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2009年4月

2009年4月26日 (日)

研究者モード

えと、久しぶりにこの週末は研究者モードに完全変換して生活してみました。

それと主要言語が英語。

まぁ、今では言語学に限っては英語で喋る方が楽だし、そもそもここんとこずっと英語の学会でしか喋っていないので、英語で喋ること自体、別になんてことないって感じになっちゃいました。ま、場数踏んだし、いろいろ失敗も、それを乗り越えるプロセスも経たからこその心境だと思います。

学会会場では旧知の方々と再会って感じでした。数年ぶりに会うと変わる人もいれば、変わらない人もいる。私もそのうち「老けたな」と思われるのかもしれませんが。

会場までは家から電車で30分弱、徒歩で20分といったところなのだけれど、ここもなんだか「懐かしい」場所。いろいろと思い出すこともあるものです。(せんとくんがあちこちにあるのだけれど、なんだか気味が悪い)

研究モードに切り替わったものの、正直、脳が汗をかくというか、痺れるような体験は基本的にはありませんでした。まぁ、世の中そんなものなのかもしれない。やはりいかにも競争率の激しそうな学会に参加しないといけない。

だんだん、若くて活気のある人たちと一緒に過ごしている方が充実しているのではないか?という気がしないでもないですが( ̄▽ ̄;)

日本の学会に参加するのはかれこれ4年ぶりとかいうことになるのだけれど、やはり地域性というか、同じフレームワークで同じ問題意識を持っていても分析の方向性が随分と違うのだなと思うことは多い。

日本の理論言語学、特に生成系は北米の東海岸の理論に影響されることが非常に多くて、特に最近はユーコン、メリーランド、ハーヴァードが御三家といった感じになっています。

この辺にいる人たちは、今こそ自分たちが最先端の理論を作っているのだという自負があるみたいだし、日本でもこの近辺の研究者を目標に追いつけ・追い越せといった意識を持っているような感じです。

この辺の人たちの最近の議論は、もう経験的データなんか基本的にあまり問題にならなくて、概念的な問題にのみ随分と焦点を当てているようです。

ただ、一方で、よりミニマルというか、極小的、経済的な理論を作って行こうというスローガンを持っているわりには、けっこういろいろと新しいメカを登場させているなぁという印象が拭えないのと、過去の理論と比べて何がどう優れているのかイマイチよく見えない印象があります。

過去のメカを今に移し替えているだけというか。

まぁ、それにより経験的データのカバレージが広くなるとか、メカがシンプルになるとか、メカをある種の原理から引き出して来るとか、そういう「いいこと」があるといいのだけれど、特に現時点ではそういうことはないようにも思える。

ヨーロッパでは、特にデイヴィッド・アジャーやイアン・ロバーツなんかは概念的な理論を作っていくタイプの人間なのだけれど、一応、議論の基になるデータはかなり経験に依っているというか、やはり「データありき」の立場は崩していない感じです。

北米の人たちから見ると、ヨーロッパは保守的って印象みたいなのだけれど、でも、言語学が経験科学である以上は経験的データから隔離するべきでないように思えるし、着実なデータに基づいた一般化や理論はそれ自体が被説明項として長く生き残り、人の注意・関心を引き寄せるきっかけにもなる。それにその種のデータは言語の生の部分をより反映したものでもあり、特に他言語話者からの関心のきっかけにもなり、それ自体が興味深い観察でもありうる。

「イギリスって今でも経験主義っぽいところから脱却できてないよねー」と言う人もいたのだけれど、自分が突出した頭脳の持ち主でもない限りは、経験科学的手法に則り、地道に現象観察を続けるタイプの研究は「あり」だと思う。もちろん、そこからブレークスルーに至る可能性のある理論形成をしてやるという野望自体は忘れてはならないのだけれど。

一攫千金を狙って、只管、概念的理論だけを扱うのもいいのだけれど、その大半は徒労に終わっているという現実もあるし、それにその種の概念的理論は本当にセンスのある少数の人たち以外にはなかなかうまく扱う事はできないのではないか、という疑念もあります。

まぁ、最終的には出て来た仕事の質が全てだと思うのだけれど。

自己満足ができ、他人も納得させられる理論を作るのは難しいですね。学問ってのは、どうしても独りよがり、学派よがりになってしまいがちだし。

ところで、今日は帰り道で立ち寄った銀行のATMで、困り果てていたフランス人のカップルの観光客の手助けをしてみました。

クレジットカードでお金を引き出すのと、絵葉書をフランスに出す作業が必要だったみたいなのだけれど、確かにややこしいのかもしれない。

日本の銀行ではクレジットカードでお金は引き出せないし(ヨーロッパではできる)。

事情を説明して、隣りのコンビニに案内し、ATMを操作する。

一応、英語案内はあるのだけれど、日本の英語案内の基本ってアメリカ英語ですよね。

ヨーロッパの英語はやはりイギリス英語が基本になっているので、意外にややこしいんですよね。日常的なボキャブラリーからしていろいろと違うことも多いので、イギリス英語の初学者にはアメリカ英語が分からないことも多い。(逆も然りだと思うけど)

このカップル(老夫婦だった)は少々の英語が話せたので、多少は英語で話して、それと私の必殺片言フランス語でなんとか事情をいろいろと説明しました。

まぁ、基本、うまくいったし、それにとても喜んでくれたのでよかったです。やっぱり旅先では楽しんでいってもらいたいし、私も世界各国でいろいろと親切な人たちにはお世話になったことがあるし。

人が暖かいと楽しい気分になれるし、また来たいとも思えるようになる。

私は自分では愛国心たっぷりの日本人だと思っているので、やはり他の国の人たちにもいい印象を持ってもらいたいですね。押し付けがましいのは嫌なのだけれど。

まぁ、そんなこんなでちょっと非日常的な週末でした。明日からはまた仕事ですな。

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2009年4月19日 (日)

欧米化している

なんとなく生活リズムというのが確立するようになって。

洗濯はわりとこまめにやっているのだけれど、部屋の掃除を平日にやる体力はないので、週末にまとめてやっています。

見た目はそれほど汚くもないかなって感じがするので、それほど掃除しなくてもいいやんって気になってしまうのだけれど、ワイパーなんかで床を拭くと随分と埃や髪の毛がついていたりするので驚いてしまう。

フローリングなので、掃除が楽なのはいいのだけれど。

それとお風呂の排水溝に髪の毛が溜まっていたりするので、取り出して洗うのもけっこう重要だったりする。イギリスだと、それこそ髪の毛ごと流してしまうような作りになっていた(ごくたまにパイプが詰まる。そりゃ、仕方がないですわね)ので、そんなに気にする必要もなかったのだけれど。

日本にいるので、朝ご飯は米と味噌汁!と言いたいのだけれど、普通に珈琲を沸かして、トーストを作り、ヨーグルトとバナナを食べています。本当はベーグルがあればいいのだけれど、日本のベーグルは高過ぎる。

ベーグルの他にも、スモークチーズやスモークサーモンなど、わりと日常的に食べていた品々が高いので、けっこうつらいところはある。昨日は久しぶりに都心に出たので(日本、人多過ぎ!)、イカリスーパーや成城石井をうろついて、なかなかエキサイティングな時間を楽しめました。

私の業界では17日が給料日だったのだけれど、なぜか半月しか働いていないのに、1月分の満額の給料が口座に振り込まれておりました。なんだか悪いことをしたような気分になってしまうのだけれど、あと1月を半月分の給料で過ごさなければならないと考えていた私にとっては、気持ちが大きくなってしまうきっかけになってしまったのです。

とは言っても、久しぶりに安めのワインを2本とウィスキーを買い込んだくらいのものなのだけれど。イタリアワインとフランスワイン、懐かしい。

晩ご飯も、いつの間にやら欧米化してしまっている節がある。

いつものようにタイムサービスで鮭や鰯を買ってみたのだけれど、その2回とも塩をふってグリルで焼いて、エクストラバージンオリーブオイルをどばどばとかけて食べるポルトガル方式でいただく。

バゲットを買って、ワインを飲みながら夕食を食べていると、イギリスにいた頃の食習慣とそれほど大差がなくなってしまう。

日本的な発想でいけば、鮭は醤油が基本だし(愛称抜群ですよね)、鰯は煮付けにでもするのが普通なのだろうけれど、なんとなくそういう気分にはなりませんでした。なんでだろ?どっちの調理法も好きなのだけれど。

ついでに生活ペースがゆったりとしていて、急ぐとかバタバタするとかそういうこともあまりしないようになっています。電車を1本逃したところで、あと15分で来たりするんだったら、対して変わらないやんといった発想。ザット・ダズント・メイク・ディファレンスって気分で生きていたりします。

まだまだリハビリ中(rehab)ということなのかもしれないけれど、来年、あっちの方に帰っている可能性もあるので、よく分からないですね。

まぁ、人間、どこにいても生きられるもんです。

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2009年4月11日 (土)

野球してみた

えと、新しい生活のリズムもぼちぼち掴みかけているところなのですが、どうも自分がいるべき所にいないような違和感が身体の芯から抜けきれない。やっぱり、ヨーロッパ辺りで仕事を見つけたいですね。

一方で、思ったより自分の時間が取れるので、dissの仕上げをする機会はちょこちょことあります。基本、愛機のMacBookと幾許かの論文が手元にあればやることはいろいろと決まっているので、便利と言えば便利なのです。

はてさて。

かれこれ4年ぶりに日本の桜なるものを見たのですが、なかなかよいものですね。つい2、3日前に満開になったかと思ったのに、もう枯れ始めているという情緒があるのもいい。私は変化というものをわりと肯定的に捉える奴なので、ずっと一緒というよりは、「一花咲かせてやるぜ」というこの風情がなかなか好きなのです。

今の生活リズムなのだけれど、仕事を終えて、その日の食事の買い物をするのが夕方になっています。それで、タイムサービスってなかなかによいですね。私のような貧乏人には重宝します。今の生活リズムだと、金銭的に余裕があっても同じ事を続けてしまいそうですが。

2日前はスモークサーモンとアサリが半額だったので、ビールを飲みながらスモークサーモンのサラダとアサリのパスタを作ってみました。

サラダ菜と水菜もそれぞれ2割引になっていたので、とことんまでおつとめ品にこだわった代物です。って、全然、自慢にも何にもなっていないのだけれど。

エクストラバージンオリーブオイルにホワイトワインビネガーを加え、塩、粗挽き胡椒(胡椒挽きがついている)、マスタード、それに擦り降ろしの玉葱を入れればドレッシングも簡単にできるし、なかなかおいしい。

スモークサーモンは紅鮭で作ってあったので、ヨーロッパのそれとはちょっと味が違うのだけれど、まぁ、これはこれでおいしい。

日本ではムール貝よりはアサリが手に入りやすいので、これはこれで上品な味になっていい。ムール貝は基本的においしいのだけれど、時々ドブのような臭い匂いのものに当たる可能性があるので、そういった心配をしなくていいのはけっこう心強いのです。

そして、昨日は久しぶりに野球をしてみました。

なにせ、野球が存在しないと言っても過言ではない国にいたもので、かなーり長いブランクがあったので、肩関節がどうもおかしい。

筋肉がなんだか落ちてしまっているし、それに時々滑らかに動かないことがある。錆びついているとでも言えばいいのだろうか。

しかしながら、それでも一応、「きてる」ボールは投げられているみたいで、回転と伸びのいいボールが投げられていたようです。。。

って、あまり無理をしすぎたせいか、その日はもう肩がおかしいというか、重いという感じ。余った氷でアイシングをさせてもらいました。

ティーバッティングもさせてもらったのだけれど、ボールを打つ感覚って気持ちがいいですね。なんだかすっきりとした気分になれます。

というわけで、ちょっと無理して体を動かしてみたのだけれど、意外に筋肉痛がない土曜日の朝。

もしかして、筋肉痛が翌日に来なくなるとか、そんなこたぁないですよね。

まさかね。

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2009年4月 7日 (火)

国家が嫌いな人たち

国旗や国歌にまつわる記憶ってのはけっこう複雑である。

例えば、国旗掲揚・国家斉唱が大学を含む全ての教育機関の式典で義務になったから、

「はい、じゃー、やりましょーねー」

「はーい」

で簡単に済む問題でもない。

日本にいるとこの手の政治議論は教育関係の現場を除いてほとんどないのだけれど、例えば、アメリカでは国家斉唱・国旗掲揚があらゆるイベントで顔を出してくる。

それこそ、プロスポーツの試合の前後やら、裁判やら公的な行事やらetc

「星条旗と民主主義を重んじ、忠誠を誓い、どーたら、こーたら」

こういう文言はPledge of Allegianceといいまして、アメリカでは有名な話です。国旗が揚がると、胸に手を当てて、それで

``I pledge allegiance to the flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands: one Nation under God, indivisible, with Liberty and Justice for all.''

という宣誓を立てます。

アメリカという国家を形成する人たちには、民族的、人種的な一貫性もなく、また共有する歴史と文化もかなり浅いので、「正義と自由の国」というスローガンは、アメリカ人を一体化させるのに非常に重要な役割を果たすイデオロギーでもある。

まぁ、そのこと自体は別にどうでもいいのだけれど、でも、端から見ていると、すぐに「USAはサイコーだ!!」はんたらかんたらと叫びだすアメリカ人を見ると、あんまり賢そうな人たちではないなという印象をついつい持ってしまう。

こういうわけで、まず第一に国旗や国歌というものは、自分たちという集団がいかに優れているのかということを他に誇示するためのものという役割もあって、なかなか恥ずかしい部分もあるわけです。

そういった恥ずかしさもあるのだけれど、やはり国旗というものを掲げて、ある種の行為を行うことによって、それに恩義を感じた人たちはその国旗にポジティブな印象を持つのだろうし、逆に酷い体験を受けた人たちは国旗に言い知れぬ恨みつらみを持つことにもなるのであろう。

国旗、国家にまつわる記憶とはこういうことである。人間の営みにある種の損得が関わってくる以上、ある組織、集団を喚起させるシンボルを万人がポジティブに受け入れるということはあり得ない。

そういった複雑な感情を持つことのできる資格は、否定されてはならないのだろうし、そういう権利が認められる社会は懐が深いのだろうなという印象を抱かせる。

その一方で。

そういったある国旗や国歌に対していい印象を持たない人たちが、自分たちのネガティブな感情をより攻撃的・衝動的な手段で騒ぎ立てる行為に対しては、端から見る分にはあまりいい印象を与えることはないのではないかと思う。

彼らの怒りの原点は、価値観の暴力的な統一化にあったわけであるから、そのことに怒りを覚えるのであれば、自分たち価値観を共有する人たちだけで、密かに反発しておけばよろしいのである。

彼らの価値観をさらに周りに広げ、自分たちの価値観を理解するように圧力をかけてしまうと、これはもはや同じ穴の狢であり、彼らの怒りを正当化する根拠がなくなってしまう。

この種の諍いにあまりコミットしたくない立場の人間から言わせてもらえれば、彼らのような立場の人たちは、総じて自分たちが公理的・原理的に正しい立場に立っており、自分たちは決して非難されることのない正義の味方であり、常に闘っているのだというそのこと自体に対して自分の存在価値を置いているのではないか、とそう感じるのである。

国家や国旗がお嫌いなのであれば、無関係の人たちを巻き込まず、自分たちで反対の態度を取ってもらえればよろしい。

別に、百人が百人意気揚々と国家を歌っているわけでもないのだから。

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2009年4月 6日 (月)

汚部屋

えと、アメリカ人の同僚が部屋でずっこけて骨折したので、保険証やら財布やら印鑑やら任天堂DSやらを取りに部屋に潜入することになりました。

ところがですね。

彼の部屋、もう、すさまじい汚部屋なんですよ。

すげー!

「のだめの部屋」をこの世に実現させたって感じです。千秋はよくあんな部屋を手入れする気になったものだとつくづく感心致します。例えどんなに才能があってかわいい女の子であっても、汚部屋に住んでいる人と共同生活は、少なくとも私には出来ない。

閑話休題。

とにかく、部屋の匂いからしてすさまじくて、埃とカビと、そして何やら得体の知れない匂いが充満しているし、鼻で息をすれば吐きそうになるし、口で息をすれば、喉に何かがつまったような感じになるし、でとても大変。

小銭やら貴重品(財布だとか年金手帳だとか)やらがあちらこちらにゴミと一緒に散乱しているし、食べさしのパンやらピザやらがカチコチに固まっていたり、カビがたかっていたりですさまじいご様子。

水回りなんてゴミしかないし、冷蔵庫の中はゴミ溜めだし、冷蔵庫の後ろにはゴミがパイルアップしてあるし、バスルームなんてもうカビが生えているどころの騒ぎではない。

すさまじい。

敷きっぱなしの布団は、ゴミ捨て場のマットレスより汚れているし(冗談抜きで、ゴミ捨て場かこの部屋で寝るかの二択を迫られたら、一般的なゴミ捨て場に限り、そちらを選びます)、シミなんだかよく分からない物がたくさんこびりついてある。

そこらじゅうに、ゲームソフトやDVD、そしてアダルトDVDが放置されてあって、本当に阿鼻叫喚の地獄絵図という言葉はこの部屋のために用意されたのではあるまいかといった程なのです。

もう、本当に精神的によろしくない。(肉体的にもよくないが)

というわけで、まさかこんな汚部屋に入る機会があるだなんて夢にも思いませんでした。

私の部屋はきれいなもんなんだけど。

Img_0060

ちょっと一緒に潜入した人の足が写ってしまいました。信じられないかもしれないですが、一応、そこそこゴミを拾って、箒で掃いた後です。


Img_0061

さぁ、この中から印鑑を探すんだ!って、本当に探したんですよ。あれこれと片付けながら。部屋自体はけっこう新しくて、きれいだった面影を残しているのだけれど。

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2009年4月 4日 (土)

新しい環境

みなさん、お元気ですか?

って、ブログというか、エッセイの出だしとしては変なものなのだけれど(手紙じゃないんだから)、何はともあれ、私は元気にやっています。

それで、よーやく、新しい家のインターネット環境が整いました。

光ファイバーが導入されているので、そこにAirMac Expressを差し込んで、無線LAN環境を作った。これで、MacBookもiPhoneも快適に動きます。

新生活ということで、やたらといろんな手続きがあってややこしい日々を送っていたのだけれど、でも、引っ越しってなかなか楽しい作業ですよね。やっている間はけっこうめんどくさくて、「やってられるか!」って気分になるのだけれど、一通り荷物を広げ終わって、整えてみると、一仕事終えたという気分になれる。環境を一新するというのも悪くないし。

うん、悪くない。

今の部屋はきれいでなかなかいいのだけれど、また近いうちに引っ越しをしてみたいなと思ってみた次第である。

ところで、帰国してもう3週間になるのだけれど、なんとなく未だに気分が落ち着かないし、なんだか自分のいるべきところにいないようなもやもやとした感覚が抜けきれないでいます。

さすがに何年もイギリスにいると、そっちの方の生活に慣れてしまって、なんだか日本の方が海外って感じがしてしまうのです。

それと、日本にずっといると気付かなかったのだけれど、日本という社会が妙に息苦しくて仕方がない。

偉そうな物言いなのかもしれないけれど、一々他人の一挙手一投足に気をかけすぎだし、それに他人のアチーブメントに文句をつけて、足の引っ張り合いをしている雰囲気がやたらと目についてしまう。

それにアチーブメントを達成した人も、そのことで人の妬みや恨みを買わない為に頭を下げてぺこぺことしなきゃいけないというのも、なんだかしんどい。

そりゃ、傲慢になるとか、威張るとかいうのは褒められたことではないのだけれど、誇りに思える機会がないって、ちょっと「しんどいよな」って感じがしてしまう。成功したのに、「調子に乗るな」と説教されてしまう社会ってなんだか変な感じですよね。こうやって若い間にあれこれと押さえつけられてしまう環境があるから、やがて年配になってやたらと顕在化することとなって、日本のおじさんたちの多くがやたらと偉ぶっているんじゃないかと思わないでもない。年を取ったら余裕のある人間になりたいものだと思うのだけれど。

それと、昨今の不況、それにメディアに目を通せばネガティブなニュースばっかりなので、ちょっと精神的にまいってしまうような環境が原因なのかもしれない。もうちょっと気楽に楽しいニュースを流していてもいいような気がするのだけれど。

take it easy!

で気楽にやって欲しいものなのですが。

ところで、私の財政状況は悲惨なもので、なんと今月の17日まで1万円弱で生活しないといけない。

一応、定期券だとか、生活の初期に必要なものは揃ったので、実質、食費が1万円ということなのだけれど、けっこう惨めなものがある。

それで、昨日と今日の夕食は鰤大根と御飯、それに野菜サラダというもの。

鰤は「あら」が賞味期限前日ということで、半額の150円、大根はおつとめ品(つまり痛んでるやつ)の80円の物で作ったのだけれど、煮物なので、鮮度はそれほど問題にはならない。大根の煮物は得意料理の一つなのだけれど、まぁ、なんとかうまく作れました。ブランクがあったので、ちょっと不安だったのだけれど。

サラダも賞味期限ギリギリでタイムサービスになっていた水菜や、特売品のカイワレ大根で作ったもの。1食夕食でも300円を目処にしているので、なかなかに厳しい。

まぁ、来月中旬には極貧生活を脱出することができる予定なので、それはそれでいいのだけれど。

ちなみに、昨日は久しぶりに運動ということで、バトミントンをしたのだけれど、若い子たちとシングルゲームをやっていたので、今日は筋肉痛です。

身体のあちこちが痛む( ̄▽ ̄;)

でも、若い子たちに刺激されて、ちょっとでも自分の中で若さを取り戻したいものだと思った雨の土曜日だったのです。今年は二足の草蛙で大変そうなのだ。

Img_0017

今の私の中でのアイドルはこの女の子です。隣りにいるヨークシャテリアはかわいいのだけれど、バカで腕白で少々困ったやつなのです。

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