9月の初めにシアトルに向かうことになりましたが、実は海外体験も初めてで親元を離れるのも初めて。
初めてづくしだったのですが、特に高揚感があったわけでもなく、不安も何もなかったです。
なんか、現実って実際、自分の身の上に起こったら「こんなもんか」って感じ。
アメリカの大学では、初めて訪問する人にはホームステイ先を宛がってくれます。
だいたい、数日間はステイ先に泊まることになるようです。
よく、いろいろな業者を介して「ホームステイをしよう!」みたいなのがありますが、基本的にああいうのはトラブルも多いです。よく考えれば分かることですが、わざわざ他人、しかも言葉が不自由でバックグラウンドが異なる人を迎えるのを好意でやっている人なんてそんなにいるわけもない。
ただ、大学関連のやつだとちゃんとした所を宛がってくれるので、その辺は心配していませんでした。
訪問先はこれまでに数百人規模で日本に縁のある学生の世話をしてきたという、日系人夫婦の家。
名前も見た目もどう見ても日本人って感じの老夫婦なのですが、日本語は話せません。(挨拶とかは知っている)
元気でとてもいい人たちで、祖父母が遠い田舎にいて、あまり祖父母と縁のない環境で育った私にとっては田舎の祖父母のようなものです。今でも、年に2,3回はカードや手紙を贈ったりしています。
この二人には随分と世話になって、off-campusの家の探し方や、銀行のシステム、それと生活雑貨品の買い物なんかにも付き合ってもらいました。(どうにかして、もう一度くらいは元気な顔を拝見したいものです)
さらにありがたいことに、別の部屋にブルガリア人のインテリジェントなお兄ちゃんがステイしていて、何回か遊びに連れて行ってもらいました。
彼は横浜国立大学のコンピュータサイエンスで博士号を取得したので、日本語も堪能。
それだけではなく、ブルガリア語、ロシア語、英語、フランス語ができます。とんでもないです。2人でのコミュニケーションは基本、日本語でしたが、もちろん夫妻がいらっしゃる時には英語で喋っていました。
彼のアドバイスによれば、外国語を学ぶときに一番役に立ったのが「テレビ」だったということで、セール中だったテレビも一緒に買いに行くことにしました。
実は、シアトルに到着したその日に大学まで行ったのですが(シアトルには午前中に着いていたので)、そこで、まぁ、いろいろな書類を手に入れたり、あちこちに事務関係で歩き回ったりしたわけです。
海外からの留学生は麻疹か何かの予防接種を受けねばならなかったので、注射もしましたが、正直、けっこう痛かったのを覚えています。(日本のより気のせいか針が太い)
注射って、別に受けている時はなんてことないのですが、妙に緊張するというか怖いという感情が出てくるんですね。幼稚園の時なんかに、友人が泣き叫んでいたり、ドラえもんなんかでのびたくんが注射を怖がる話なんかがあって、それが微妙にトラウマになっているのかもしれません。
故藤子藤雄FさんをPTSDで訴えるべきか・・・
International Officeという所に行って、internationalの学生の手続きをして、そこで神戸から来ていた日本人の女性(年上だった)とドイツ人3人組と出会う。
そのままドイツ人3人と一緒に部屋探しをして、ビールを飲みに行く。(私のような童顔はID携帯必死です)
陽気なドイツ人3人はけっこういい奴らで、翌日なんかもいろいろと銀行やら何やらと一緒に活動していたのを覚えています。それと、ドイツ人って英語がうまい。(これは本当)
部屋関連のclassified adsを見ていると「明るいゲイ募集」なんてのがあったりします。思わずgayとguyと辞書を引っ張り出して調べましたが、どう見ても綴りはgayにしか見えません。どうも、こういった人たちは同じ家をシェアして、その、パーティーなんかをやるのはいいのですが、まぁ、シェアメイトと交わったりすることも珍しくないことなのだそうで。
学期が始まる前に、ステイ先のお爺さんが一緒にSAFECO FIELDに連れて行ってくれたのですが、ここでもうはしゃいだというか、感激したというか。
アメリカのスタジアムはとにかく、大きくて綺麗。日本のものとは随分と違います。
その日は特別日で、先着2万名にジョン・オルルード選手のポスターがもらえる日だったので、喜んでそれを鞄に入れる。
スタジアムのグッズ売り場も綺麗だったし、球場の芝なんかが綺麗で、もう頭がおかしくなりそうでした。
マリナーズですが、印象に残ったのが、とにかく「守備のうまい選手が多いこと」。
ショート、アレックス・ロドリゲス、ファースト、ジョン・オルルード、センター、マイク・キャメロンの3人はとにかく「びっくりした」という感想がぴったりで、今も彼らの動きは目に焼き付いています。
残念ながら、マリナーズは先発投手がローテーションの谷間(ポール・アボットが先発)で、中継ぎのパニアグアがばっかばか打たれてしまって、中盤で試合は決した形になったので、7回のSeventh inning's stretch(観客がみんなで立って、Take me out to the ballparkという歌を歌って、それから踊ってはしゃぐというイベントがどの球場でもあります)が終わった次の攻撃で帰ることになっちゃいました。
こんな感じで、授業が始まるまでいろいろとやることがあって、「ホームシック」だとか「カルチャーショック」を受ける機会はありませんでした。(こういうのはどうも特殊らしく、2,3日目でけっこう気持ちが落ち込んだり、部屋で泣いたりすることがある方が大多数のようです。「毎日泣いていた」という人を見つけるのも難しくないですし、ノイローゼで帰っちゃう人もいます)
部屋もけっこう簡単に見つかって、65番という大学の敷地に乗り入れている便の多いバスに乗れば10分でキャンパスにつけるとかいう場所。(NEの65th Street, 35th Avenueです)家の前はコンビニだし(11時で閉まるけど)、シェアメイトの男前の兄ちゃんがけっこういい人そうだったので、即決する。(彼はスティーブといって、随分と馬が合いました。今でも連絡を取り合っているのですが)
そこで、契約書だとかいろいろなものを読んで、サインしてみたわけですね。
授業が始まる前に、FIUTSとかいうinternationalの学生用の団体がキャンプだとかいろいろとイベントを用意してくれているので、それでキャンプなんかにも参加しました。
そこでいろいろと日本人の学生なんかとも知り合いになったのだけれど、とにかく交換留学生が多い(青山学院、慶応とか)んですよね。
基本的に関東の人が多いので、私の喋りはとかく珍しいようで。
キャンプ自体はけっこう楽しくて、国別対抗のパフォーマンスなんかもあったのですが、なぜか笑いを取る役に私が全会一致で指名されることになる。基本的に関東の男の子たちは、自分を落とすということができないようです。関西ではどんな男前でも、自分を落としてなんぼとかいう文化があるのだけれど。
FIUTSはキャンプだけじゃなくて、授業の受講についてだとか、ビザ、医療、法律関連の説明だとかけっこう細々と世話を焼いてくれるけっこう頼りになる団体です。
でも、説明会なんかはめんどくさいので、適当にブッチして、知り合いになった日本人、台湾人、韓国人、タイ人、ドイツ人、フランス人なんかと昼過ぎからは遊び回っていました。(夜遅くまで)おかげで、大学近辺のお店やダウンタウンには随分と詳しくなりましたが。
国別対抗のサッカー大会なんかもあって、けっこう楽しめました。まだ若かったし、前年までバリバリ野球をやっていたので、当時はけっこう戦力になりました。(今は、簡単にバテます。まだ塁間ならそこそこ速く走れるのですが)
ほぼ毎日、遊び歩いていたというとっても優雅な時間を過ごしていましたが、そのうち授業登録を考えないといけない時期になります。
アメリカの大学の授業はけっこうシステマチックで、インターネットで受講教室・内容・講師・受講人数・登録人数の全てが分かります。それで、授業に登録番号というものがあって、それを電話を使って授業登録をする。(ここで、電話のpound signを活用するということを覚えました)
アメリカの大学は、学部は基本的に教養学部という形になっています。
つまり、特別な専攻というものは3年目ぐらいに決めて、それまでは取りたい科目を適当に取る。
専攻の他に副専攻(minorと呼びます)なんかも決められます。
授業もシステマチックに組み立てられていて、大体、100番から200番台の授業番号がついたものはイントロダクション用。特別な知識は必要とされません。
こういった授業は、週に数回、instructorの大学の先生が講義形式で大人数(百人規模)相手に喋って、それを週に数回、TAと呼ばれる大学院生が3,40人規模のクラスで埋め合わせて授業をするという形態を取っています。
私は、Introduction to Linguistic Theoryというものを1つ受講していました。instrucutorの講師がマイケル・ブレイムという60年代から70年代前半にかけて活躍した言語学者。(端的に言うと、今はあんまり相手にされてない)彼は随分と話し上手で、講義を聴くのが楽しかったのだけれど、ただ、あんまり役に立たないというか、余談が随分と多くて、あんまり本質的な内容に触れることがなかったかもしれません。(ただ、類型論の知識が豊富で、引き出しが多いので、講義は本当におもしろかった)
TAは、ホームページによれば、今も在学中のケニン・リーという中国人のお姉ちゃん。
TAをやるのは初めてだそうで、随分と気弱で自信なさそうに喋るのですが、彼女の授業はとにかく分かりやすくて、テストの点を取るために必要なポイントを非常にうまくまとめてくれています。(余談ですが、音声が専門で、随分と優秀な学生なようです)
いつも、「分かる?」って感じで自信なさげに喋るのだけれど、受講者の評判は上々でした。
こういうのって、教壇に立った経験もあるから分かるのですが、受講生に「分かりやすいですよ」と一言言ってもらえるのが、本当に自信につながるんですよね。ありがたい一言なのです。
彼女は中国人なので、FIUTSの一員です。FIUTSは毎週水曜日にサンドイッチ(ものすごくちゃちいですが)を用意して、部屋を開放してくれるので、そこがけっこう交流の場になって楽しいのですが、彼女をそこで見かけることがあります。
私は彼女を捕まえて、「分かりやすいよ」だとか「受講生もみんな分かるって言ってるよ(マイケルはわけ分かんないけど)」とか、いろいろと話すように努めました。
学期の終盤には随分と様になっていたのを覚えています。テストが終わってからは、オフィスに呼んでもらって、いろいろと話もしました。(今後、どこかの学会で出会えるとおもしろいのですが)
他に受講していたのが、400番台の形式意味論と統語論という授業。
クラスは30人を目処に締め切るもので、学部の最終年に近い人たちが受講するコースです。統語論のinstructorはコントレラスという引退したお爺ちゃん。
彼の授業は「眠い、つらい、分からない」の3拍子揃っていて、受講生には不評でした。
ただ、私は統語論というか生成文法の考え方が性に合っていたようで、テキストを流し読みしただけで全部分かるようになっていたので、途中で受講をさぼり気味にして、テストだけ受けるような形にしていました。(成績は良かった)
意味論は、PhDを取ったばかりのマイケル・ダグラス・ウルフという陽気なお兄ちゃん(禿げてたけど)で、授業もおもしろくて、毎回盛り上がっていました。(テスト前にはクイズ形式の大会なんかをやって、罰ゲームはドリア(臭い果物)を食べないといけない、とか)
意味論と統語論の授業で、エリック、キャラ、ジェニファーという3人組と随分と仲良くなって、授業のある日(午前中だった)は、そのままお昼を一緒に食べて、図書館のstudy roomを借りて、勉強(てか、遊び)することも多かったです。
統語論は私の理解が速かったので、彼らに教えることが多かったですが、意味論はみんなで「分からん」って感じになっていました。
そのうち、私はマイケルのオフィスアワーに毎週突撃するようにして、いろいろと教わりました。おもしろくて、優秀で、いい人だったのですが、マイクロソフト系の会社に引っ張られちゃいました。
意味論も私の理解の方が速かったようで(この頃から、英語ができないということがコンプレックスでなくなりました。だって、自分がネイティブに教えているんだから)、そのうちテスト前にはいろいろとアドバイスするようになっていました。
授業はもう1つ受講していたのですが、実はそれは大学院生用のコース。(大学院生は初年度に400番台と500番台の授業を取ります)
ワシントンには、フリッツ・ニューマイヤーという有名な言語学者がいるのですが(NHKにも2回だけ出たことがある)、彼は大学院生用の授業しか担当していなかったんですね。
せっかくワシントンに来たんだから、ぜひともフリッツの授業を受けてみたかったので、私は思いきって嘘をつくことにしました(爆
アメリカの大学の高番号の授業は、前提となる授業(prerequisiteと呼びます)をいくつか受講していないといけないのですが、私は、フリッツにアポを取って「日本で○○、××をやってきたので大丈夫」とはったりをかまして、受講許可を得ることに成功しました。
端的に言うと、受講登録できるように身分を大学院生に変えたわけです。つまり、学部で留学しているはずなのに、大学院留学が体験できた。
フリッツの授業は、言語理論の比較というもので(Language Form, Language Function+reading packetが課題)、けっこう抽象的で分かりにくかったですが、それでも大筋は掴めていたような気がします。
日本で、Functional Linguisticsと呼ばれる学派の本はよく読んでいたということで、学期末のレポート(論文が課題)では、随分と楽をしました。「言語はあくまで、派生可能な構造というものが先にあり、それをどう活用するのかというレヴェルで話をするのであれば、機能文法は十分に存在価値がある。ただ、彼らは機能が構造を決定するとかいう誤解をしており、言語機能を指摘して、それで説明が終了したと自己満足している」といったことを書いたことを記憶しています。
大学の授業は随分とハードで、とにかく読む文献の課題が多いのです。(reading packetというのは要するに論文の束です)
当初は読むスピードが速いわけではなかったので、平日はとにかく勉強ばっかりしていました。
勉強、勉強、また勉強。
その代わり、金曜の夕方からはFriday nightということで、全力で遊びました。
土曜は、だいたい10時くらいに起きて、洗濯物を回して、近所のSAFE WAYに買い物に行って、部屋を掃除して、勉強して、夕方から遊ぶ。(昼から遊ぶこともある)
日曜は、ダウンタウン(宇和島屋とか)に午前中に買い物に行って、午後から勉強。
というのが基本サイクル。随分とメリハリがあったのではないかと思います。
平日は、だいたいシアトルマリナーズの試合に時間を合わせて料理を作って、御飯を食べて、スティーブと喋って、それから勉強して、寝る前にBaseball Tonightを見るというのが日課。
ただし、マリナーズがプレーオフに行ったので、昼間もHUBという場所で野球観戦していたことは多いです。
実は、学業成績はけっこうよくて、Dean's listという優等生名簿に記載されました。これに載ると、termの分の授業料が免除されるとのことでしたが、交換留学で授業料は免除されていたので、名誉だけいただきました。
ただ、こういう形になるものが残ると自信になります。はったりをかまして受講させてもらった手前、恥ずかしい成績は取れないですし、それに留学生は単位を落とすとクビになる。(アメリカでの話)
アメリカの大学はこういう形で知り合いがすぐにできる(アメリカ人は人懐っこい)のですが、イギリスは基本的に「我、関せず」。
授業は受講していないので、あまり詳しいことは言えないですが、端から見ていると、なんかみんなバラバラで帰っているという感じですね。勉強も一人って感じですし。
こっちはみんな自分のコミュニティーがあって、それぞれ自分の世界を持っています。大学院生だとそれでいいのですが、学部生だとちょっと物足りないんじゃないかなぁという気がしないでもない。(修士のtaughtコースの人たちは授業とか一緒なので、けっこう仲良くなるみたいですが)
それと、こっちでは同じ国籍の人たちが固まる傾向にある。アメリカだと、民族・人種のごった煮で遊んでいた記憶があるのだけれど。
それとOSAというinternationalの学生の団体がありますが、FIUTSほど手を焼いてくれるわけでもないし、そんなにイベントもやっているわけではなさそうです。internationalの学生の大半は中国人なので、OSAは端から見れば、中国人学生の団体に見えなくもないですが。
次回はレポートの書き方か、日常生活の風景か、何か気が向いたものを書きます。たぶん。