スポーツ

2009年7月18日 (土)

また巡り来る夏の日に

えと、暑いですけど、高校野球観てきます。

ちなみにこれは先週撮ってきた写真。高校野球の雰囲気、懐かしい。


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2009年4月11日 (土)

野球してみた

えと、新しい生活のリズムもぼちぼち掴みかけているところなのですが、どうも自分がいるべき所にいないような違和感が身体の芯から抜けきれない。やっぱり、ヨーロッパ辺りで仕事を見つけたいですね。

一方で、思ったより自分の時間が取れるので、dissの仕上げをする機会はちょこちょことあります。基本、愛機のMacBookと幾許かの論文が手元にあればやることはいろいろと決まっているので、便利と言えば便利なのです。

はてさて。

かれこれ4年ぶりに日本の桜なるものを見たのですが、なかなかよいものですね。つい2、3日前に満開になったかと思ったのに、もう枯れ始めているという情緒があるのもいい。私は変化というものをわりと肯定的に捉える奴なので、ずっと一緒というよりは、「一花咲かせてやるぜ」というこの風情がなかなか好きなのです。

今の生活リズムなのだけれど、仕事を終えて、その日の食事の買い物をするのが夕方になっています。それで、タイムサービスってなかなかによいですね。私のような貧乏人には重宝します。今の生活リズムだと、金銭的に余裕があっても同じ事を続けてしまいそうですが。

2日前はスモークサーモンとアサリが半額だったので、ビールを飲みながらスモークサーモンのサラダとアサリのパスタを作ってみました。

サラダ菜と水菜もそれぞれ2割引になっていたので、とことんまでおつとめ品にこだわった代物です。って、全然、自慢にも何にもなっていないのだけれど。

エクストラバージンオリーブオイルにホワイトワインビネガーを加え、塩、粗挽き胡椒(胡椒挽きがついている)、マスタード、それに擦り降ろしの玉葱を入れればドレッシングも簡単にできるし、なかなかおいしい。

スモークサーモンは紅鮭で作ってあったので、ヨーロッパのそれとはちょっと味が違うのだけれど、まぁ、これはこれでおいしい。

日本ではムール貝よりはアサリが手に入りやすいので、これはこれで上品な味になっていい。ムール貝は基本的においしいのだけれど、時々ドブのような臭い匂いのものに当たる可能性があるので、そういった心配をしなくていいのはけっこう心強いのです。

そして、昨日は久しぶりに野球をしてみました。

なにせ、野球が存在しないと言っても過言ではない国にいたもので、かなーり長いブランクがあったので、肩関節がどうもおかしい。

筋肉がなんだか落ちてしまっているし、それに時々滑らかに動かないことがある。錆びついているとでも言えばいいのだろうか。

しかしながら、それでも一応、「きてる」ボールは投げられているみたいで、回転と伸びのいいボールが投げられていたようです。。。

って、あまり無理をしすぎたせいか、その日はもう肩がおかしいというか、重いという感じ。余った氷でアイシングをさせてもらいました。

ティーバッティングもさせてもらったのだけれど、ボールを打つ感覚って気持ちがいいですね。なんだかすっきりとした気分になれます。

というわけで、ちょっと無理して体を動かしてみたのだけれど、意外に筋肉痛がない土曜日の朝。

もしかして、筋肉痛が翌日に来なくなるとか、そんなこたぁないですよね。

まさかね。

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2009年3月25日 (水)

野球がベースボールを越える日

WBCで、日本が準決勝でアメリカ、決勝で韓国を降し、2連覇を果たした。

前回の優勝チームということで、多大な期待を受けた中、結果を出し続けた彼らに惜しみない賞賛を送りたい。

特に準決勝でアメリカに勝ったという事実は、日本の野球文化の成熟、レベルの高さを証明するに足る結果であったと思う。

この一戦だけで、日本の野球の方がアメリカのbaseballよりレベルが高くなったと判断するつもりは毛頭ない。しかしながら、「比べられる位置にまで来た」と断言してもかまわないのではないかと思う。

WBC出場辞退者が相次いだものの、それでもこの日のアメリカの陣容は豪華なものであった。

内野は一塁手のケビン・ユーキリスが抜けたものの、セカンド・ロバーツ、サード・ライト、ショート・ジーターはそのままオールスターだし、外野もブラウン、グランダーソン、ダンの3人は十分一流のメジャーリーガーと呼べる面子だし、キャッチャーのマッキャンも素晴らしい選手である。

それよりなにより、先発投手のロイ・オズワルト投手は全米でも5本の指に入る程の好投手で、大舞台にも強く、わざわざローテーションを変更してまで日本にぶつけてきたということからも、アメリカが相当、日本を手強い相手とふんでいたという事が分かる。

場所がドジャースタジアムで完全にアウェー、それに主な審判がMLBからの派遣で、何度か明らかな「ホームアドバンテージ」と思われるジャッジがあった。それでも、日本の強力投手陣はアメリカを抑え、オズワルトをKOし、リリーフからも見事追加点を取った。

8回表にアメリカの追撃を受けたときは確かに危ない展開だったのだが、それでも4回裏以降は日本の試合は危なげがなかったし、実に安定感があった。

アメリカはWBCにそこまで本腰でもないし、選手もコンディションを必ずしもピークに持って来ているわけでもないということは事実であろう。真夏にWBCが開かれたとして、アメリカの選手たちが、この程度のコンディションで試合に臨むとは思えない。

それでも、20年前、いや15年前の日本が同じ状況でアメリカと試合をする機会を持ったとして、勝つ可能性があったかと問われれば、私は「とてもじゃないが、無理だったのでは」と思わざるを得ない。

それほど日本野球とアメリカのbaseballの壁は厚かったのである。

日本の野球に関わる人たちは、自分たちの向上にもっと胸を張っていいと思う。アメリカが弱くなったわけじゃなく、日本が強かったのである。実際、New York TimesもMajor LeagueのオフィシャルサイトでもWBCの優勝候補筆頭に日本の名前を挙げていたのである。彼らのスポーツを見る時の眼は極めて冷静なのだ。

決勝は激戦で、今も興奮覚めやらないが、とにかく、韓国も鍛えられたいいチームであったということが言えるように思える。まぁ、個人的にはイチローにまさかあんな場面が与えられて、そこでしっかり結果を出す機会があるだなんて夢にも思わなかったが。(ずっと信じていましたけど。本当に)

ところで、私はずっと公言し続けているのだけれど、原辰徳という人は選手時代も監督時代も本当に過小評価されるきらいがあって、気の毒である。

しかしながら、今回の優勝で株を上げたのではないかと、ちょっと嬉しく思う。

原さんが選手だった時代、私は(関西人の常?)アンチ巨人だったわけであるが、それでもこの人はなんとなく好きだった。非常に好感が持てる紳士だと思うし。

WBCで原監督が優勝監督となり、去年西武を日本一に導いた渡辺監督といい、彼らは新時代のリーダーとしてふさわしい資質を持っているのではないかと個人的には思う。

例えば、原監督は、これだけの短期間で選手たちを束ねることに成功し、実に素晴らしいチームを形成された。

日頃は各自の球団で主力を張っているお山の大将たちから、不協和音は全く聞こえてこなかった。

控えに甘んじるということは、端から見るより屈辱的なことだと思うのだが、それでも適材適所に人材を見極め、一人一人に眼を配り、最大限のパフォーマンスを引き出す場を提供するという点において、原監督は実に素晴らしい才能を持った人だと思う。

コーチの人選も素晴らしかったし、年配の実力者たちともうまく人間関係を築く能力がある。思うに、彼は人をリスペクトし、人の特性をうまく見抜き、うまく乗せることができるのだと思う。

それでいて、批判の矢面には自分が立ち、責任を背負うだけの自立心を持っている。彼とともに仕事をすると、きっと非常に快適な気分で、自分の能力が発揮できる機会が与えられるのではないかと思う。

自軍の選手、コーチ、スタッフに対する配慮、リスペクトもそうであるが、彼は対戦相手に対する配慮も素晴らしく、実に紳士的である。アメリカ、韓国、キューバ、中国、それぞれに対して、非常に尊重する態度を取っているから、相手の選手たちからもいい反応が返って来る。

それに審判団に対する紳士的な態度は決して反感を呼ぶことはなかったし、マスメディアに対する応答も実に見事である。

WBC監督人事が決まった当初は、「原じゃダメだ」、「なんで原なんだ?」、「読売か」、「頼りない」と散々にこき下ろされたが、うまく受け流し、実に紳士的に応対していた。

よく考えれば、原辰徳という人から、不満や悪口の類いを聞いたことがない。あれだけ根も葉もないことを言われ続けていれば、愚痴の一つもこぼしたくなるであろうが、彼はそういった態度を微塵も見せることがない。実に素晴らしい。

采配面では何かと酷評されることも多いが、やはり長年の監督経験で成長しているということが見て取れるし、それにこの大会では、盗塁やエンドランのタイミングが実に巧妙であったと思う。

特に采配面は結果論で、あれこれと批判がつきやすいのだが、それでも私は原監督の戦術は素晴らしいものであると思う。まず、選手に対する思いやりと、控えの選手たちに出番前の準備ができるような一貫性があるという部分において、人を扱う能力に長けているなぁとつくづく関心するのである。

それに選手たちの失敗を責める事が決してない。「使っているのは俺なんだから、俺の責任で好きにやってこい!」という懐の深さが見てとれる。

選手が失敗すると、ベンチを蹴り上げ、怒鳴りつけ、ベンチ裏で殴る蹴るの暴行を加え、不満な判定があれば審判にすら手を上げるような人がいる一方で(正直に言うと、この人は弱小阪神を引っ張り上げてくれたので、ちょっとだけ好きです)、彼のようなリーダーは、人に対するリスペクトを失わない、人間味溢れた素晴らしい人だと私は思います。

たぶん、こういった人の方が長期的に見ればうまく組織を操っていくのだろうし、それに自分と自分に関わった人たちがみんな幸せになれるんだろうなと思う。彼ら若い指揮官たちは、今後の時代を切り開くだけの能力と配慮があるのであろう。(こういう部分は前の王監督も持ち合わせていたと思う)

野球が発展して、それで野球でちょっと幸せな気分になれる人が一人でもいればいいなと私は思います。

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2009年3月21日 (土)

WBC日本代表

ワールド・ベースボール・クラシックということで、久々に日本の野球を堪能しているのだけれど、やっぱり日本の投手はレベルが高い。本当に高い。惚れ惚れとする。

一流どころの投手に共通するのが、制球力と投球術があり、決め球になる変化球を持っている事。

この手の技術は、天性の物に、さらに積み重ねた鍛錬が必要となってくるので、まさに「プロ」と呼ばれる人間のみが身につけられるものであると断言して間違いない。

WBCを見ていると、キューバ代表が弱いチームに思えるが、そんなことは全くない。単に日本の投手が素晴らしいのである。これまでのキューバの戦跡を見て、これほどまでにキューバを封じ込める事ができたのは、日本(当時は大阪体育大学所属)の上原浩治、アメリカのベン・シーツくらいなものである。(どちらも今では一流のプロとして活躍している)

恐らく同じ印象は、ネット越しに見ているであろうメジャーリーグのスカウトも同等に感じているはずである。

「この投手と、あの投手と、そしてその投手が欲しいetc etc」

というわけで、具体的に目についた投手を挙げてみると。

「松坂大輔」

彼に対する言及は必要ないであろう。彼は大舞台に縁がある人間であり、野球の神様に祝福されたところがあるのではないかと思えるくらいである。ここ一番になるほど力を発揮する能力は素晴らしい。

「涌井秀章」

野球関連の話をした知り合いならご存知であろうが、私は彼が大成すると高校時代から断言して憚らなかった(本当に)。ゆったりとした美しい投球フォーム、それに球持ちが長く、リリースポイントを体のかなり前の部分にすることができる。指先を地面に叩き付けるような、リストをしっかりと利かせた投球ができるので、低めのストレートの伸びがあって、見ていて楽しくなる投手である。芸術的な投球フォームと言ってもいい。また、カウントを稼ぎ、空振りが取れるスライダーがある上に、内角に速い球を投げられる制球力がある。マウンド度胸もあり、リリーフでも使えるのが大きい。WBCの準決勝以降では抑えに起用してもいいのではないかと個人的には思う。まだまだ若いので伸びしろもあるし、遅かれ早かれ渡米することは考えるのではあるまいか。

「小松聖」
私がイギリスにいる間に入団して、台頭してきた選手なので、見たのは今日が初めてだった。オーソドックスな投球フォームの右の本格派だが、印象的だったのが変化球とストレートを全く同じ腕の振りで投げられること。もちろん、球の切れもいい。前半がゆったりとしているのに、後半で「キュッ」となるようなテンポでなげるフォームは、初見の打者にはタイミングが合わせにくいのではあるまいか。準決勝以降では中継ぎ待機となるだろうが、先発が早く崩れた場合にはけっこう頼りになる投手だと思う。

「ダルビッシュ有」
投手として必要な要素を全て揃えた完璧な投手。形容するならば、150kmの速球を持った変化球投手である。下半身からリードし、柔らかくてしなやかな肘を使った投球フォームは完璧に近く、これほど理想的な投球フォームは、古今東西、元アトランタ・ブレーブス、今年からはボストン・レッドソックスのジョン・スモルツくらいなものである。若い間に投手をやっている人たちはぜひとも真似をしてもらいたい投球フォームである。

制球力、速球、変化球の全てが申し分なく、さらに自分で投球を組み立てられるクレバーさも併せ持つ。2次予選の韓国戦の立ち上がりには若さを露呈してしまったが、まだまだ22歳。これを乗り越えるだけの精神力と実力はある。ついでながら、端正なマスクに7頭身か8頭身かとも思われるモデル体型は女性ファンも惹き付けられ、人気商売のプロとしてほぼ文句のつけようがない。(「ほぼ」の意味は察してくだされ)

「岩隈久志」
私が知っている岩隈投手は、近鉄バッファローズのエースであった。当時の彼は、二段モーションから繰り出す伸びのある速球とキレのあるフォークで力任せといった雰囲気であったが、WBCで見た印象は、とにかく「ピッチングがうまくなった」ということ。低めに変化球が集められるし、それに制球力もすばらしい。球速はあるが、素直、つまり本当にまっすぐの軌道を描くフォーシームファーストボールは随分と少ないが、ツーシーム(シュートのように曲がる)ファーストボール、スライダー、フォークを丹念に低めに集める投球は、見ていて危なげがなく、2008年度の投手部門の賞を総なめにした理由もよく分かる。ゴロを打たせる技術が卓越しており、内角球をつまらせることも、外角球をひっかけさせる技術もあり、さらには高めの速球とフォークを交えて三振を狙って取ることもできる。とにかく、これぞ「エース」と呼ぶにふさわしい安定感がある。メジャーリーグ関係者も食指を伸ばしていることであろう。

「杉内俊哉」
鹿児島実業時代から、私好みの投手である。ゆったりとしていて、肘の柔らかいしなやかなフォームから繰り出す速球は、球速表示以上のキレがあり、さらには左投手独特の大きく縦に曲がるカーブはカウントも稼ぐことができ、さらには空振りも取れる素晴らしい球種である。大きな舞台で適度に熱くなれるタイプの投手であり、先発・リリーフの両方がこなせるので、使い勝手のいい投手である。準決勝以降はリリーフとして待機させておくのだろうが、彼がブルペンにいるかいないかで首脳陣の精神的安定は大きく違ってくるのではないかと考えるのは想像に難くない。

番外編、ということで、野手陣で目についたのは以下の2人。

「中島裕之」
テークバックの広い、ちょっと「大きな」バッティングフォームは好不調の波が激しいものの、右方向にも大きな当たりが打てるかなり魅力的な選手である。個人的には2番で打たせられたらおもしろいなとずっと思っていた選手なので(西武では他に3番を打てる打者がいれば2番も可能なのだが)、今回の原監督の戦術は個人的に多いに気に入っている。私が知っていた中島選手はプロのショートにあるまじき下手さで、捕球態勢は悪いし、グラブの使い方が下手だし、握り直しも多いし、送球も安定しないし、「ちょっと困るんだよなー」って印象だったのだが、この3年で随分と成長したみたいである(偉そうな口調ですまない)。捕球もうまくなったし、送球も安定しているし、それに妙な握り直しの仕草も今の所ない。もしかすると、先代のショートストップ、松井稼頭央以上になれる人材なのかもしれない。期待したい。

「青木宣親」
うまい。とにかく「うまい」選手である。センター方向にきっちりと速い打球のゴロが打てる基本的な打撃技術は素晴らしく、また懐深くまでボールを呼び込めるので選球眼もいいし、左方向にも強い打球が打てる。また、状況判断に応じた柔軟な打撃も出来る上に、バントの技術もあり、巧打者タイプの選手に必要とされる技術は全て備えている感じである。足も速く走塁技術もあり、守備範囲も広く、相当、魅力的な選手である。唯一の欠点は、肩が弱い事。レフトを守らせていれば心配ないのかもしれないが、タイプ的にセンターかライトを守って欲しい人材。しかしながら、今回のWBCの活躍でメジャーリーグも彼を無視する事はできなくなるであろう。

次回は日本時間23日のアメリカ戦だが、ぜひとも日本代表には健闘してもらいたいものである。アメリカは飛車角金銀抜きといった面子だが(何せ、チッパー・ジョーンズ、ダスティン・ペドロイア、ケビン・ユーキリスが抜けてしまった)、地元開催な上に審判が恐らく(probably)アメリカ贔屓になることは十分予想されるので、いろいろと手強いと思われる。

しかしながら、もし仮に日本が二連覇するようなことになれば、WBCの運営etcに関して、MLBだけではなくNPBもある程度発言権を主張する権利が与えられてもいいのではないかと思う。

アメリカ人の傾向の一つだが、アメリカが世界ではないのである。

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2009年2月11日 (水)

嘘だと言ってよ

A-Rod!!!!!!

Transcript of A-Rod's ESPN Interview

大人の私でもけっこうショックでかいんですけど。

子供だったらさらにきついんだろな。

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2009年1月20日 (火)

ちょっとほっとした

えと、マンチェスターに来れば、生で見られる可能性があるのも分かっています。プレミアリーグだと生中継が多いということも分かっています。

でも、でも。

Kaka rejects Manchester City move

ふぅ♪(o ̄∇ ̄)/

正直、ほっとしました。

やっぱ、カカはロッソネーロが似合う選手だと思う。

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2008年9月18日 (木)

デレク・ジーター

2008年9月16日。

デレク・ジーターはこの日、ヤンキースタジアムで通算1270本目のヒットを放ち、ルー・ゲーリッグの記録を抜いて、ヤンキースタジアムで最も多くヒットを打った選手となった。

デレク・サンダーソン・ジーター。1974年、6月26日生まれのこの選手は、現在ニューヨークで伝説を作りつつある選手でもある。
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黒人チャールズ、白人ドロシーを両親に持つジーターは、人種のるつぼの象徴的都市と呼ばれるニューヨークにおいて「ニューヨークの貴公子」という異名を持つ。

マライア・キャリー、スカーレット・ヨハンソン、ジェシカ・ビールといった様々な人気女優・歌手と浮き名を流したことのあるプレイボーイでもあり、グランド内外において常に注目を浴び続ける選手でもある。

デレクは家族思いであるということでも有名であり、マイナーリーグに所属している間は、給料のほとどんどを家族への電話代に注ぎ込んでいたという逸話がある。

その昔、妹のシャーリーが、黒人と白人とのハーフであるということから、学校で「オレオ」という渾名をつけられ、いじめられていたことがあった。

それを聞いたデレクは激怒し、報復に行こうとしたが、母ドロシーが、「あら、いいじゃない。私、オレオ好きよ。おいしいし」と発言したことによって冷静さを取り戻し、以降、好きなお菓子を尋ねられると「オレオ」と答えるようにしているという茶目っ気も見せている。

学業は極めて優秀で、1992年ニューヨークヤンキースからドラフト1位で指名された時の入団条件として、入学が決まっていた名門大学ミシガン大学アナーバー校へオフに通っても良いという条件を入れさせた。

小学校時代からニューヨーク・ヤンキースのショートになるという夢を抱いていた彼ではあったが、勉学に励む彼の姿を見て、将来は大学で博士号を取るのだと思っていたクラスメイトも少なからずいたようである。

マイナー時代は、守備に難があり、エラーの多さからコンバートを何度か打診されたが、猛練習することによって守備力を向上させ、1995年にメジャー初昇格、そして翌96年からレギュラーに定着。

この年、ジーターは打率314厘を記録し、新人王に輝き、長らく低迷していたヤンキースのプレーオフ進出、ワールドチャンピオン奪取に大きく貢献することになる。

ジーターの台頭とヤンキースの浮上が一致し、さらに「ミスター・ノーベンバー」の異名がつくほどのポストシーズンでの勝負強さから、ニューヨークでの彼の地位は絶対不動のものとなった。また、2001年のディビジョンシリーズ、対オークランド・アスレチックス第3戦で見せた「ザ・フリップ」など印象的なプレーも数多く残し、生きる伝説としてニューヨークにその足跡を記し続けている。

また、ターン2ファンデーションの設立など、慈善活動にも積極的で、子供好きでも知られている。

ネクストバッターズサークルに入っている間に、観客席の子供たちと会話をしているというエピソードは有名であり、私もセーフィコ・フィールドでその姿を目の当たりにした。

「集中力がとぎれるのでは?」というコーチ陣の心配をよそに、「自分のスタイルだし、問題ない」という立場を貫き、実際、結果を残すことで反対意見を封じ込める事にも成功している。

幸運にも、そんな彼と1対1で話す機会を持つことがあった。

2001年、シアトル。

前日、イチローの連続試合安打記録を、ヤンキース、オーランド・ヘルナンデスの故意と思われる死球によって止められていたこの日の試合前の練習、両チームの間ではきな臭い雰囲気が漂っていた。

第1打席でヒットを放っていたジーターは、第2打席でもアーロン・シーリーからポール際への大きなファールを放つ。

その後にシーリーから投じられたツーシーム・ファーストボールはすっぽ抜け気味になり、ジーターの左腕を直撃した。

ジーターは何事もないかのように1塁に走り、そのまま普通にプレーを続けた。

このジーターのさりげない態度で、両チームの間の緊張が緩やかになったのか、きな臭い雰囲気が消え、ヤンキースからの報復死球(注:死球を与えられたチームが、相手チームの主力選手を狙って故意に死球をぶつけること。メジャーリーグでは日常茶飯事である)もなく、試合はマリナーズが勝利した。

試合後のロッカールーム、小さなメディアから1人派遣された私は、ヤンキースのロッカールームをうろついており、幸運にもシャワールームから出て来たジーターとはち会わせることとなった。

驚いたのもつかの間、思わず、

「右手、大丈夫ですか?」

と尋ねた私に、上半身は裸、下半身にタオルを巻いただけの、長身で非常にさわやかな笑顔で彼は

「大丈夫。なんてことないよ。ピッチャーは失投するものだからね。マリナーズの方にも行くんだったら、シーリーになんてことないよって伝えておいてよ」

とさらっと言いのけ、そのまま自分のロッカーに戻り、タオルを引き出し、おもむろに顔の汗を拭き取っていた。

ニューヨークタイムズなどの主要メディアにたちまち囲まれた彼の後ろ姿を眺めて、私は生まれながらのチームリーダーと呼ばれる彼の一端を垣間見たような気がした。

あれから7年経った今も、彼は前線で一流の成績を残し続けている。

叶うならば、新装されたスタジアムにおいてもまだまだ伝説を残し続けて欲しい、そんな選手である。

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2008年7月21日 (月)

孤高の投手

1989年のドラフト会議、古田、潮崎、佐々岡、小宮山、西村、酒井、佐々木、葛西、与田とキラ星のごとく人材が集まったこの年、8球団が揃ってドラフト1位で競合した投手がいた。

新日鉄堺所属、野茂英雄投手である。

彼はソウルオリンピックの日本代表エースとして活躍し、日本を銀メダルに導いた。また、背を打者に向けて投げる独特のフォームは大きく人目を引くこととなった。

今は亡きパンチョ伊東さんの「第一回選択希望選手。野茂英雄。新日鉄堺」のアナウンスが何度も鳴り響き、彼の独特の投球フォームが何度もテレビ映像を流れた。

ドラフト会議後、彼の投球フォームは中学生の間でもすぐに話題になった。

野茂は1年目から抜群の活躍を見せ、その話題に恥じない成績を修めた。

投手四冠、MVP。

躍動感のある投球フォームから繰り出される力強い速球に、鋭く落ちるフォームを交え、次から次へと三振を奪う彼の姿に、多くの野球少年は虜になった。

グラウンドでは、彼の投球フォームを真似する人たちが増えた。

また、真似をする事で、あれだけ腰を曲げて投球を行うためには、人並み上に強靭な足腰が必要とされるということを誰もが実感した。

彼の所属球団は近鉄バッファローズであり、私も藤井寺で彼が投げる姿を何度か観戦する機会が持てた。

テレビの画面ではなく、生で観るトルネード投法は圧巻だった。

また、彼のフォークの球筋は非常に奇麗だった。2階から落ちるような落差と角度は、何か光の放物線でも見ているかのように見えた。

入団から4年間、彼は圧倒的な成績であったが、5年目は肩痛に苦しめられることになる。また、監督の鈴木啓示との確執もあり、二軍での生活を余儀なくされることとなる。

その年のオフ、彼は複数年契約と代理人制度を球団に求めたが、近鉄はこれを拒否。当時、代理人制度に激しい抵抗感と嫌悪感を持っていた全ての球団は、選手からの要求を問答無用に門前払いにしていたのである。

また、野球が視聴率を稼げるコンテンツであり、メディアに対しても強硬な姿勢で臨むことができていた当時、一選手が球団に意見するということは許すべからざる背信行為であったのである。

任意引退に追い込まれ、日本球団に行き場をなくしていた野茂は、これを幸いに、かねてから大きく興味を持っていたメジャーリーグに挑戦することとなる。

この挑戦に、メディアの扱いは冷たかった。

近鉄の監督鈴木啓示を筆頭に、一斉に野茂のバッシングが始まり、テレビから週刊誌に至るまで野茂の罵詈雑言が綴られた。

鈴木啓示氏は、テレビの前で、「野茂のメジャー挑戦は人生最大のマスターベーション」とまで言い切った。

高校球児の間では、野茂の挑戦は好意的に受け入れられていた。

当時、メジャーリーグは雲の上の世界で、時折流されるメジャーのスーパープレイに我々、高校生は胸を高鳴らせた。

体も大きく、スイングも段違いに速いメジャーの打者を相手に、野茂がどれだけやれるのかは純粋に楽しみなことだった。また、当時の日本球界で、巨人の斉藤雅樹に並び、野茂が一番の投手であったということは、野球を知る者の間でのある種のコンセンサスでもあった。日本が生んだ、最高レベルの右オーバーハンドの本格派がどこまでやれるのかという興味は、尊敬すべきチャレンジであったのである。

マイナー契約ではあったが、スプリングトレーニングでの結果が認められ、開幕ローテーションに入った野茂は、序盤の4月こそ勝ち星に恵まれなかったものの、5月、6月は怒濤の活躍を見せる。

日本の多くの評論家やメディアが「通用しない」「バカだ」と言っていたこの右投げの投手は、ストライキ空けのメジャーリーグに大きな台風を巻き起こし、ドジャーズの本拠地、ロサンゼルスにおいては「野茂マニア」が多く出現することになった。

体をくるっと一回転させる独特のフォームから、力強い速球と切れ合いの鋭いフォークを武器に、次から次へと三振を奪う。

球団、選手の数、また1日しか開催されないということから、選ばれるということが非常に難しいとされているオールスターのナリーグ代表として、先発のマウンドをまかされ、シアトルマリナーズのビッグユニット、ランディージョンソンと投げ合うこととなった。

アメリカで結果を出し続ける彼の姿を見て、メディアは掌を覆した。

今まで、バッシングをしていたという事などおかまいなしに、次から次へと賞賛の記事が並べ立てられることとなった。

彼は、メディアの誹謗中傷を実力で跳ね返したのである。そのメディアの変わりようを見るのは、ある種、圧巻だった。

その後、数々の球団を渡り歩き、ボストンレッドソックスに所属していた2001年、彼は4月の自分の初登板の試合でノーヒットノーランを達成する。

当時、シアトルにいた私は、いつものように大学のスザロー図書館での勉強を終え、夕御飯の支度をしに、家に帰宅していた。

共同の居間のテレビをつけると、ESPNで何度も「No No NOMO!」の声が聞こえる。

思わず、過去の試合のリプレー(コロラドでのノーヒットノーラン)をしているのかと思っていたのだが、ユニフォームはレッドソックスであり、明らかにそれが今日の試合であったということを物語っていた。

Sports centerとBaseball tonightの再放送を私は何度も見返した。

その後、彼をシアトルはセーフィコフィールドで観戦する機会を持った。

2001年、5月2日。

野茂は、イチロー相手に制球を乱し、死球を与えてしまう。背中にボールを受けたイチローは、そのままバッターボックスに沈み込んでしまった。

その日の試合後、私は球場出口で、日本のテレビに囲まれ、取材を受けたのである(本当に)。

そんな彼が引退することになった。日本で5年、MLBで11年、実働16年のプロ野球人生であった。

成績を見ても、確かに最高の投手ではなかったのかもしれない。しかし、記憶に焼き付き、また大きく野球少年の心を高ぶらせる力を持った魅力的な選手であったということに関しては、疑いの余地はないであろう。

何度も挫折しながらも、その都度這い上がって来た彼の姿を、私は「かっこいいな」と素直に思える。

時にはぼろぼろになるまで、何かに打ち込めることがあってもいいのではないか、と私はそう思うのである。

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2008年5月21日 (水)

ワシントン州タコマ出身の24歳の青年

「我が息子ながら凄いよ。ノーヒットノーランをやったから凄いんじゃない。素晴らしい息子だから素晴らしいんだ。彼をずっと誇りに思ってきたけど、今夜あれをやらかした所を見たことは、どう表現していいんだか分からないね。言葉にしようとはしているんだけれど、でも、なんて言えばいいのか。観戦している間は、誇りに思っている親の気分、そう言えばいいのかな」

ジョン・レスターによせて。テリー・フランコーア監督

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レッドソックスの監督、テリー・フランコーアがここ数日経験したことを想像してみてほしい。日曜日のブリュワーズ戦の勝利の後、フランコーアはペンシルヴェニアにいる息子、ニックの大学卒業に駆けつけたのだ。

そしてすぐさま月曜日にボストンに戻り、レスターが投げたフェンウェイパークでの7対0で勝利した試合を観戦し、ジョン・レスターのノーヒットノーランを目の当たりにしたのである。

フランコーアには息子が一人しかいないが、レッドソックスの中にあって、恐らくレスターが自分の第二の息子のように思われていたに違いないのである。

そう考えれば、レスターの快挙の後、二人が熱い抱擁を交わした理由も分かろうというものである。

「こんなことを言うのは正当なことではないのかもしれないけれど、自分の子供が大学を卒業して、それでノーヒットノーランをやらかした、そういう気分になっているんだよ」とフランコーアは言う。「これ以上の息子なんているはずがない。これ以上のわがままなんて言えないよ。でも、我々が彼をどう思っているのかっていうのは明らかだと思うんだ」

彼が2006年8月の暮れに血液癌の悪性リンパ腫の「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」の手術を受けた時、フランコーアは押しつぶされそうな思いだった。しかし、彼はレスターにはそんな素振りは微塵も見せなかった。代わりに、彼はレスターをできるだけサポートし、頻繁にレスターの両親とも連絡を取っていたのだった。

6度に渡る化学療法を受けた後、レスターは2007年のキャンプに参加できるようにはなったが、再びメジャーリーグで投球ができるようになったのは7月のことであった。それまでの間、レスターとフランコーアとの間には固い絆が結ばれるようになっていたのだ。

「こんなことがあって以来、ずっと彼は自分にとって二人目の父親だと思っていたよ」とレスターは言う。「彼と監督としてではなくて、友人としてつきあっていくうちに、彼がどれだけ選手のことを気にかけているのかということがよく分かるようになったんだ。単にフィールドで何が出来るかっていうだけのことじゃなくて、自分がどんな人間になれるのか、彼がどれだけ多くのことを気にかけているのかっていうこと」

メディアに、レスターが自分のことを二番目の父のようだと思っているということを聞かされた時、フランコーアの目からは再び堰を切ったように涙が溢れ出したのである。

「できすぎたお世辞、とでも思っておこうか」とフランコーアは言った。「我が息子ながら凄いよ。ノーヒットノーランをやったから凄いんじゃない。素晴らしい息子だから素晴らしいんだ。彼をずっと誇りに思ってきたけど、今夜あれをやらかした所を見たことは、どう表現していいんだか分からないね。言葉にしようとはしているんだけれど、でも、なんて言えばいいのか。観戦している間は、誇りに思っている親の気分、そう言えばいいのかな。そんなことを言う権利はないのかもしれないけれど、でも本当にそう思っているんだ」

凄い大勝利をおさめたような感じ、というのがレッドソックスの投手コーチ、ジョン・ファレルの感想であった。彼も有望な若手投手であるレスターの成長のため、多大な時間を費やしたのである。

冬の間中ずっと、レスターにはツインズの左のエース、ヨハン・サンタナとのトレード話が持ち上がっていた。だが、レッドソックスのジェネラル・マネジャー、テオ・エプスタインはレスターに固執し、結局、サンタナはメッツに行き、絶対的なエースの獲得に失敗してしまう。

サンタナのような投手を歓迎しない人はいないだろうけど、でも、レスターに別れを言わなくてよかったのはほっとしているよ、という心情が、ファレルとフランコーアの偽らざる気持ちだったのである。

「我々はレスターの才能と可能性を知っているし、彼はもっといい投手になると思っている」とファレルは言う。「だが、それだけ若い間に才能があっても、投球のコツを掴むというのは非常に難しい問題だし、メジャーリーグの水準以上というのは本当に厳しいんだ。でも、20代前半という年齢も考えれば、彼には大きな将来があるし、それに長い間に渡ってローテーションを守ってくれるとかいう期待もある。若い選手の成長を見守るというのは、指導者として非常に喜ばしいことなんだ」

9回が終わりに近づく時、重大な問題がフランコーアに差し迫って来た。彼は一人ではなかったのである。

9回はずっと空を見上げて、それで自分の感情を抑えるのに必死だった。ジョン・ファレルに何かを言いに行こうとしたんだけど、彼の方が大きな子供みたいでね。それで、ちょっと安心しちゃったんだ。


そんなレスターの快挙はこちらでご覧になれます。
Lester's histroc night

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2007年9月15日 (土)

アレックス・ロドリゲス

Arod

「どうしてそこまで打ち続けるんですか?」という質問に対して、彼はこう答えたことがある。

「自分が有名になって、それで生き別れになった父親に会うためなんだ」

ニューヨーク生まれのニューヨーク育ち、しかしながら、彼の両親は「野球王国」と形容されるドミニカの出身なのである。緑色の眼光の鋭い彼の体には、間違いなくドミニカンの血が流れているのである。

4歳の時に両親の故郷のドミニカに移り住み、7歳の時にアメリカのマイアミに戻って来た。

ある日、父親は「ちょっとニュージャージーまで所用で行ってくる」と告げて家を出たきり、帰ってくることがなかった。父はアレックスと、家族を捨ててしまったのである。

それ以来、母子家庭という貧しい環境に育った彼は、5歳の頃に始めた野球に熱中することになる。

カル・リプケンJr、キース・ヘルナンデス、デール・マーフィーのファンであった彼のポジションは、アメリカで最も花形と呼ばれるショートストップであった。

14歳のとき、彼はカル・リプケンJrにサインをもらう機会があり、その時もらったサインボールとカル・リプケンのポスターをマイアミの自宅の部屋に後生大事に飾っていたのだという。

マイアミのウェストミンスターキリスト教高校で彼はスター選手となり、100試合で打率.419、90盗塁という成績を残した。最上級生の時には通算33試合で、打率505、ホームラン9本、打点36、35盗塁というオールマイティーに驚異的な数字を残すことになる。全米選抜選手にも選ばれた彼の元には、マイアミ大学から野球奨学生としてのオファーが舞い込むことになるが、これだけの選手をメジャーリーグが見逃すはずもなく1993年にシアトルマリナーズから1位指名を受け、入団することになる。

順調にマイナーリーグの階段を上り詰めていった彼は、1994年7月8日に初のメジャー昇格を果たす。年齢にして18歳11ヶ月と11日。近代野球の始まった1900年から数えて、ショートを18歳で守った3人目の選手であり、ここ10年で初めての18歳のメジャーリーガーであり、シアトルマリナーズ史上最年少のポジションプレーヤーとなった。

1995年はメジャーリーグのマリナーズとトリプルAタコマのレイニェーズを行き来し、6月12日にカンザスシティー・ロイヤルズのトム・ゴードンからメジャー初のホームランを放ち、8月からはメジャーに定着。たった2打席に過ぎなかったが、ポストシーズン進出も果たした。

メジャーリーグに定着した翌96年には打率358を記録し、首位打者に輝き、98年には46盗塁42本塁打という記録を残し、俗に言う「40-40 Club」の仲間入りを果たす。なお、40-40Clubの他の面子は1988年に40盗塁42本塁打を記録したホセ・カンセコ、1996年に40盗塁42本塁打を記録したバリー・ボンズ、2006年に41盗塁46本塁打を記録したアルフォンソ・ソリアーノの4人だけである。

その鞭のようにしなやかな筋肉を見た代理人のスコット・ボラスは、アレックスに「A-Rod」という愛称をつけた。

A-Rodはその後も順調に個人記録を伸ばしていったが、マリナーズのプレーオフ進出はなかなかかなわないでいた。

2000年、ケン・グリフィーJrが父親のいるシンシナティ・レッズに移籍したのに伴い、彼は打順も定位置の2番からメジャーリーグではチームで一番頼りになる選手が打つとされる3番に定着し、チームリーダーとしてもマリナーズを引っ張り、打率316、41本塁打、132打点を記録し、チームをワイルドカードによるポストシーズン進出に導く。

地区シリーズの1回戦、アメリカンリーグ中地区の覇者シカゴ・ホワイトソックスを3連勝で退け、アメリカンリーグチャンピオンシンップで王者ヤンキースに惜敗することになるが、彼がチームに貢献した力は疑うべくもないであろう。

私がA-Rodを初めて目の当たりにしたのは、2000年シーズンの9月のことであった。

セーフィコフィールド、対ミネソタ・ツインズ戦。私は彼のしなやかな動きと存在感に目を奪われた。素早く、かつ無駄のない打球の反応、足さばきの華麗さ、そして三遊間の一番深い所からも問題なく投げられる力強く正確なスローイング。そして、ポケットの深いグラブを使って、確実に打球を捕球する。

ツインズ、ジャック・ジョーンズのセンター前に抜けるかという辺りを横っ飛びで捕球し、すぐさま立ち上がって1塁に送球してアウトにしたスーパープレーは、今も私の眼前に浮かび上がってくるほどである。

また、当時、彼はシアトルで「Mr two-base」と形容されることがあった。2塁打を打つことが多かったのである。

私は彼の2塁打も目の当たりにした。内角の高めの速球、肘を立たんで思いっきり引っ張った打球は、私がこれまでに見たどの選手の打球よりも球足が速かった。

走攻守に完璧な彼に、私は虜になった。ましてや、野球所のシアトル市民のアレックスに対する愛情は絶大なものがあったのである。

しかしながら、2000年オフ、FA権を取得した彼は、同一リーグ同一地区のテキサス・レンジャーズに移籍することになる。

このニュースはシアトル全土を揺るがし、地元放送局ではアレックスのこれまでの活躍や、移籍の経緯についてさまざまな情報が流された。カイロ7では街中の人々へのインタビューがひっきりなしに行われ、涙を流すシアトル市民の様子が次々に放映された。

シアトル市民の彼に対する愛情は憎しみへと変化した。

テキサス・レンジャーズが遠征でシアトルに来る度に、テレビ局はこぞってアレックスを批判する特集を組んだ。

契約額が10年総額2億5200万ドルであったということから、アレックスには「金の亡者」という罵声が浴びせられ、球場ではアレックスの顔が印刷された紙幣がバラまかれ、引き裂かれた。そんなセーフィコフィールドの観客は一種、ヒステリックな狂信者のようにも思えた。

低迷するレンジャーズをよそに、アレックスは孤軍奮闘を続ける。2001年には52本塁打で本塁打王、2002年には57本塁打、142打点で2冠王に輝き、ショートストップとして初のゴールドグラブ賞にも輝く。2003年にも47本塁打で3年連続本塁打王にも輝き、2年連続のゴールドグラブ賞とMVPも獲得することになった。

しかしながら投手陣に致命的な欠陥を抱え、低迷を続けるレンジャーズに嫌気がさしていたアレックスに移籍話が舞い込む。メジャーリーグ機構としても、花形の選手を地方の1球団に置いておくよりは、都心部の人気球団に置いておきたいという意向があり、ボストン・レッドソックスへの移籍話がほぼまとまりかけることになった。

しかしながら、契約に年棒の削減条項が含まれており、アレックスと代理人は同意したものの、選手会が反対。ボストンへの移籍は選手会に阻止され、アレックスはテキサスに残留する方向で話が続いていた。

その折、正三塁手のアーロン・ブーンが契約上、禁止されていたバスケットボールを楽しんでいた折にじん帯を損傷。新たに三塁手を捜さなければならなくなったニューヨーク・ヤンキースがアレックスに接触。

ヤンキースはチームの顔であるデレック・ジーターをショートに据えているということもあり、アレックスには三塁へのコンバートを打診したのであるが、この打診が実を結び、2004年からニューヨーク・ヤンキースに移籍することになる。

当初は慣れないサードのポジションで苦労しており、ニューヨークというプレッシャーの強い地域ということもあり、アレックスは「彼としては」という但し書きがつくが、低迷することになる。

2005年には打率321、本塁打48本、打点130を記録し、MVPを獲得するが、「ポストシーズンに弱い」と批判され、「チャンスで打てない」と罵られた。2006年は打率290、本塁打35本、打点121と、一流どころの数字にもかかわらず、「いらない」「出ていけ」とメディアとファンに罵倒されることになる。この成績で批判されるということからも分かる通り、世間の彼に対する期待値は常に高すぎるくらい高すぎるのである。

ショートよりは守備負担が少ないと言われるサード。見た目には守っている場所もそれほど変化がないように思われるかもしれないが、サードとショートでは動き方が全然違うのである。ショートは打球に対して常に自然な動作をしていればなんとかなるポジションであり、足の速さと肩の強さという身体能力があればそれなりになんとかなるポジションなのである。

サードは体を張って打球を止めるということが必要になるし、横への不自然な動き方をマスターしなければならない。また、1塁への送球もショートからのそれとは随分と違うのである。

私自身、どちらの守備位置の経験もあるが、ショートの方が圧倒的に守りやすかった。むしろ、サードでは苦手意識がつきまとい、捕球できる球もなかなかうまく捕球できなかったのである。サードよりはセカンドの方が圧倒的に守りやすかった。

アレックスはセカンドの経験は学生時代にあったが、サードは未知の領域であり、広い守備範囲と強い肩でスーパープレーを見せる一方で、凡ミスも多かった。

彼は練習には誰よりも早く顔を出して、誰よりも遅くまで残っている練習の虫なのだそうだが、彼のショートストップで発揮していた高いポテンシャルは2007年に開花することになる。今年、2007年は広い守備範囲に加え、堅実なプレーを続けており、おそらくゴールドグラブの常連、オークランド・アスレチックスのエリック・チャベス、ボストン・レッドソックスのマイク・ローウェル、シアトル・マリナーズのエイドリアン・ベルトレイと供にゴールドグラブ賞を争うことになることは間違いない。

毎年期待値が高く、常に高いレベルで高い成績を残す選手には、身体能力といった天性の物に加え、常に先を見据える向上心があり、細かく地道な作業を常に怠らない。

怪我をしないでコンスタントに活躍し続ける彼の土台は、日々の鍛錬の積み重ね以外にはない。勝負所で結果を出し続けている2007年。ヤンキースがプレーオフに進出することになれば、おそらく多くの人を納得させる成績を残すことになるのではないかと思う。

野球選手として、私は彼が人類史上最高の選手であると確信している。

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2007年9月11日 (火)

吐き気がする

ロジャー・フェデラーが全米オープンも制して、12個目のグランドスラムタイトルを獲得した。

フェデラーは端的に言うと「完璧な」プレーヤーで、テニスで必要とされる技術を全て完璧に備えている選手なのだけれど、ゲーム運びもものすごくうまい。

タイブレークに持ち込まれたとはいっても、実際にゲームを見てみれば全然接戦でもなんでもないということは分かるし、取らなきゃいけないポイントは確実に抑えているのがおそろしい。

ランキング10位以下の選手とは試合にもならないし、強豪相手ではあっても、試合のパターンは同じ。

自分のサービスゲームは絶対に取って、相手のミスを逃さないで必ず1度か2度サービスゲームをブレイクして、第1セットを取って、気がついたら自分のペース。

「ここ」という場面では信じられない集中力で絶対にポイントを取ります。その集中力が画面を通してひしひしと伝わってくるのがたまらない。

彼が自分と同じホモサピエンスであるということにちょっと疑問を感じる。

ところで、ジムに行く日に雨が降っていないと、筋力トレーニングをする前にサーキット(とは言ってもずいぶんとしょぼい)で走り込むようにしているのだけれど、これがけっこう堪えるようになってきた。

ルームランナーはやはり足にかかる負荷が少なすぎるので、雨の日以外には使わないようにしているのです。

走る距離自体は、それこそ野球をやっていた頃のアップ程度のことしかしていないのだけれど、足の回転が遅くなっているのがよく分かります。昔のイメージで走ろうとすると、足がついてこないで、つまづきそうになるのが分かる。たぶん、もう人生で50メートルを6秒台前半で走ることはできないんだろな。

絶対的なスピードにしても随分と衰えてしまったのだけれど(さすがに50メートルを6秒台で走れないことはないと思う。たぶん。いや、完走できるかどうかの心配をしなければ・・・)、スタミナも全然ダメですね。

インターバルを少なめにでもしようものなら、すぐに酸欠状態で、頭がくらくら足がかくかく、それでいて吐き気がしてしまいます。

おぇっ。

確かにしんどいことはしんどいのだけれど、平均的な男性は38歳前後くらいまでは筋力も増えるらしいので、この辺りは若い頃に培った「コンジョー」でなんとか乗り切らないといけない。

こういう吐き気を抱えながら無理矢理走っていたりすると、バリバリ野球をやっていた頃の練習を思い出します。端的に言うと、しんどかった。

それなりに野球を経験した人たちは知っていると思うのだけれど、野球の練習でけっこうしんどいのがアメリカンノックというやつと、個人ノック、それとペッパーというものです。

アメリカンノックというのは、外野の端っこから全力で外野の真ん中(センターのポジション)まで走って、そこから打球を打ち上げてもらって外野の端っこでぎりぎりのタイミングで補給するというけっこうデンジャラスな練習です。

外野の両翼を全力疾走する上に、ぎりぎりのタイミングで補給する練習にもなるので、だいたいの高校・大学ではこういう練習をやっています。

はっきり言って、数本で随分と足にきます。

個人ノックは、それこそ個人に集中的に50本くらい連続でノックを打つ練習のことです。

端から見るとたいしたことはなさそうですが、10球くらい補給した後で、体全体が棒のようになります。

最後の辺りは突っ立っているのがやっとで、ノックが終わればみんなファールグランドで倒れ込みます。水を飲みに行く体力すらなくなる。

ペッパーは手でボールを投げて、それを補給する訓練なのだけれど、近距離ながら全力で走らないと捕れないようなボールを投げられます。これも100球くらい捕球すると死にます。実際に吐く人も当然います。

なぜこのような体力の限界に挑戦して、苦しい思いをするのかというと、それには理由があって。みんなマゾなのだ。

周知の事実ですが、野球の季節ってのは夏です。

日本のごっつぅ蒸し暑い夏場に、炎天下で2時間も3時間もボールを追いかけるわけです。

しかも高校野球のようなトーナメントは、1度負けるとジ・エンド。それでチームが解散して、3年生は引退ということになるわけです。

試合前にはそれこそ、前日からけっこう緊張しちゃうわけです。寝れないし、落ち着かない。

一発勝負のスポーツをしたことがある人は知っていると思うのだけれど、緊張しすぎると、体力はすぐになくなります。本当にしんどくなる。

それに緊迫した場面が続くと心臓に悪くなります。延長戦なんかも経験しましたが、もう、本当に気がふれそうになります。

ツーアウトで平凡なフライが上がっただけでも、塁上にランナーがいれば落球しただけで試合が終わります。

内野だと、送球ミスで試合が終わる可能性がある。

こういう時にごく普通のプレーをしようと思えば、反復練習が欠かせなくなってくるわけです。頭と体が一通りの動作を覚えていれば、「エラーするわけない」と思ってプレーできます。スポーツってのはメンタル面が非常に大切ですから、こういう思い込みができるようになるように体に覚えさせる必要があるわけです。

だから、日頃から疲れきった状態でいかに普段着のプレーができるかどうかということを体に染み込ませないといけない。

私も高いフライを補給する時に、「いけるいける」と口に出しながら捕球していたものです。(未だにたまに夢に出てくる)

実は緊迫した場面では、簡単な打球では余計なことを考えてしまいがちなので、多少難しい打球の方が処理しやすいということもあるんですけどね。

うーん、若い頃ってよかったなぁ。野球してぇ。

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2007年7月14日 (土)

Ichiro signs five-year deal with Mariners!

Ichiro signs five-year deal with Mariners

「(オールスターゲームで)ヒットが3本出ました」

出ました。じゃないんです。出したんです」

と、彼はいつもの口調で、軽くはにかんでそう答えた。

そう、メジャーでデビューした2001年に首位打者を獲得し、年間最多安打記録を更新した西海岸外れの球団に所属する中堅手にとって、全てのヒットは偶然ではないのである。

ポテンヒットに見えようが、内野安打に見えようが、ヒットになる打球には全て理由があり、必然性がある。

彼の野球に取り組む姿勢を見れば、そう発言することが決して過剰評価ではないということが分かるであろう。

彼がメジャーデビューした2001年の4月2日。私は、バックネット裏のすぐ後ろの席に座って彼の姿を見守っていた。

シアトル・マリナーズの開幕戦。対戦相手は、同じ西地区の強豪オークランド・アスレチックス。先発投手はマリナーズが将来が期待される右腕フレッディ・ガルシア、アスレチックスが前年のオールスターにも出場しているティム・ハドソン。

ハドソンはキレのあるツーシーム、シンカー、スライダーを丁寧に低めに投げ分ける投手で、彼からヒットが打てるかどうかということは、この日本から初めてデビューした細身の小さな外野手の実力を定めるに申し分ない相手であったと言うことができる。

ハドソンからは、バントによる内野安打1本の3打数1安打に抑えられたものの、第4打席でセンター前ヒットを放ち、マリナーズの劇的な逆転勝利に貢献することになる。

2001年、マリナーズは主砲アレックス・ロドリゲスの放出、柱になる投手の不在など、前評判は決して高くはなかったものの、安定したブルペン、それにエドガー・マルチネス、ジョン・オルルードらを初めとする試合巧者たちの活躍により、年間116勝という記録的な勝利数を積み重ねることとなる。

当時、シアトルに住んでいた私はマリナーズの本拠地セーフィコ・フィールドに足繁く通い、また、小さな出版社に勤めていた縁で、2度、球場に取材に赴いた。

イチロー選手にインタビューが取れるのは、取材許可を取っている共同通信社の記者2名のみ。他に取材許可は下りていなかった。

試合前、私はマスコミ用に配布される選手の情報欄に一通り目を通し、そのまま3塁側のダッグアウトに向かった。最初の取材時、マリナーズの対戦相手は名門ニューヨーク・ヤンキースだったのである。

両チームの練習開始前、私はニューヨークタイムズの記者2人組にこう尋ねられた。

「故意による死球っていうのは、日本でもあるものなのかい?それで、君はそういった故意による死球が必要かと思うか?」

球場で1人でぽつんとたたずんで、ヤンキースの選手に目を奪われていたこの1人の若い日本人は、自分が何かを尋ねられるかといった想定はしていなかったのである。

「日本でも、時にはあるけれど、報復死球という習慣はないね。それに、日本では故意かどうかを問わず、投手が謝るという習慣があるんだ。こうやって、帽子をとってお辞儀して、ね。故意による死球は不要だと思うね。プロは身体が資本なんだし、投手に誇りがあるならば、ストライクゾーンでバッターを打ち取るべきだ。打ち取る自信がないなら、サラリーを全て返還しなきゃいけないと思う。メジャーの平均年俸って低くはないよね」

その日の前日、連続試合安打記録を更新していた細身の日本人外野手は、ヤンキースのオーランド・ヘルナンデス投手の明らかに故意と思われる死球によって記録を絶たれたのである。その死球は、その日の朝の新聞紙上を賑わしていた。

そんな議論の種になるような出来事があっても、彼がすることはいつもと変わらなかった。

ロッカールームの奥で入念にストレッチを行い、中堅手のマイク・キャメロン外野手とキャッチボールを行う。

ノックでは、目線を切り、打球から目を離すしぐさを何度も行い、捕球の感覚を掴み、調子に乗ってくるとお馴染みの背面キャッチで外野席に集まってきた観客を賑わせ、時折、つかんだボールを投げ込む。

守備練習は特に驚くことはなかった。

マイク・キャメロン外野手と、この日本人が形成する右中間の守備の鉄壁さについては今更驚くことではないし、当時、「ザ・スロー」と形容される凄まじい送球を4月11日にオークランドのネットワーク・アソシエーツ・コロシアムで披露しているのである。

それに彼の鉄壁の守備については、日本で幾度となく目にしている。彼が世界でも指折りの守備能力を持っている外野手であることについては、特筆すべきことは何もなかった。

驚愕したのは打撃練習である。

2007年7月9日。この日本人と同じチームから選ばれたJJ・プッツ投手は、この見るからに小柄な外野手を評してこう述べている。

「イチローがホームラン競争に出るべきだ。彼が優勝するのは疑う余地がないよ。なんなら、今年の私の年俸全てを賭けてもいい」

日本でも、一度、ダイエーの小久保裕紀選手とホームラン王争いを繰り広げたことはあるが、基本的に彼はアベレージヒッターであり、ホームランを量産するタイプの選手には見えない。

だが、彼の打撃練習を一度観戦すれば、彼が同じくシアトルを拠点にしたホームラン打者、ケン・グリフィーJrやアレックス・ロドリゲスにも引けを取らないのではないかという想像は膨らむばかりである。

彼の打撃練習は特徴的だ。

まずは、左方向に流し打ちだけを徹底して行う。

次のターン、彼は打球を引っ張りにかかり、1,2塁間に強い打球を転がす。

その次のターンでは2遊間、1,2塁間に強い打球を転がす。

続いてラインドライブの打球を左中間と右中間に打ち、

最後のターンでは打球を思いっきり引っ張り、広大で知られたセーフィコ・フィールドのライトフェンスを次々に越す打球を打ち続ける。

飛距離こそ、同僚のエドガー・マルチネスや、ヤンキースのバーニー・ウィリアムズ、ポール・オニール、デイヴィッド・ジャスティスらには及ばないものの、柵越え率は断トツでトップである。

彼の美しい放物線を描いた打球は、ただずっと視線の先に刻まれ、最短距離で打球はフェンスを軽々と越えていくのである。

そんな彼が自在に振るバットの軌道と、打球を見るのは美しかった。

それは、人間が生み出し、鍛えた一つの美の現れでもあるように思えたのである。

一介のアマチュア野球の経験者ですら、そういった凄みと美しさは肌で感じられるのである。百戦錬磨のメジャーリーガーが何も感じないはずはなかった。

同僚で、首位打者獲得経験のあるエドガー・マルチネスやジョン・オルルードをして、「魔法の杖を振る」、「5種類のスゥイングを使いこなす」と言わしめ、彼らが練習中に見とれてしまっているのがよく分かるほど、この小さな日本人の身のこなしは美しいのである。

試合前には入念に準備をし、試合中には相手投手の観察と配球の確認を怠らず、試合後はロッカールームで丹念に自分のグラブを磨きながらその日のプレーを振り返り、翌日には何も持ち越さないというのが彼の1日の全てである。

彼の1日は野球に始まり、野球に終わる。1打席1打席、1球1球全てに意味があり、常に先のプレーを考えてプレーしている彼がヒットを打つのは必然以外の何物でもないのである。

ヒットが出るような準備を怠りなく進め、出るべくして出たヒットは偶然ではない。そういった結果を形容する言葉は「出ました」ではなく、「出した」と言うことなのであろう。彼の結果は全て積み重ねの上に出てくる必然なのである。

彼が結果を出すのは常に当然のことであり、我々が彼に求める水準は常に高い。

彼は今後30代後半という熟年期に入るが、衰えることはないであろう。今後も向上し、前に進み続ける彼をプロと言わずして、何と言えばいいのであろうか。

私は彼と同時代に生きていることに対して誇りに思うし、またありがたいことであるとも思う。

鈴木一朗。彼は来年も、この舞台に立つことを選んだ。

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2007年3月16日 (金)

裏金

プロ野球の裏金問題が表面化しているようであるが、正直、難しい。

ただ、「表面化している」とは言っても、これはちょっと(ほんのちょこっと)野球に詳しい人であれば誰でも知っているような事柄でもあったりする。

2年前のM治大学、I場靖弘の「栄養費」問題でけっこうあれやこれやと新聞紙上をにぎわせていたが、週刊誌レベルなら、普通に球団スカウトが実名でK人やDイエー(当時)を告発していたりもしたし。(R命館大学からダイエーに入ったY田なんて、律儀に裏金を確定申告しちゃって、長者番付に載っちゃったし)

メジャーリーグのスカウト陣が日本の選手に直接接触することがないというのは知られているが、これはなぜかと言われれば、選手の親族やら所属チーム・学校の監督、コーチらが裏金を要求するからなんですよね。

メジャーのスカウトはこういう裏金に関わったということがわかると、問答無用で永久追放ということになっているので、誰も日本の選手には関わらないわけです。

トライアウトという形で、裏表をはっきりとさせてあるケースは例外なのだけれど。

こういうのって、構造的な問題で、下はボーイズリーグやリトルリーグなんて所から始まっている。

おいらの生まれた地域って、リトルリーグだとK原、H曳野という全国制覇経験のある名門があったり、ボーイズリーグだとぴいL学園という強力なコネのある、K田真澄パイレーツ投手やK重日本テレビアナウンサーなんかが出身のY尾フレンドなんてのがあって、この手のきな臭い話には事欠かなかった。

何せ、突出したごく一部の選手以外は、だいたい監督さんやコーチに袖の下を渡さないと試合に出してもらえないってんだから、どうしようもないですわね。

甲子園に出場するような名門私立でもこの手の、選手の父兄からの裏金ってけっこう知っている人は知っている。

ただ、高校野球なんかだと監督さんも結果が求められるので、この手の裏金が本当に効力を発揮するのは、甲乙付けがたい選手間競争がある場合くらいのものみたいなのだけれど。

本当にややこしくなってくるのは、高校以降なんですね。大学なんかだと、裏金関係の一悶着で選手が試合に出られるかどうかが決まることもあるし、選手同士での嫉妬やら虐め問題なんてのも日常茶飯事だし。(甲子園で騒がれた選手なんかがターゲットになることは多い)

ちなみに、おいらが高校教師やってた所は、一昔前に甲子園に出て、その時のエースで4番だったI選手という人がいたのだけれど、彼は一応、野手としての評価が高くてドラフト候補にも昇っていたのだけれど、その後の進路先で監督さんに乾されて野球を断念しちゃいました。こういう野球の辞め方って、聞くとつらいものがありますね。

というわけで、お金の集まる世界ってけっこうきな臭いことが多いんです。現実ってこんなもんだと思うんだけど、個人的には野球は楽しめたらいいという程度の認識。

プロ野球って、日常生活にちょっとした彩りを加えてくれる程度のものでしかないし、それでいいと思うのだけれど。

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2006年10月28日 (土)

新庄剛志

西武ライオンズ秋山幸二選手の大ファンの野球少年だった私は、秋山選手の一挙手一投足を真似していた。

打席に入る前のしぐさ、構え、スイング、走塁、リードの仕方、守備での構え、フライ・ゴロの取り方に投げ方、さらにはホームインする際のバック転まで真似していたのである。

鏡を見て、ちゃんと形になっているのかを確認し、テレビやビデオを何度もチェックし、夜には何度も素振りを繰り返し、ランニングをして少しでも近づきたいと思って野球をしていた。

遊びでもクラブでも、バッターボックスでは、秋山用のヒッティングマーチが頭に流れ、ボールをとことんまで引きつけて引っ張る。

「ホームランの打ち損ないがヒット」

そんな格言まで信じて疑わなかった。

そんな野球少年はもちろん、西武ライオンズのファンであったが、同時に阪神タイガースのファンでもあった。

85年こそ、真弓、バース、掛布、岡田を初めとする強力打線に福間、山本、中西を3本柱とする強力リリーフ陣が活躍し、圧倒的な力で日本一になったが、翌年以降低迷を続けるようになる。

物心ついた頃には強かったはずの阪神が、気がつけば最下位でなければ御の字という球界のお荷物球団となっていたのである。

春先には期待して、夏前には興味は高校野球に移り、秋には既に来年の話をしているという切ない球団であったが、92年、突如救世主のような選手2人と、それまで投げれば試合を壊していたような仲田幸司、湯船敏郎、中込伸といったような投手が人が変わったように活躍し、リリーフにも弓長起浩、田村勤といったような若手が台頭して優勝争いを繰り広げるまでになった。

救世主のような若手外野手2人の1人は亀山勤、もう1人の名前は新庄剛志といった。

トーマス・オマリー内野手が怪我で鮮烈を離れた際に、新庄選手は突如として現れた。

抜群の身体能力で、メジャーリーガーのようなフィールディング能力を持った彼は、全盛期の巨人桑田真澄投手の、当時誰もが打てていなかった低めに伸びてくるキレのあるストレートをものの見事に甲子園のスタンドに弾丸ライナーで叩き込んだのである。

そのデビューは鮮烈だった。

オマリー内野手が復帰し、センターにコンバートされた彼の動きは特別だった。

抜群のポジショニング能力に、球を追いかける能力、打球に対する反応、そしてスピード。その強肩から繰り出される送球で、走者を次々に刺し、捕殺17という記録を達成させてしまう。

ベースランニングの幅の取り方、トップスピードに乗るまでの早さ、そしてスピード。

走攻守揃った完璧なセンターフィルダーの出現は、阪神タイガースにも秋山幸二に匹敵するスター選手が現れたのだと、当時の関西の野球ファンは興奮を禁じ得なかったはずである。

残念ながら、彼には秋山選手に匹敵する打撃能力も盗塁能力もなかったが、その存在感と守備能力だけは勝るとも劣らないものであったと言って過言ではないであろう。

暗黒時代の阪神を観戦するのは苦痛であった。

興味の対象は、新庄選手と和田選手のみであったし、先発投手がマット・キーオでなければまず勝つ見込みはゼロであった。

当時の甲子園球場は閑古鳥が鳴いていた。

それでも外野スタンドには人が埋まり、野球を観に来たのか、単に騒ぎに来たのかよく分からない人たちが集まっていた。

外野スタンドから見る新庄剛志の存在感は圧倒的であった。

彼だけは遠くから見ても、「新庄剛志」だということが分かるのである。

足が長く、背筋が鍛えられており、その体型は実に美しかった。

センターに立っている彼の姿はまさに芸術であり、彼の動きは理想そのものであった。

外野スタンドでは、野次か応援かといった怒号が鳴り響いているのだが、ノーアウト、もしくはワンアウトで走者が3塁にいる場面でのセンターフライ、もしくは2塁に走者がいる場面でのセンターへのヒットでは、球場が静まりかえっていたのである。

球場の誰もが、新庄剛志という選手が抜群の身体能力でボールを捕球し、それを驚愕的な強肩でホームまで遠投し、走者を刺すという決定的な場面を見たくて固唾を呑んでいたのである。

その雰囲気は一種、異様とも言えるものであった。

批判的で厳しい関西の野球ファンに、新庄剛志は愛された。

2000年のシーズン、名将と謳われた野村監督の下で、新庄剛志は打率278、本塁打28本、打点85という彼にとっては類を見ない成績を残しFA権を獲得する。

FA後、私は当時アメリカはシアトルにおり、インターネット情報や朝のめざましテレビのダイジェスト(30分で、メイン司会は安藤さんなのですが)版を見て、情報を収集していたのだけれど、ある日、新庄選手の会見シーンを目の当たりにする。

「自分の好きな球団が見つかりました」

そう言い始めた彼の会見を見て、私は驚いた。

「その球団は、ニューヨークメッツです」

・・・!??

というわけで、彼はイチロー選手と同じ年に、野手としてメジャーリーグを目指すこととなった。

当時の私は、イチロー選手がメジャーで通用すると公言して憚らなかった。

イチローは3割打てるし、30盗塁もできる。それに守備も一流である。大丈夫。

それが私の当時のイチロー選手への評価であった。(事実である)

新庄剛志に対する評価はあまり高くはなかった。

ただ、彼は走塁能力もあるし、外野も内野も守備能力という面ではかなり高いものがある。(当時のメッツは外野の面子がイマイチだったし、内野も1塁トッド・ジール、2塁エドガルド・アルフォンゾ、3塁ロビン・ベンチュラ、遊撃レイ・オルドニエスという鉄壁の面子だったがベテランが多いので、ある程度の休養は必要とされていた)

こう考えるとユーティリティーとして(メジャーではどこでも守れるという人がロースターに2,3人は確実に入るのである。さもないとシーズンを乗り切れない)メジャー枠に入ることはできるのではないかと、当時の日本やアメリカのスポーツ紙よりは高い評価をしていたである。

メジャーのオープン戦直前に、私はメキシコ旅行に行き、シアトルタコマ空港で、baseball weeklyを買い、シーズン予想を読みながら飛行機に乗ったのである。

カリブ海を満喫し、中継空港のセントルイスでまたまたbaseball weeklyを買い、オープン戦の打撃成績を見て、私はびっくりした。

新庄剛志が3位にランキングされているのである。

しかも、打撃数も多い。

正直、「もうマイナーに落とされたかもしれない」と思いながら新聞を広げていた私は、その活躍に驚愕したのである。しかも、打率は4割を超えている。

新庄剛志はこのまま開幕メジャーの座をつかみ取り(メジャー契約でない選手が、開幕メジャーを勝ち取ることは本当の栄誉であり、困難を極めるのである)、その年のニューヨークメッツの躍進に貢献することとなる。

2年目はサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードされ、3年目には再びメッツに戻ってきたが、思うような成績は残せず、日本に戻ることとなる。

2004年の打撃成績、打率298、本塁打24本、打点79はメジャーでの活躍がフロックでないということを証明するに十分であったが、当時の彼の「これからはパリーグです」「札幌ドームを満員にしたい」「目標は日本一です」といった発言は大言壮語の空虚極まりないものであって、当時の大半の日本人は真に受けていなかったはずである。

事実、日本ハムが人気球団になり、ましてや優勝を争うようなチームになるなどほんの1,2年前には単なる絵空事にしか過ぎなかったはずなのである。

それが、2006年のシーズン。

日本ハムはシーズンを1位で通過し、プレーオフにも勝利。続く日本シリーズにおいては、セリーグ覇者中日ドラゴンズを4勝1敗で退け、見事に日本一を達成してしまう。

実に44年ぶりの大記録なのだそうである。

こうして、記憶に残る野球選手、新庄剛志は引退することとなった。

彼は、グラブを阪神入団時に購入したものをずっと使用しており、今日まで4回にわたって修理したのだそうである。

彼の残した功績を、ここでささやかながら祝福したいと思う。

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2006年8月22日 (火)

また巡り来る夏の日に

2日間に渡る決勝戦が終わって、早実が夏初優勝を決めたそうで、おめでとうございます。なんだか、視聴率が凄いことになっているみたいですね。

YouTubeか何かでupされていないかなぁといろいろ検索してみたのですが、ヒットしなくてけっこうしょんぼりしていますが、そのうち誰かがupしてくれるのではないかと密かに期待しています。

早実の斉藤くんは4連投を達成して、その業績には頭が下がる思いですが、なんとか肩と肘のケアだけはしっかりとして欲しいものだと思います。

しかし、彼は本当に凄い選手のようですね。

早実も一般入試で入ったみたいですし、成績も上位。無駄のない綺麗なフォームから投げ込む、キレのある速球に縦のスライダー。抜群のコントロール。しかも、端正な甘いマスク。

上背がないということもあって、プロのスカウトからはあまり興味を持たれていないようですが、このまま早稲田大学にでも進学してもらって、学業・野球と超一流の結果を残して、それからゆっくりとプロ入りしてくれたらいいなと密かに思っています。こういう完成度の高い投手は、なんだかんだ言われても、プロで成功すると私は思っています。

駒大苫小牧も、奇跡だなんていう言葉すら霞んでしまうような極々僅かな可能性しかない3連覇まであと一歩と、素晴らしい活躍であったと思います。

道具を大切にして、相手チームに対する礼儀から入って、北海道のチームでも甲子園で頂点を目指そうという意識改革から、地道にチーム作りを重ねてきた香田監督も大変素晴らしい指導者で感服いたします。春先からいろいろとあって、10キロ以上体重が減って、これから北海道の病院で検査することになったようですが、少し休んでもらってもいいんじゃないかなと個人的には思います。

しかし、夏のこの時期だけは毎年、高校野球の監督をしたいなぁという気持ちがひしひしと沸いてきます。

基本的に体も小さくて、足が速い以外にさしたる特徴もなかった私のような選手が、試合に出るためにいろいろと四苦八苦して試行錯誤した経験は、指導者で生かせるのではないかと思ったりすることもあるのですが。

もし、博士を取っても大学や研究関係に就職できなかったら、どっかの田舎の進学校にでも拾ってもらいたいものです。ちゃんと授業もするけど、今回の早実のような野球がしっかりできるチームを作って、甲子園で名だたる強豪チームを倒すようなことができれば、と思いますね。

なんか、もう、夏の野球と言うだけで身体中の血がたぎるというか、沸騰する感覚になってしまう。正直、思いっきり野球ができる世代の人たちを羨ましく思います。

そんな私は、一応、世界で一番野球がうまい言語学者を目指しているのですが、問題は「学者」になれるかどうかですよね。まぁ、そうですね。

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2006年6月24日 (土)

Football is Over

いやー、やってくれましたね。インザーギ。途中出場ながら初得点。

しかも相変わらずのポジショニングのよさで、決定機を何度も演出しました。けっこう調子よかったので、次戦以降も使ってもらえそうなので個人的には嬉しいですね。サッカーをよく知らない人たち用にちょっと宣伝しておくと、インザーギはなんとなくアラン・ドロンに似ている(と思う)黒髪のお兄ちゃんです。親日家で、キャリアの最終年くらいは日本でプレーしてもいい、みたいなことを発言されています。あと、あっしの携帯ストラップはインザーギです。とは言っても、こっちで携帯電話は使用してませんが。

え?お前はほんまにそんな話題に触れたいのか?って?

あ、はい。ちゃんと核心に触れます。

日本対ブラジル戦、一応見てきました。大学構内Wentworthのパブで。

スクリーンがあって、それでビールをちびちびやりながら観てたわけですね。

玉田が先制のゴールを入れたときは、そりゃ盛り上がりましたよ。

あんな綺麗なゴール、初めてじゃねぇか!って感じでしたモンね。

オーストラリア戦ははっきり言って誤審のもうけものゴールだったし、「あれ?入ったの?」って感じだったし。

やっぱり入れるときにはズバッと入れて欲しいですね。こう、ネットに突き刺さるような形で。

前半終了間際に、日本の足がだいぶ止まってきたので、「せめて、1対0で終わってくれ」と願っていましたが、やっぱりダメでした。

同点に追いつかれて、後半は言うまでもないですよね。大人と子供の試合。プロと素人。健康な人と病人。もう、なんて言っていいのやら。対等に競れる部分が全くのゼロ。ナッシング。100回やっても1回も勝てない実力差ってやつでした。

ジーコの監督としての力量はともかく、彼の日本サッカー界への貢献度を考えれば、感謝してもしきれないのではないかと思います。サッカー3流国の日本でキャリアを終えてくれたおかげで、リトバルスキー、リネカーといった元大物選手も来てくれたし、ストイコビッチやレオナルド、ブッフバルトといった現役の1流選手も来てくれたし、ベンゲルのような1流の監督も来てくれたわけだし。

ほんの10数年前までは、日本はアジアでもしょぼくて、韓国、サウジなんかとはほとんど試合にならないくらいだったわけなんだから、この進歩は評価して然るべきだと思う。

今後は組織力と個人の力量の積み重ねってことになるのだろうけど、チェコや旧ユーゴ代表も予選落ちしているんだから、これからが本当の山になるんでしょうね。あとは、少なからず利権も絡んできているので、今度の監督さんはK渕やらD通やらスポンサーやらといった絡みや、リーグのコネ、宗教団体etcなどといったものにも対処できるような政治力もあるといいですね。って、この辺は剣呑としているので、あんまり詳しく書こうとは思わないのだけれど。

というわけで、今後はナショナリティーとか抜きで、純粋にサッカーだけを楽しめる環境にはあります。ブラジル、アルゼンチンが本命2強。対抗がイタリア、ドイツ、イングランドの欧州勢といったところでしょうか。実力伯仲でどう転ぶか分からないといったところですが。

Dscf0099 パブで備え付けてあるスクリーンはこんな感じです。光の反射で画面が見えないのは残念ですが。ちょうど、玉田がゴールを決めた直後で、他にも記念にパチリとやっていた人たちがいました。日本人の中には、代表のユニフォームを着たり、ペインティングをしたり、といった人たちもいて、けっこう楽しそうでした。

Dscf0100 部屋で育てているハーブに花が咲きました。側に寄ってみると、確かにいい香がしてきます。いいですね、綺麗な花に綺麗な香。それでいて手入れもけっこう簡単ですし。

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2006年6月22日 (木)

強さと必然性

想像を絶するプレッシャーに対峙する時、とってはいけない態度が2つある。

残念ながら、スポーツという国際舞台において、結果を出せていない日本選手たちに弱い面を見せつけられることは多い。

一昔前に結果が出せていない人たちは、必要以上に自分にプレッシャーをかけすぎて押しつぶされていた、ということがあったように思う。

今回のサッカーにおいて、それはない。

「現在の若者はプレッシャーに強い。だって、あんまり緊張していないから」と言われることがある。

ただ、これがプラスに機能しているとはとても思えない。

オリンピックだのW杯だのといった大舞台を「楽しみました」と妙な作り笑顔で返答する姿はある種、珍妙にも思える。

「結果を気にしない」と言うことで、プレッシャーから逃げようとしているようにしか見えないし、今回のサッカーのFW陣もひたすら言い訳というか逃げ道を作ることに終始しているだけである。

誰にも完璧なプレーなんてできない。人間なんだからミスはある。ペレだろうが、クライフだろうが、マラドーナだろうが、ベッケンバウアーだろうが決定機は外したことがある。

ただ、彼らと日本のFW陣(といっても柳沢と高原だけだけど)が同じ失敗をしたとしても、前者を批判しようとは思わない。

彼らはあらゆる状況を想定し、自分がやるべきことを地道に積み重ねているからである。彼らが結果を出したときには、そこにはプロセスがあり、必然性がある。

残念なことに、今の日本の2人のFWに結果を出す必然性はないと思う。

仮にこの2人で今日のブラジル戦を戦い、なんらかの結果が出たところで、それは単なる偶然というか幸運に過ぎないように思えるのである。

日本代表が収集される毎に、中田英寿が渇を入れ、あぁだこうだと注文しているというニュースが流れている。

中田自身があまり人望があるタイプでもないし、確かにちょっと浮いた存在であるということもあるのだけれど、彼が言いたいことというのはよく分かる。

彼自身、それほど結果が出ているわけではないけれども、海外という過酷な舞台でハイレベルな競争を繰り広げていることから、常日頃の細かい積み重ねの重要性というものをしっかり認識できているということがあるのだと思う。

決定機に、結果が出せなかったということがあって、諦められるケースと諦められないケースというものがある。

例えば、土壇場の場面でイチローに打席が回ってきて凡退するようなことがあれば、諦めることはできる。それは、イチローが常に打てる手全てを打っており、彼ほど結果が出せる人間など数えるほど、もしくは他に一人もいないということが断言できるからである。

一昔前の日本代表に三浦知良という選手がいた。

彼は90年代の日本の代表的な選手であり、常に地道に努力を重ねてきた選手である。

確かに世界レヴェルで一流の技術を持っているわけでもなかった(実際、セリエAでも通用しなかった)が、仮に彼が決定機で失敗をするようなことがあっても、なんだか諦めることは可能であるように思える。

それは、彼が自分にできることをしっかりとこなし、日頃から地道な努力を重ねているということに他ならない。大舞台や過酷な状況で実力を引き出せる支えとなるものは、地道な努力でしかない。それらを積み重ねることでしか、結果はついてこないと私は確信する。

欧米は派手で大雑把という印象が日本ではあるみたいだけれど、そういうことはない。地道にやっている人間は評価されるし、しない人間は容赦なく追い出されることになる。小野伸二がヨーロッパでも一流の技術を持っているのにクビになったのは、彼が地道にやるべきことをやらない人間だからである。(最近のNumberでも特集されていたが)

私が個人的に好きな選手として、イタリア代表、セリエAのACミランのFW、フィッポ・インザーギという選手がいる。

彼は突出した得点能力から一流のストライカーとして勘定されるのだが、技術的な側面からいくと本当にたいしたことがない。

日本の例のFW2人の方が才能はあるのではないかと言っても過言ではない。

ただ、インザーギは泥臭いプレーが信条で、常に自分にできることを地道にやっているのである。

大舞台で結果が出ているのには理由がある。

今回、個人的に日本代表で使って欲しい選手が2人いる。1人は大黒。彼はゴール前で自分のポジショニングを保つという役割分担を怠らない。前線での運動量も評価したい。もう1人が巻。彼も技術的には未熟だが、常にやるべきことを地道にやる芯の強さがある。

彼らが得点できないとしても、なんだか諦めることは可能な気がする。

まぁ、とにかく、最終戦ぐらいはやるべきことをやって、自分の全てをぶつけてほしいと思っている今日この頃である。

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2006年6月11日 (日)

サッカー

最近、ずっと天気が良くて、最高気温なんか20度後半で、日向に出ると汗ばむほどの陽気である。

とは言っても、日陰に入るとだいぶ涼しいし、部屋の中はいたって快適なので不快とかそういうことは全然ない。クーラーなんてcollegeにはついてないけど、そんなものいらないって感じがする。

日本の暑さってまず湿度があって、どうも湿っぽくて嫌な感じがするのだけれど、こっちの夏はかなり快適な感じがします。あ、そりゃシアトルの夏なんかと比べられるとちょっと暑いかなぁって感じがするのは仕方がないのだけれど。

あっしは寒さにもけっこう強いけれど、別に暑さに弱いわけでもなくて、近年はなるべくクーラーを使わないような生活をしていたので、この程度の暑さってのはたいしたことはない。

単に、夜にビールがおいしく飲めるかどうかってぐらいの話である。あ、ビールを飲むならちゃんと腹筋して、走り込まないと腹が出てきそうで嫌なのだけれど(ちゃんと分割されてますよー。ってそんなもの公開しないですが)。

というわけで、暑いと言えばけっこう暑い欧州なのですが、とうとうワールドカップが開幕しましたね。

今日はイングランドの試合があるということで、city centreなんかに行ってもイングランド代表のユニフォームを着ている人たちをかなり見かけました。パブなんかで屋外にテレビを特設したり、とけっこう盛り上がっているようです。車に国旗を掲げているのもけっこう見かけるし。

イギリスの人って、なんかみんなで盛り上がるとかそういうのってなかなかないみたいなのだけれど、とにかくサッカーだけは特別なようである。ラテンの人たちほど熱狂するわけではないみたいだけれど、サッカーの発祥の地ということもあって、力の入れ具合は相当なものである。

実際、イングランドの試合があった2時過ぎからは、けっこう外で見かける人の数も減っていたし。(大学のパブなんかでスクリーンに映し出していたりしたのだけれど、人が多すぎたので帰ってきちゃいました)

イングランドは1-0でパラグアイに勝ったのだけれど、けっこう怪我人が多くて大変ですね。ルーニーはなんとか予選の最終戦辺りからは戻ってこれそうだけれど、ジェラードが背筋を痛めているのはちょっと厳しいかも知れない。あ、あっしのレビューはこんな感じです。

ベッカム:クロスを多少ミスってましたが、全体的な動きはいいですね。一時期の不調は脱したようで、期待していいかと思われる。ボールもある程度キープできていたし、そこそこ決定的な場面も作れていた(ゴールも決めた?し)。ただ、コーナーがイマイチ冴えていなかったような気がする。

ランパード:前半はほとんどボールに触れなかったし、ミドルシュートも抑えが効いていなかったが、後半はかなり動きがよくて決定的な場面も演出できていたので、期待できるかと思う。

オーウェン:故障上がりなせいか、動きがイマイチ。もう少し下がってボールを取りにいかないといけない。

ジェラード:怪我をしているということを考慮するとそこそこ動けていたとも言えるが、まだまだ本調子にはほど遠い。

ジョー・コール:かなり動きが良くて、決定的な場面もかなり演出できていた。オーウェンが復活して2人で動き回れるとかなり怖い存在になるかと。

アシュリー・コール:ちょっとマークが甘いときがあったが、油断すると強豪との対戦では厳しいかも。

ファーディナンド:ある程度、ボールを抑えられたと思う。まぁ、この人とテリーが後ろに控えているとある程度安心して見ていられる。

ダウニング:ルーニーがいないというのと、オーウェンがいまいちというのもあって出番があったけれど、決め手に欠ける。もう少し積極的に出て行かないとちょっと使えない。

クラウチ:でかいのはいいが、当たりは弱いし、足下でキープできないので、どうも頼りにならない。運動量は買いたいが、もう少しきつめに当たっていかないと強豪との試合では苦しい。

って感じでしたね。まぁ、イングランドはルーニーがやはりキープレイヤーになるかと思います。明後日は日本の試合があるので、パブまで見に行きたいのだけれど、時間に余裕を作るために明日はちょっといろいろとやっておかないといけない。

え?「恋愛関係の話はどうした?」って?あ、いや、また近いうちに書きます・・・( ̄▽ ̄;凸

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2006年3月22日 (水)

世界一

一昨日(昨日?)は、World Baseball Classicの試合がこっちで深夜の2時開始で、終了したのが6時だったので、就寝時間が6時半だったりしました。おかげで寝不足。

ESPNの映像で観戦していたのだけれど、試合開始前は大学バスケが延長戦に入っていたので、それをずっと眺める。日本の1回表の攻撃に入ってもまだバスケ中継なので、仕方なくMLBのGamedayというリアルタイムでスコアが眺められるソフトを起動する。

バスケはミシガンの選手が終了0.6秒前にマークがついていたので、破れかぶれで放った3ポイントが入って、ミシガン大学の勝利。

というわけで、野球中継に移る。日本は満塁のチャンスを迎えており、打席には今江が入っている。という展開でした。(今江はセンター前ヒットを打ち、2点タイムリーになりました)

試合の経過はいろいろと日本で放映されているみたいだけれど、とにかく日本野球のいい所が出てよかったのではないかと思います。アメリカのスポーツ紙でも「ランナーをしっかり進め、勝負所で確実に得点し、しっかり守るというアメリカが忘れてしまった野球の基本がしっかりできていた素晴らしいチーム」という評価でした。どの新聞でも一面トップで扱っているようです。

まぁ、この手の国際大会ってやつになると、すぐに「国威掲揚のため」だとか「国民の不満を逸らすため」だとか言う人たちが出てくるのだけれど、この大会に関しては国威掲揚のために利用しようと思っていたのは主催国のアメリカであって、日本ではないということはきちんと確認しておきたい。運営方法なんかもそうだし、組み分けにしても前評判の高かったドミニカ、プエルトリコ、ベネズエラなんかとちがうグループにアメリカを入れたのはほぼ確信犯的なところがあったし。(でも野球ファンからすれば、アメリカとドミニカはシード国みたいなものなので、ブロックは分けた方がいいと思う)

ただ、「国民栄誉賞etc」という話になると、政治利用されていると考えて仕方がないと思うけれど。

そういった条件下で、これだけのパフォーマンスができたのであるから、日本の世界一という結果は賞賛されて然るべきであると思う。それに大会前からいろいろとプレッシャーを自分に向けさせて、それでも結果を出し続けてきたイチロー選手には個人的にも賞賛を贈りたいものである。

プロ野球選手というと、子供たちに夢を与えているのはもちろん、我々大人にも夢を見させ続けてくれているということだけは注意しておきたい。ほんの数時間かもしれないけれど、文字通り同じ場所で同じ白球を追いかけた選手が、自分には叶わなかった高い次元で野球を続けるということをしてくれているおかげで、「我々の世代は・・・」という妄想をかき立てることができるわけである。それにああいう極度のプレッシャーがかかる場面で、難しい球を打ち返し、普段通りのプレーをするということは困難を極めることなのである。

個人的には川崎選手が連続エラーをしてしまったのにはシンパシーを感じてしまいましたね。私も、ちょっとしたエラーからテンパってエラーを繰り返してしまうタイプだったので。(ショートでやらかしたこともありました)

でも、とにかくああいう舞台で強豪と野球をやってくれている同世代の選手がいるというだけでも嬉しいものなのです。同じ夢が見れているという気分になれます。

日本は次回は追いかけられる立場になるし、アメリカもさすがに今回のように適当な気持ちではこないだろうと思われるので、またまた次回大会が楽しみになってきました。いい意味で野球が世界に普及すればいいなと個人的には思っています。

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2006年3月13日 (月)

残り物の料理と野球観戦

夜中ですが、World Baseball Classicということでずーっと野球観戦にふける。日本対アメリカ。

試合内容が緊迫していたので、ずっと緊張しっぱなしで胃が痛い。全く息をする間もないような展開の素晴らしいゲーム。日本はアメリカの先発ジェイク・ピービからイチローのホームランと川崎の2点タイムリーで3点を先制。上原もヒットこそ打たれるものの、チッパー・ジョーンズのソロホームランの1点で5回を散発7安打の1失点と好投。アメリカの面子を考えるとこの好投は圧巻の一言に尽きます。得意のフォークが見極められていたのは厳しかったけれど、勝負所でアウトローにストレートを決めれていたのが好投の要因でしたね。それと、時折、インにツーシームを投げれていたのがよかった。

上原の後を受けた清水は、指を舐めるときにはマウンドから離れなければならないというアメリカの不文律を知らなかったらしく、連続ボークを取られてしまいすっかりリズムを崩し、デレック・リーのツーランで同点にされてしまう。

しかし、その後は藤田、藪田とロッテリリーフ陣が後をしのぎ、8回の日本の攻撃。西岡のセンター前ヒット、松中の死球、福留の四球で1死満塁のチャンスに岩村のレフトフライでタッチアップした西岡がついに逆転のホームイン。と思いきや、判定が覆って一転アウト。日本の攻撃は終了してしまう。

どう見てもセーフにしか見えないタイミングということもあって、ついつい私も壁を2,3発殴ってしまったが(ごめんなさい。壁に罪はありません・・・)、ESPNの放送でも(MLB TVはESPNの放送なのです)「審判の間違った判定」「アメリカがこれで勝つのは恥ずかしい」「議論を呼びそうな(controversial)試合になってしまった」といった発言を連呼し、問題のシーンを何度か放映していた。この辺りのミスジャッジだとかfairnessに対する執念は日本とはちょっと違うところがあるんですよね、アメリカは。

まぁ、確かに政治的局面だとかで中国とアメリカはダブルスタンダードまっしぐらの国だとは思いますけれど。(強者の論理ってやつか)

しかし、この判定にも冷静だったリリーフの藪田は8回裏を3人で抑え、日本は9回にも2死満塁のチャンスを迎えるが、多村があえなく三振で攻撃を終了。結局9回裏2死満塁から、日本のリリーフ藤川がアレックス・ロドリゲスにサヨナラヒットを浴び、ゲーム終了。

というわけで、1時前だというのにアドレナリン出まくりで全く眠くなっておりません。あ、素面で観戦する気にもなれなかったので、ワインも飲んでいたのですが、目がぱっちりしてますね。ダメだ、こりゃ。

でも、日本はメキシコ、韓国に勝てばもう一度アメリカとやるチャンスがあるので、ぜひとも今度は打ち負かせるように頑張って欲しいものです。メキシコも韓国も楽な相手ではないですが。

Dscf0004_7 「調理風景が見たい」とかいうリクエストをいくつかいただいたのですが、さすがに誰かに撮ってもらうような真似はできなかったので、ちょっとまな板と包丁だけ写してみました。捌こうとしているのは、先日チキンカレーを作った時に余った鶏肉です。包丁は日本から買って持ってきました。baggage claimに乗せてきましたけどね、もちろん。ペティナイフが切れ味がよくて、けっこうお気に入りなのです。

Dscf0006_6 今日は雪が降って寒かったので、ポトフでも作ろうかなと思っていたのですが、ちょっとかかりっきりだった課題がめでたく終了したので、久しぶりにワインを買ってきちゃいました。というわけで、あり合わせのものでワインに合いそうなものを作ることにしました。奥にあるのが(お馴染み?)のバーニャカウダです。

「アンチョビが苦手」という人もいらっしゃるみたいですが、にんにくとオリーブオイルとうまく絡ませると臭みがなくなっておいしくなりますよ。コツは弱火でことこととゆっくり煮込んで、オリーブオイルがさらっとする感じになって、アンチョビの形が崩れるまで煮込んでしまうことです。にんにく、アンチョビ、オリーブオイルの組み合わせでこれだけおいしいものができるのかと感激すること請け合いかと思います。あ、お口に臭いがつきそうなのは難点かもしれませんが、にんにくを一度軽く茹でてあるのと、オリーブオイルに浸しているせいか、臭いはそこまでひどくはありません。

Dscf0008_6 今日はSainsburyでキャンティというイタリアワインを買ってきました。実は、大学の先輩でスペイン舞踏をされている(副業で言語学をされています。あれ?どっちが本業だったっけ?)素敵なお姉さんに帰国後にシェリー酒談義で負けないようにするために、こっちでシェリーをいろいろ体験しといてやろうと思っていたのですが、今の所ドライシェリー(けっこう苦手)しか見つけていないんですね。今度、また探してみようかと思っているのですが。

イタリアワインは守備範囲なのでちょっと蘊蓄をたれると、キャンティはトスカーナ地方のワインで一時期、「安かろう悪かろう」の評判が立っていましたが、90年代半ばから人気を盛り返してDOCGとかなんとかいう賞をもらっている。軽めの赤ワインで肉料理なんかと合わせやすかったりするんですね。だから、今日は余り物のチキンを使ったわけです。

チキンは、味の濃いソースがいいですよね。今日のソースは、先日作った残り物なのですが、ブイヨンと牛のミンチ、玉葱をこれでもかってぐらい煮込んで、カレースパイスで味付けしたものです。そのまま飲んでもおいしいスープになりますし、御飯にかけてもおいしいです。ちょっと3,4日経っていて、味が濃いめになっていたので、今日のチキンとはちょうどいい感じに絡んでくれたのではないかと思います。バーニャカウダにつける野菜はブロッコリー、それにブロッコリーの茎の部分(新鮮なやつだとしゃきしゃきしておいしいのです)、大豆の新芽、ベビーキャロットという面子です。バゲットは単にオーブンでかりっとするまで焼いただけですね。

それとトマトは市場でいいのが買えたので、Marks and Spencerのモッツァレラチーズでサラダにしました。モッツァレラはMarks and Spencerのが抜群においしくて、トマトと配合すると非常においしいです。例によって、塩を振って(アンチョビをばらしても可)、オリーブオイル、バジルを振っただけの簡単なサラダです。今日の料理の調理時間は30分ぐらいのもので、値段もたかが知れています。実は2月と1月末の31日間の生活費(college fee、つまり家賃を除くと)日本円で4万2千円しか使っていないということが判明。もしかしたら、けっこう節約上手なのかもしれません。裏を返せば「ケチ」というだけのことかもしれないですが。

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2006年3月 6日 (月)

機嫌悪い

朝起きると快晴の気持ちのいい日曜。

部屋を掃除して、ベーグルと珈琲をすすりながらMLB TVをつける。今日はWorld Baseball Classicsの日本対韓国戦なのである。

1回に松中の内野安打で先制、続いて川崎のソロホームランで追加点、と序盤はいいペースで試合が続くのだが、追加点が入らない嫌な展開。

しかも4回の二死満塁で西岡の強烈なライトライナーをライトの李さん(李さんがたくさんおりまして)がダイビングキャッチで好捕。野球ってこういうワンプレーで一気に流れが変わっちゃうんだよねぇといやーぁな気分で5回の韓国の攻撃。

案の定、死球が絡んで1死2,3塁というピンチから犠牲フライで1点を入れられ2対1。ただ、このリードは藤田、杉内(MLBの実況では「すぎよし」と発音されてました。めちゃくちゃや。まぁ、難しいのだろうけれど)の継投でなんとか死守。8回からはヤクルトの石井が登板。

ただ、見るからにすっぽ抜けが多く、「おいおい、ちょっと変えた方がいいんじゃね?」などと思いながら観ていると、やってくれました。

この試合全く自分のスゥイングができていなかった李のスン様に、高めのすっぽ抜けのスライダー。もう、これ以上ないくらいの某球を投げてしまい、逆転のツーラン。(まぁ、「ここ」というところで仕留めた李の勝ちなのだけれど)

逆転を許した日本はたかだか1点差だというのに大振りが目立ち、そこを見抜いた具デソンに手玉に取られる。

最終回はドジャース時代にKorean Expressの異名を取った朴チャンホに3人で仕留められゲームセット。

というわけで、試合内容的には粘り負けというか完敗です。実力があったのかどうかは知らないですが、もう言い訳のしようのない負けです。二次リーグ進出はもう決定していて、消化試合でしたが、アジア1位で予選を通過するかしないかという精神的なものを考えるといい結果ではありません。というか、アメリカと同じ組に入る可能性大なのですが、あの最強軍団に立ち向かえるのかはなはだ不安。(そのうち日本でも話題になるかと思いますが、アメリカは日本戦で予定通りだとドントレル・ウィルスというD-trainという異名のある、現時点でおそらく世界最強の先発左腕と対決することになります))

それで、今日は快晴の気持ちのいい日でしたが、気分悪くcity centreに買い物に行って参りました。

しかたがない。論文執筆の続きをやろう・・・

Dscf0025_4 あ、昨日の朝に撮った写真なのですが、家のすぐ隣の芝生の上で雪だるまが作られていたのです。こっちの雪はパウダーっぽいのに、カナダとかシアトルのSmith Mountainなんかと違ってこねると固まります。ちょうど、日本のと北米のパウダーの中間くらいの感覚。

Dscf0026_4 それで窓から見てみた風景ですね。寒そうですが、雪があるとテンションが上がりますね。素敵な女の子とアルプスのスキー場を直滑降で数kmほど一緒に滑ってみたら気持ちがいいだろうなぁと妄想してみたくなります。あ、妄想する自由くらいはあってもいいですよね?

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