業主婦というのも重労働であり、それなりに胸が張れる職業だったからである。ところが、昨今のように炊事、洗濯、掃除がかなり簡単にできるような状況になると、「専業主婦?他に何もしないの?」という話になってきてしまった。というわけで、「専業主婦=何もしない」という等式が成り立ちつつあるわけである。

1の経済状況は今更という感じである。1人身で身を立てるのもなかなか厳しい昨今、妻を抱え、子供を抱え、貯蓄を貯えてetcなどという状況はほとんど少数の富裕層のみが持てる夢となりつつあるからである。(この際、一夫多妻制を認めればよいのではあるまいか)

この程度のことは主婦願望をお持ちの方もつくづく存じ上げているようで、よく「結婚するなら年収手取りで600万円は最低ライン」などという話をよく耳にする。

ただ、現実問題、妙齢の独身男性でこれだけの金額を稼いでいる人というのはごく少数である。

各自治体の公務員給料を調べれば分かるが、まず公務員はこの基準を満たしていない。(30歳前を想定しています)それに学生の就職人気ランキングベスト10に入るような企業でエリートコースを歩んでいる人間になって、ようやく30歳ぐらいでこのラインに到達しようか、というのが現状である。(ただ、財閥系をはじめ、最近は出し惜しみ傾向にあるようですが)

ということは妙齢の独身男性で年収600万円という(最低とされる)基準を満たしている男性は、パーセンテージで概算3%ぐらいということになるはずである。(今、ググったら某コンサル会社も似たような数値を出していた。便利な世の中になったものである)

前回の「結婚相手に望む条件」も加味すると、これらの用件を満たした男性はほとんど天文学的数値に匹敵するということがお分かりになるであろうか。

それだけ、専業主婦になるというのは難しい話なのである。お勧めのラインとしては、有望株の若い男を若いうちに捕まえておくということが第一条件なのではないのかな、と私は思う。(宝くじを買うのと同じと思っていただければいいかと思われる)

ちなみに私が仮に女性だとして、「私を結婚相手に望むか?(特に専業主婦願望があったとして)」という問を立ててみたが、私としては残念ながら「否」という結論を下すことになるものと思われる。

まず第一に、一番重要な経済状況であるが、私の進路は不確定極まりないものである。一応、ありえそうな進路を列挙すると

1 大学、もしくは研究所などの研究機関に無事就職

2 上記の機関に期限付きで暫定的に就職(要するに契約社員みたいな立場)

3 フリーター・ニート

4 その他(一般企業や学校教育機関など)

というのが考えられる。他にもプロ野球選手やピアニストなど、可能性としてありえそうな職業は山ほどあるのであるが、それらは今日は省いておくこととする。

ぶっちゃけて言うと、上記で一番可能性が高いのは2か3である。(要するに職業としては最低ライン)一昔前ならgrant holderで海外PhDと言うと引く手数多だったらしいが、昨今はそんな人たちも珍しくなくなった上に、大学も潰れる時代なので、海外PhDはほとんど必要最低条件という状況になりつつあるようである。同じ理由で、1も最低ラインの職業かもしれない。これから大学は氷河期を迎えるからである。いきなり「クビ」を宣告されることも珍しくなくなってくるであろう。

ちなみに博士課程を修了した(業界外の人には難しい仕組みだが、博士課程を「修了」しても博士号が取れるとは限らない(てか、取れないことの方が圧倒的に多い)のである)人たちの自殺率は5%で、これは他のあらゆる社会階層の中でもダントツの自殺率なのである。

というわけで、私が金を稼げる可能性というのはほとんどない。(スウェーデン科学アカデミーの人たちが気前よく、私にノーベル賞を授与する、などという話が出てくればまた別の話だが、そうなったら私以外にも世界中の10万人以上の言語学者がノーベル賞を受賞することになりそうなのがつらいところだ)

これで、一番重要な経済的有望株であるという可能性が消えた。私に経済的成功を求めるのは、路上に放置されたくちゃくちゃの宝くじに当たりを求めるようなものである。

次に自分で言うのもなんだが、私のようなやつに御飯は作りたくない。

よく考えれば当然だが、自分で御飯を作ったり、あれこれのいろんな店を知っている人間は例外なく味にうるさい。(だって、味にうるさいからそういう趣向を持っているわけだし)

御飯を作っても、上辺では「おいしい」と言って食べてくれそうだが(ちなみに私はだいたいの料理を文句を言わずに食べることが可能である)、本心では何を考えているのか分かったものではない。

漠然と「おいしくない」程度の感想ならまだしも、「麺を茹でる前にばらさなかったな」だとか「パスタソースにゆで汁を混ぜてから中火か弱火でしっかり煮込まなかったな」だとか「仕上げに塩をひとつまみ入れるのを忘れたな」だとか、「大蒜を強火で炒めて中に火を通さないで、オイルコーディングができていないな」だとか、「ソテーでころころひっくり返しまくったな」だとか、「白菜、青梗菜などといった葉系の野菜と、人参、玉葱なんかの火の通りの遅い野菜を一緒に入れて炒めたな」などといった細かく、しかも的確な指摘が口から出てこようものなら、作り手としてはかなりのプレッシャーである。

そんな細かい味を見極める男に料理を作りたくなる妻というのは果たしているのであろうか?

あ、もちろん兼業主婦希望で家事分担するならこれほどいい夫はいないのだろうけれど、専業主婦としてはたまったものではない。

ついでに言うと、洗い物もけっこうマメにして、洗濯、掃除もやってきているような男だと、上辺で文句は言わなくても、あれこれと気づいていそうでけっこうプレッシャーである。

専業主婦としては仕事はできるのだけど、家事がさっぱりという男に限る。

どんなものでも「おいしい」とがつがつばくばく食べて、掃除も洗濯もできないので、とりあえずそれなりにやっていれば満足してくれる大雑把な男が一番だと思う。

あ、もちろん、その手の人に清潔感だとかファッションなんかを求めるのは筋違いなのだけれど。

というわけで、専業主婦願望があったら、私は私のような男は願い下げである。

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2006年2月18日 (土)

男性が求められているもの

男が求められているもの、というといったいどんなものがあるのであろうか?「結婚」という枠を離れてもっと一般的に、女性がパートナーの男性に求めていると思われる条件を羅列してみよう。

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